客室乗務員をたった2年で辞めた理由
今回はせっかくなれた客室乗務員を、たった2年で辞めてしまったことについて書きます。
前回の記事「客室乗務員になって大変だったこと」も今回の話につながるので良かったら先にこちらをどうぞ。
念願の客室乗務員(以外CA)になれたのにたった2年で辞めた理由。
それは、大まかにこの3つ。
・自律神経が乱れて身体が疲弊してしまったから
・想像以上の多国籍の同僚、乗客との関わりの中で神経をすり減らし、すぐにイライラする自分に疲れてしまったから
・毎回同じ業務内容に飽きてきてしまったから
一つずつ説明します。
① 自律神経が乱れて身体が疲弊してしまったから
大変だったこと編でも書いたように、完全に不規則なシフト制のフライトだったために、まったく規則正しい生活は送れませんでした。
まぁそんなのどこの航空会社であってもCAである限り同じなんですけどね。
ですが、中東系の会社のCAは他の会社と比べてもフライトスケジュールが忙しかったようです。(入社してから知りました)
いつでもどこでも、寝よう!と思ったら寝られるタイプならいいんですが、私は全然そういうのじゃない。
深夜のフライトでよっぽど眠ければ寝られますが、数時間で起きてしまうこともよくありました。
寝たいのに眠れない。
寝よう寝ようと思うほど、周りの音が気になって余計眠れなくなってしまい、眠れないことにイライラし始める、
休息がちゃんとできないと、せっかく行きたかった国に行けても、レイオーバー(フライト先での外泊)も存分に楽しめない。
風邪もひきやすい(しょっちゅう喉をやられてました)
肌が荒れる(大人ニキビ)
一時期は市販の睡眠薬も使っていました。
入社して1年半くらいしたころに、これは私みたいなタイプは続けても後でこの時の体への負担のしわ寄せがすごそう、、、
結婚も見据えいずれ日本には帰る予定でいたので、最初の契約が満了する2年で辞めることにしたのです。
②想像以上の多国籍の同僚、乗客との関わりの中で神経をすり減らし、すぐにイライラする自分に疲れてしまったから
これも私の中では大きな理由でした。
今となっては退職してから5年も経ったので心穏やかに話すことができます。恥ずかしながら、当時は口を開けば何かしらのヤバいエピソードやトンデモ乗客のことを話していました。
とにかく、日本では考えられないような珍事が起きたり、全然働かないのに口ばかり達者で上手いこと立ち回っている同僚とフライトしてイライラしたり、理不尽な扱いを受けたり、穏やかな普段通りの自分でいると舐められたり、あげればキリのないほどストレスのタネは豊富でした。
(当時の自分にあったどす黒い感情は今思い返すとびっくりするくらい酷いものだったと思います。あと、嫌なことは早く忘れよう忘れようとがんばっていたので、今やあまり思い出せません笑)
この会社でCAをやっていた当時は、英語で話す口調もキツくなっていました。
もともと英語を話すときは日本語で話すときよりもハキハキと話すことが多かったですが、言葉の端々にトゲがあったような気がします...
この環境にいる限りこの尖ってしまった気質はたぶん治らないだろうと思い、帰国を決めました。
③毎回同じ仕事内容に飽きてしまった
行き先は毎回のフライトで違っても、基本的には業務内容は同じです。
ブリーフィング→搭乗準備→お客様の搭乗→飛行中のサービス→着陸→お客様の降機→座席チェック→サインアウト
ざっくりこんな感じでした。
一般的な会社と違って、新しいプロジェクトとか、新しいタスクとかを任されたりすることはないので、一旦業務に慣れてしまうと、サービスに関しては頭をつかって深く考えなくてもできるようになってしまうのがこの仕事の特徴だと思います。
もちろん安全に関わることや各々のお客様対応については別ですが。
テストを受けてエコノミークラス担当からビジネスクラス担当に昇格してビジネスクラスのサービスを学ぶというステップアップの方法はありました。
でも、エコノミークラス担当を2年間やったら自分の中で満足してしまったんですよね。
多くの日本人CAは5年以内にはほとんどやめてしまう職場でしたが、中には10年以上勤めて客室責任者(CSD)になっている方もいました。
毎日同じような業務内容のなかにも自分なりの楽しさややりがいを見出し続けないと、この仕事はなかなか続けづらいと思います。
当時の私には単純にそれができませんでした。
まとめ
今となって当時を振り返ると、私にはCAという職業は向いてなかったんじゃないかと思います。
もしくは向いていたかもしれないけど体力や精神力が足りなかった…
でもこの航空会社でCAの経験をしたことで、世界中の国に行くことができて視野が広がったので、2年だけでもCAをしたことに1ミリの後悔もありません(^^)
HSS型HSPの好奇心を満たすには十分すぎるほどの刺激でした!
たぶん、もうちょっとフライトスケジュールに余裕があって、自分の器が大きかったらあともう2年くらいは続けられたんじゃないかと思います。笑
辞めてから5年も経つと、辛かったこと大変だったこと全部含めて私の大切な記憶になっています。
思い出は美化されるってやつですね。
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