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僕がバリアフルレストラン店長になった理由

今年2月に、私たち「チーム誰とも」が期間限定で開催したバリアフルレストラン。「二足歩行者が少数派で、車いす利用者が多数派」という仮想世界を前提としたレストランです。今回のnoteでは、店長を務めた車いすYouTuberの寺田ユースケ(寺田家TV)さんが、バリアフルレストランを振り返ります。

みなさん、こんにちは! バリアフルレストラン店長の寺田ユースケです。僕は「寺田家へようこそ!」を合言葉に「寺田家TV」というYouTubeチャンネルを夫婦でやっているYouTuberでもあります。

生まれつきの脳性麻痺で足が悪くネガティブな生活をしていたのですが、20歳の時に車いすに乗る選択をしたことが人生の転機でした。 行動範囲が広がりポジティブになりました。車いすはまるでシンデレラのかぼちゃの馬車のように、僕の人生をワクワクする道へ導いてくれたのです。

そんな僕がなぜバリアフルレストランの店長になったのか、今年の2月にプレオープンしたときのことも振り返りながら、お話ししたいと思います。

バリアフルレストラン店長は僕の天職

まさか自分が「店長」という大役を任せていただけることになろうとは思ってもいませんでした(笑)。元々は、 車いすで生活するうえでの「あるある」を車いすアドバイザーとして助言するという形で、チーム誰ともに参加させていただいたのがきっかけです。

最初にバリアフルレストランの企画を聞いたときは、シンプルに「面白そう!」と思いました。僕自身もマイノリティとしての生活の面白さをエンターテイメントとして大衆に伝えることを活動のテーマにしていたので、お声がけいただけたことが嬉しかったです。

企画会議が進むにつれ、「店長は寺田さんに」と話が進み、最初はプレッシャーに感じていました。しかし、バリアフルレストランのコンセプトを理解すれば理解するほど、僕にとってこの店長という仕事は天職だったと気が付いたのです。それには僕の過去の失敗をお話しせねばなりません。

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誰もが「無意識の偏見」を持っている

バリアフルレストランは、 「車いすが当たり前で二足歩行は障害」という仮想世界のレストランです。その仕掛けは、天井が極端に低かったり、椅子が置いてなかったりするだけではありません。二足歩行者には1つで十分なのに2つ渡されるおしぼりのように、店員たちの持つ無意識の偏見も表現しています。

来店されたお客様は、「普段は多数派として生きているから気がつかなかったけど、少数派になって初めて、私には無意識に偏見があったことに気がつけました、ありがとう」とおっしゃってくださいました。開催して良かったなと思うと同時に、この皆さんの反応は僕も実生活で経験したことがあるものだと、ハッとさせられました。いや、僕の場合は偏見を持っていただけでなく、実際に周囲を傷つけてしまっていたのです――。

「知ることから差別はなくなる」車イスホストだった僕の後悔と教訓

2015年、お笑い芸人として活躍する夢に敗れた僕は、ひょんなことから新宿歌舞伎町のホストの世界へ足を踏み入れました。「車イスホスト」の誕生です。それは普段車いすとして少数派で生きている僕が、同時に水商売という職業的にも少数派の世界に足を踏み入れた瞬間でもあったのです。

お店はバリアフリーでホストの皆さんは優しくしてくれました。しかし、当時の僕には 「ホスト=女性を騙すいけ好かない人たち」というイメージが強く、同じお店で働いていてチームワークが必要なのに、無意識に彼らを偏見の目で見てしまっていたのです。

僕の無意識の偏見は、皆さんへの態度やしぐさなどに表れてしまい、一部のホストたちと揉めてしまうこともありました。しかし約2年間という月日を切磋琢磨させてもらい、車いすとホストが、時間をかけてお互いがお互いを知ることで、お互いの偏見が消えていきました。 

「知ることから差別は無くなる」。お前は偶然ホストクラブというコミュニティーだったけど、障害者とホストを繋ぐ架け橋になれたんだよ。』
ホストクラブを離れる時に会長からもらった人生の教訓です。ホストクラブの皆さんは僕に大切なことを気づかせてくれた恩人なのです。

そんな僕が今、バリアフルレストランの店長としてお客様に、「無意識に気づこう!」「当たり前ってなんだろう?」と発信する立場になったこと。人生の点と点は繋がり線になるんだと改めて実感しています。

