鋼のメンタル

「メンタル強いよね」

とあるクライアントに言われた言葉だ。学生の頃は豆腐のようなメンタルだと思っており、30も半ばの昨今もそんなことは自分では感じていなかったので、いささか驚いた。

事の発端は、あるミーティングだった。
私はその頃仕事を舐めていた、というわけではない。ただ、コロナに罹患して以降、調子が悪かった。
感染中こそ軽症ではあったが、その後謎の倦怠感というか、「健康だけどダルい」という時期が半年ほど続いた。そのときは自分自身の怠慢だと思って悩んだが、振り返るとコロナの後遺症だった可能性が高く、意味不明な不調は突然なくなった。

そんな時期に納期ギリギリというか、もはや納期を数日オーバーして「サーセン」みたいなことを3ヶ月ぐらい繰り返していたところ、ある日のミーティングでクライアントにバチバチに注意された。
自分でも「仕方ない」と思ったし大反省したし、何より一緒にミーティングに参加している、1ミリも関係ない人たちの時間を無駄にしてしまったことが申し訳なく、正直「辞めてもらってもいい」といわれたときは「もう無理辞めたい」と思わなかったわけではない。

が、そこで辞めたらなんだか負けを認めたというか、「逆ギレして辞めた」「できないから逃げた」などと思われるのがいやだったので、誠心誠意謝罪し、なんとか仕事を継続していただけることになった。
のちにこのことを振り返るタイミングがあり、改めて「その節は…」といった話をしたところ、クライアントは笑っていた。そして、冒頭の言葉とともに「もっと別のところでも一緒に仕事をしよう」とまで言っていただけたのだ。

根性はあるほうだと思う。が、メンタルが強いなんていままで言われたことがなかった私は、改めてメンタルの強さとは何かを考えてみた。
そういえば、子どもを産んでからは「病む」ということがなくなった気がする。お金のこと、子どものこと、将来のことなど、悩みや不安は尽きないが、それで「どうしよう」と思うよりも「どうしたらうまくいくか」を考えるようになった。

ちなみに私はヘタレだ。言いたいことも言えない世の中でpoisonするぐらいにはヘタレなので「メンタルが弱い」と感じるのかもしれない。が、ヘタレなのと根性があるかないかと、メンタルが強いかどうかは別物なのだろう。

それでも息子たちのためとなれば、言いたくないことでも声を上げる必要があるし、フリーランスという働き方をしていると、突如仕事がなくなったり、意味不明な依頼をされたりということに直面することもある。
そうしていくなかで、私のメンタルは徐々に鍛えられていったのではないだろうか。

結局何が言いたいかというと、先天性ではないものの、私が手に入れたそこそこに強いメンタルのおかげで、仕事がなくなるどころか新たなビジネスチャンスまでつかむことができた、というお話。
個人的には、年齢や経験を重ねるなかで、後付けでもポジティブさや図太さはある程度身につけられると思う。なので、いま思い悩むことの多い若者たちも、きっと「あんなことで悩んでた私乙」と笑える日が来るだろう。

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