地中の月
幼いころからよく月の夢を見る。
月がメインというわけではないし、ずっと継続的に見ている夢なんていうのもないけれど、私は夢の中でも月を見る。
なんだか映り込んでいるのだ。見られているような気がするのだ。
私は服が決められない。
ファッションのことなんてなにもわからない。
でも道行く人たちの中で浮いてしまうことだけは避けたいと思ってしまうのだ。間違ってオシャレに思われてくれないだろうか…なんて思ってしまうのだ。
マネキン買いしている服は纏まりがいいだろう。
別段世間から浮くということはないだろう。でも着ている私は何も理解せずにこの服に袖を通している。だから私は常に自信がない。着ている服と私の気持ちはいつもちぐはぐだ。
そんな日には夢に月が顔を出す。
私はゴミ捨てが苦手だ。
だらしないの一言では説明がつかないくらいゴミが捨てられない。
最近では高く積まれるゴミ袋を見ると「またお会いしましたね…」なんて気分になる。
もったいない、とは思っていないはず。
ゴミ袋にもう着ない服を詰め込むときの思い切りなどは中々なものだと思う。じゃあ何故ゴミを捨てられないんだろう。
いつかこれらが私のピンチの時にでも助けてくれると思っているのだろうか。そんな夢は見るな、もうアラサーなんだから。
後悔に苛まれるそんな日の夢にも月が私を見ている気がする。
人との距離感を私はしょっちゅう間違える。
常日頃目立たぬように過ごしているのに、どうも会話のギアの入れ方を間違えてしまう時があるのだ。
猫の動画の話が出たらどうにも私はテンションの上昇を止められない。
猫は可愛い。当たり前だ。人類が何年も愛し続けたコンテンツだ。猫カフェにだって通う。仕事の合間の数少ない趣味だ。
だからと言って今日初めていらっしゃるお客様に熱弁するのはマンチカンの可愛さについてだったのだろうか。仕事に不熱心な奴だと思われたのではないだろうか。
そんな反省だらけの日の夢にも、月は私を見ているのだ。
私は眠っている時間が大好きだ。
たまに見かける「寝ている時間なんて死んでるのと一緒じゃない!」なんてつい過激な口調になってしまう活動的な同僚を見ると信じられない気持ちになる。
でもその同僚の方が人間として正しいのだろうなぁ…なんて思ってしまう。
ただ眠ることが大好きな私と、起きてるほうが好きな友人。それだけの話なのに劣等感というものが鎌首をもたげて私の方を威嚇している。
私は夢の内容を起きてからも割と覚えているほうだ。
そんな私の夢は空想的で平凡で、楽しかったり悲しかったり怖かったり、平凡な荒唐無稽を私はフツーに楽しんでいる。
そんな私の夢に月は今日も顔を出す。
私はもうすぐ結婚する。
大学まで運動を続けていたスポーツマンの彼は私がこんな風な人間なことを知っているのだろうか。
私は自分がない、浮きたくないと思っているくせに好きな話題には必要以上に食いついてしまう。一貫性がない。
自分がないから自信がない。
だから私は日常にまつわる選択を彼に合わせてばっかりだ。
彼に望まれている私を演じている。演じきれてないはずの、大根役者の私のはずなのに彼は気持ちいいくらいに騙されてくれる。
しかし彼を騙しきれている自信も私にはない。
彼に薄っぺらい私が見透かされていないか、疑心暗鬼が積もるばかりだ。
情けない夜も不安な夜も月はいつも見えるところにいる。
そんな私の家にある彼からの婚約指輪は、重い。
私は嬉しいはずなのに、浮きたくない私にはうってつけの話なのに、そもそもそんな損得勘定のような気持ちが頭によぎってしまうのが辛いのだ。
私は素直に行動したことがあるのだろうか。
猫の動画に夢中になっている私も「私自身が演じたいセルフイメージの一つ」なのではないか。
こんなセルフイメージなんて欲しくないのに、なんにも個性がない私が唯一すがったお手軽な個性だったのではないか。
私は自分がわからない。もうなにもわからない。
そんな私の夢の中に今日もまた月が出る。
月は珍しく私の目の前まで寄ってきて、私のことをじっと見据えてくる。
触れる距離にあるこの月を私はどうしたいんだろう。
怒っていいような、泣いていいような、寂しがっているような、そんな不思議な球体だ。クレーターの一つ一つに歴史がある。この星の我慢の歴史なのかもしれない。
この月という惑星と初めて向き合って、私は触れてみたいと思った。
私は手を伸ばそうとした。
愛しいとさえ思ってきたこの惑星に触れるまであと数センチ。そこで私は夢の世界から追い出されてしまった。
目が覚めた私は午前二時。
婚約指輪を手に取った私は窓を開ける。
窓から見上げた月は気持ちいいくらいの満月で、わたしはその月に向かって力いっぱい婚約指輪を放り投げた。
私の夜明けはきっとすぐそこだ。
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