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怖いくらい憧れている人。

ある人の「言葉」を集めたくて、取り憑かれたようにその人のインタビュー記事が載っている過去の雑誌類を買い漁っている。
ある人とは、昨年から執心している所謂「推し」だ。

私は昔から何かにハマりやすい質ではあるが、その人へのハマり方はこれまでとは随分と毛色が違うように感じていて、自分でもよく分からないくらいあらゆる感情を搔き立てられている。それはもはや、畏怖と言ってしまっていい域に達している気がする。

その人の言葉は、捉えようによっては論理的過ぎて理屈っぽくもあるが、そこに至るまでにその人が蓄積してきた知識や知恵、そして智慧がにじみ出ている。そういうところに私は堪らない憧憬を抱き、その人の言葉を追えば追うほど虜になっていくのだ。

そのうえでその人の言葉は、私に何とも言えない敗北感を味わわせる。仕事への取り組み方、仕事に対する矜持、愛するものへの心の傾け方、総じて生き方そのものに、圧倒的に「敵わない」と思い知らされるのだ。

敵わないと分かっていながらも、私は心のどこかでその人のようになりたいと思い、厚かましくもいつか会って話をしてみたいなどと夢想する。
そして、そんな自分を心底卑しいと思ったりもする。

けれど、同じ時代を生きているのであれば、いつ何時どんな機会に恵まれるか分からない。気まぐれな神様が悪ふざけに興じ、私をその人と引き会わせてくれるようなことが起きた時に備え、その人の面前に立って恥ずかしくない自分でありたいと思う今日この頃。

まずは、この頭の中同様にとっ散らかっている部屋を片付けよう。



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