「障害者VS健常者」という構造ではない。障害は社会がつくっている

今回のバリアフルレストランには、障害は身体にあるのではなく、社会の仕組みによって生まれるという「障害の社会モデル」の考え方を広く知ってもらいたいという意図があります。

僕がホストに対して持っていた偏見も、幼い頃からテレビなどで観て定着してしまった「水商売=怖い」というイメージにより生まれたものかもしれません。そうだとしたら、そんな状況を放ったらかしにしていた社会の仕組みに問題があったと言えるのかなと思います。

実際に女性からお金を巻き上げるようなホストもいるかもしれませんが、僕の実体験では接客のプロである素晴らしいホストばかりでした。100人ホストがいれば100通りの接客があり、人間はみんなそれぞれに違うという根本的なことに気づかせてもらいました。

バリアフルレストランは初めての試みでもあり、企画は試行錯誤で進んでいきました。天井を極端に低く設計するような物理的な仕掛けは、ある意味簡単だったのですが、難しいのは無意識に「偏った接客」でした。
バリアフリーとして頭を打たないようにヘルメットを渡したり(そもそも天井を高くすればいいのに笑)、店長と店員がお店の裏で二足歩行者(この世界では障害者) への接客態度で揉めていて、それがお客様に丸聞こえだったり、、、笑。

僕たち車いすユーザーが普段感じる「あるある」を反転させながら、無意識の偏見に気づいてもらえるような演出を考えました。
障害の社会モデルへの理解は、障害者である僕自身も学びの連続で難しく、それを皆さんにどう伝えたら誤解の無いように伝わるのか、今も悩みながら進んでます。

実際に開催後のSNSの反応は賛否両論でした。特に「車いす店員が無礼な態度をとる、障害者から健常者への逆襲だ!」と捉えられてしまったのは反省点です 。実は僕たちも初めは優しく接客をしたんですが、初日のアンケートに「もっと失礼に!」と書いていただいたこともあって、最終日には最大級に無礼になっていました(笑)。

僕たちは理解してほしくて戦いたいわけではないのです。 身体の問題で苦しい思いをしてるんじゃない、置かれた環境によって障害が生まれているんだということをお伝えし、共に歩み寄りたいのです。
環境とは、物理的なことだけではありません。人が無意識に持ってしまう偏った見方も、障害をつくりだす環境です。 このあたりをしっかり伝えていくのがお店としての今後の課題なのかなと思います。

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当たり前ってなんだろう?

日本の小学校では整列する時に、「前にならえ!」の掛け声でみんなが一斉に同じポーズをとります。それが当たり前でしたよね? 僕は足が不自由だったので、みんなが前にならっている最中にしゃがんでいたんです。みんなと同じことが出来ないと、当時は毎日のように凹んでいました。当たり前にみんながしてきたことが、誰かにとっては当たり前に出来ることではないのです。

たとえば、最近では新型コロナウイルスの影響で外出を控える呼び掛けがなされ、リモートワークという言葉が急速に広がりました。でもこれは僕たち車いすユーザーのような、電車の乗り換えや、階段を登ったりする移動に困難がある少数派が、何年も前から必要性を訴え続けてきたことだったんです。
大雨の日に車いすで会議室まで移動することが出来ず、テレビ会議で参加させて欲しいと訴えても、「会議は集まってこそ」となかなか理解されなかった苦い経験もあります。

多数派である皆さんの生活環境がコロナによって変化し、いま、社会に新しい「障害」が発生していると言えます。多数派に影響が出るようになって初めてリモートワークが普及し、皮肉にも元々の少数派にとっては以前よりもずっと仕事がしやすくなるという、喜びたいけど喜びにくい状況になっているのです。

このコロナ騒動を機に時代が大きく変わるでしょう 。秋に予定していたバリアフルレストランの一般公開も、当初の計画通りには開催できないかもしれません。
それでも、チーム誰とものコンセプト「誰もが誰かのために共に生きる社会」を大切に前に進んでいけば、人類がウイルスに勝利した時には、少数派にとっても多数派にとっても、明るい未来が待っているのではないかと思います!

またバリアフルレストランでお会いしましょう!

2020/04/06 バリアフルレストラン店長 寺田ユースケ

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“誰もが誰かのために、共に生きる社会”の実現を目指す日本ケアフィット共育機構です! 理想の社会に近づけるために“ケアをフィットする”ことを日々模索しています。