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高校受験を通して子と向き合い、己を知る # 母親目線で語る高専入試

高校受験を終えて

志望していた通信制高校を諦め、高専受験、そして合格に至るまで。
太知はどれだけ多くの葛藤を乗り越えたのでしょうか。

高専受験は太知にとって、高望み。
それを承知で背中を押す母親の言葉を受け止めてくれました。

何事も頑張れば必ず成果が得られるわけではありません。
嫌な記憶だけが残ることもあります。
高専受験という厄介ごとを回避しなかった太知。
私が思う以上に図太く成長をしたことを喜ばしく思います。

自分の今までを振り返る

太知と受験にまつわる話をしていると、自分が受験生だったときを思い出しました。
そして、自分が達成できなかったことや悔やんでいることを太知に聞かせ、後悔をしないよう話したつもりです。

でも、受験を終えてみれば、色々と押しつけがましい話を聞かせたもんだと我ながら呆れてしまいます。
太知と私はすべてにおいて大違い。
なのに、随分と知ったふうな物言いをしてしまいました。

終わりに

親としてなるべく我が子の躓きは目にしたくないものです。
順風満帆な人生を送る姿を見守りたいもの。
敢えて挑戦させて失敗を恐れない心を育てたり、成功体験により努力をする意味を学ばせたりと子育ての理想はあるものの、なるべく避けたいというのが本音です。

なのに、どうして太知が高専受験をするに至ったのか。
noteを通じて振り返りを終えた今、改めて気持ちをまとめようとすると答えが遠のくようで、うまく言葉にできません。
気持ちの何割かは親のエゴが占めていて、そこに後ろめたさを感じている自分がいます。

太知の人生において、高校受験は通過点。
これからたくさんのことを経験し、到達したところから過去を振り返ったとき、「高専を選んでよかった」なのか、「苦労したわりに無意味だった」なのか。
そのころに私は天に召されているでしょうから、太知から文句を言われることもないはずです。

できれば、「親に強制されて挑んだ高専入試をクリアした経験」ではなく、「努力によって手に入れた高専生活を謳歌した」と、太知の記憶に刻まれることを願っています。

子育ての終わりが待ち遠しいと感じつつ、継続中であることが日々の励みになっていることもまた事実。現在の心境は言葉を尽くしても語りきれずに、今日も綴ります。