「推し」というにはおこがましい

「最近、『推し』がいる人が多いけど流行りなのかな」

美容師をやっているママ友が、お客さんの多くに「推し」がいると話してくれた。「へ~、なんかすごい時代だね」と、他人事のように言ってはみたものの、私のポルノグラフィティ愛も別の人から見ればまた「推し」なのだろう。

しかし私は、自分がポルノを「推し」ているとは思わない。ポルノ以外にも、基本的に「推し」というものは存在しない。

かつて、ライブ配信アプリにハマっていた頃には確かに「推し」というものが存在した。しかし彼はもうアプリを辞めてしまったし、それも「推し」というよりいろいろなことが話せて人間的な魅力を感じる、いわゆる「尊敬できる友人」のようなものだった。

「その人やものが大好き」という感情を「推し」というなら、きっと私もポルノ「推し」だろう。しかしいわゆる「ガチ勢」のような方々から見たら、にわかもにわか。
「推しなんていません!」というプライド高めなスタンスというより、「私のようなレベルで『推し』と語るのはおこがましい。申し訳ございませんでした」という感覚だ。

先日、ライブに行く電車のなかには、全身ポルノのグッズで固めた人が大勢いた。
"ファンクラブに長年入り続け、会報を熟読し、グッズはすべて購入し、ライブには連日参戦する”
私が思う「推し活」はこうなので、彼氏に貢ぐために会費(年間4000円)をケチって退会し、そのファンクラブ時代も会報は流し読み。ライブに行ってもTシャツとタオルだけとりあえず買いますレベルの自分など、ポルノを「推し」ている方々の足元にも及ばないのだ。

では、私レベルの熱量で応援している人は何というのか。「ポルノ推してます」までいかない人間は、やはり「ポルノのファンなんです」と自称すべきだろうか。
確かにファンだが、何だかそれはそれで「ファン」の皆さんに申し訳ない気がする。他人事ならば「好きなものは好きでいいじゃん、面倒くさい」と思う話だが、自分事となるとそうはいかない。私は他者を不快にせず、自身の立ち位置を確立できる、ちょうどよいネーミングを欲している。

熱しやすく冷めやすい、他人どころか自分自身にもさして興味のない私のなかにある熱量的には、やっぱりポルノは「大好き」で「ファン」だし、アニメなら呪術廻戦も炎炎ノ消防隊も幽遊白書も、割と長いこと大好きだ。
そして私は、好きなものについて聞かれると興奮気味になって早口でしゃべってしまう節がある。でも本当に好きな人から見たら「こいつ、そこまでだな」と見抜かれてしまうレベルなので、「ファン」や「推し」のような立ち居振る舞いをするのは、本当に、本当におこがましい話なのだ。

だから最近の私は「好きなもの」を聞かれても勝手に盛り上がらず、自分のなかの熱量に蓋をして、「あ~好きですね」とクールに答えようと心がけている。

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