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ひとり踊りのレッスン#04 「河童がとおる」

2020年4月9日〜4月21日について
携えた本:芥川龍之介『河童』

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(2020/04/19)

 ネパール料理屋と銭湯付きコインランドリーの先に煙草屋があり、さらに進んだところに陸橋が掛かっています。そこに立ち、橋の下を通過する山手線をみることをこの時期の日課としていました。爪先を欄干の隙間に押しこみ、二十センチくらい背は高くなり、待っていますと、山手線が、物凄い速さで、わたしのからだの間を入って、抜け出ていきます。乗車している人の数は数えられるほど少ないけれど、電車は次から次へと三分おきくらいにやってきますので、その度に迎え入れ、最後まで見送ります。出産ってこんな感じなのだろうか。その陸橋の欄干には、緑色のつたが繁茂し、そこにへばりついて山手線をみていた保育園の子どもの、老人の、犬の、母親のにおいが残っていました。

 前からも後ろからも山手線がわたしを通過するのにまかせて一日中立ち尽しても滲んでは消えていくばかりで満ち足りることはなく、ある程度時間が経つと陸橋を離れます。閑静な住宅街のほうへと歩いてゆくうちに、山手線の音も聞こえなくなって、沿道にプランターが連なりはじめます。パンジー。ミント。スイートアリッサム。水が地面の下を流れる音が聞こえてきます。台所やトイレや浴室の穴から流れおちてきた水、その音を線で辿ります。

 芥川龍之介の『河童』によると、東京でも川や掘割は河童の往来が盛んで、そこからマンホールや消火栓を押し上げてでてくるのだそうです。遠い未来のようなところから(河童は人間よりも清潔で優れているという)やってきて、穴からくるりとかえっていく。こちらの世界のものを魅惑し連れ去ってしまうこともある。河童はわたしが巡って歩いている、足下のコンクリートの裏側を流れる水路をぬるりぬるりと通行しています。

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 陸橋からの帰り道、知らない人の花壇で百合のような花の蕾が着々と膨らんでいました。花の脈や雄蕊や雌蕊を触れてしまいそうなほど接近して視るのが好きなのですが、百合のような花は全部をこちらに広げて見せてくれるのでそうするには丁度いい。嬉々として通いました。しかし数日後、花弁がひらくとバランスが崩れて首はへしゃげ、花はうつむいていました。わたしはコンクリートに手をつき下から覗きこみ、そこでいっぽんの雄蕊と複数の雌蕊が素直に隣あっているのを視ました。次の日には何本かのリボンがその首にそえられて、花は直立していました。苔の中に蟻の足がうごいていました。
 リボンをつけて顔をこちらに向けて、わたしあなたのものではないよと主張してくるのですから、苛立たしい。気づけばもとから私のものじゃなかったし、視るだけだったし、でも好きだし、全部河童のしわざかもしれない、とおもうことにしました。

 人のいない道路の地面にはマスク、麻紐、ボール、犬の糞、証明写真、様々なものが落ちていて、先日は立派な手(のような枝)をみつけました。拾いたくなったので、ポケットに入れて帰宅しました。
 呼び鈴がなったので、出ると、段ボールを持った緑色の人が玄関先に立っていました。シャチハタ判子を探しているあいだ、水のむこうに連れ去られないようにするには、普段からくるりとまわる練習をするようにと教えてくれました。河童はわたしの顔をみつめました。わたしは一度目をそらし、しかしまた眺めました。すると突然、まるできっかけもなしに、いきなり顔いっぱいに微笑みかけたのです。Quo quel quan? わたしは段ボールを受け取り、河童に拾った手を返しました。段ボールは火みたいに熱かった。河童はくるりと背中を向けて帰り、わたしはそのままスーパーへ出かけ、パンとベトナム産の海老を買いました。ワルツのリズムで、けいかいに、きづかれないように、まわる。

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 河童は夜の公園からおどりはじめます。手を伸ばし、肩甲骨に砂をすりつけ、電柱の光も、その辺に落ちてる水のペットボトルも、周りのアパートも自分のものにします。憂鬱な鳩のポーズ。ロードバイクが通る。身体全部が谷になり、大きく口を開けて、たべつくす。アメンボの足。亀の声。裏がえって山手線が降ってくる。河童はいつのまにか往来のまん中にあしをひろげ、しっきりない自動車や人通りを股眼鏡にのぞいています。「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」 八百屋のおじさんと、何かの帰りのおばさんも立ち止まって空を見上げました。「なんかあったんかしらねえ、大抵悪いことだけど、やあねえ」とおばさんはいいました。 Qua。

 出会った曲がり角を手当たり次第曲がり、おどりを続けていたら、骨がうねってきて、皮膚が重さをもち、突然空が開けました。カーブミラーにうつった空でした。写真を撮りました。カーブミラーの下は霊園でした。空間は目くばせしながら、「いったい私のなかに何が起こったのだろう」と尋ねる。わたしは驚いて立ちつくす。「そうだ、いったいお前のなかで何が起こったのだろう。」わたしたちはそんなふうに、この空間に小声で問い返すことになる。穴から出てきたものの顔を正面からみつめ返し、健康と安全を祈ってくるりとまわりましょう。

*芥川龍之介『河童』、飯倉義之「河童死して手を残すー河童遺物伝承の整理ー」『河童とはなにか』、エドガー・ドガ「舞台の踊り子」、カミュ『ペスト』、ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論 第3巻』を参考にしました。

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