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【TEALABO channel_13】「お茶を作り続けるために必要なもの、それは “やればいいじゃん”精神」-菊永茶生産組合 菊永啓史さん-

鹿児島のブランド茶である「知覧茶」の作り手を直接訪ねて、その秘めたる想いを若者に届けるプロジェクト「Tealabo Channel」。

日本茶は全国各地に産地があり、各産地で気候や品種、育て方が違います。そんな違いがあるから「知覧茶」が存在します。一年を通して温暖な気候がもたらす深い緑色と甘みが特徴である知覧茶の作り手の話を皆さんにおすそ分けします。

第13回目は、『菊永茶生産組合』の菊永啓史さんにお話をお伺いしました。

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大人になって初めて踏み入れるお茶の世界

鹿児島市で生まれ育った菊永さん。サラリーマン家庭だったため、高校を卒業するまで茶業に触れる機会はありませんでした。

大学は福岡へ。しかし、1年経たずに大学を中退することに。飲食店でアルバイトをしながら日々過ごす中、知人の畑に遊びに行ったことがきっかけで農業に関心を持つようになりました。

「農業を学びたい気持ちが大きくなった時に背中を押してくれたのは友人の一言でした。「行けばいいじゃん」って。」

その後、『静岡県立農林大学校』の茶業科へ入学。2年間、お茶に関する座学や技術を学びました。2年生になると農家研修としてお茶農家へ実際に住み込みで研修もあったそうです。

しかし、農大で座学等を学んでいたとはいえ、右も左もわからない状態。初めて体験する農家としての生活は、今までの見えなかった農家のリアルな部分をたくさん知ることができ、実りがある時間でした。

受け入れ先の農家さんは優しく、色々と丁寧に教えてくれたり、勉強する時間を作ってくれたりしたそうです。農家研修も終え、無事に農大を卒業。その後は、鹿児島大学農学部へ編入し、茶業だけではなく農業全般について学びました。

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何をすればいいかわからない

菊永さんは鹿児島大学へ編入した時点で就農すると決めていました。就農するといっても、元々お茶農家で育ってきたわけでもないので、継業するわけではありません。そのため、大学で学びながら資金調達や設備等、就農に向けて準備を進めていました。

そして、26歳の春。知覧町菊永地区でお茶農家として就農することになります。形態としては、個人農家でありつつ、『菊永茶生産組合』(以下:組合)の組合員として所属する形でした。

実は、亡くなったおじいさんが知覧町の菊永地区で茶業をしていたことや、出資していた組合員だった背景もあって、菊永さんも組合員になったそうです。畑はおじいさんが所有していた畑を使うことに。しかし、いざ作業を始めようとすると問題が発生します。

「就農できたのはよかったのですが、どこから何を始めればいいかわかりませんでした。組合員から「肥料を蒔く時期だぞ」だったり「この肥料は虫に効かないから、あの肥料がいいよ」と教えてもらって初めてわかることばかりだったんです。」

「組合では肥料の種類や摘採の時期等、大体決められていました。わからないことを聞けば、組合員の皆さんが色々教えてくれたので、とても助かりました。」

これも元々農業の世界が身近ではなかった菊永さんなりの苦労。それでも最近は逆に組合員から頼ってもらうことも増えたといいます。

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変化に関わることで

就農して12年。お茶農家として、組合員として、日々過ごす中で直面している課題についてお話してくださいました。時代の変化と共に、後継者が減り、その分、組合員も減って、今までできたことができなくなってくる。そうなってくるとお茶の製造もできなくなり、自分たちの生活も成立しなくなってしまう。

そのような危機感を感じているといいます。

「直面している危機に対して、“今”変えないといけないと思っています。“何を”“どう”変化していくかについて、今後の担い手でもあり若手でもある自分たちが関わっていく必要があるのではないか。もっと先輩たちとも向き合っていく必要があるのではないか。」

途中、目を潤ませるシーンもあり、それだけ菊永さんが感じている危機が目前に迫っていることを強く感じました。そのためにはどうすればいいのか。そもそも、若手が感じる課題と先輩たちが感じる課題は同じなのか。
そこの向き合い方をどうしていけばいいのか。

話を広げていくと、変化する前の過程でも、クリアしていかないといけない点がたくさん出てきました。

「変化に関わることは一人ではできないことです。組合員一人一人のサポートが必要なので活発にやりとりをしていきたいです。」

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お茶を作り続ける

組合という組織に所属しているからこそ、そして、元々サラリーマン家庭で育ってきたからこその考えが菊永さんにはあります。

「組合は34組の農家で構成されていますが、後継者以外にも、その配偶者だったり両親だったり、様々な組合員がいます。個人農家であれば後継者がいないと難しいかもしれませんが、組合は多くの人が関わって成り立っているんです。畑も工場も整っていて、色々な能力を持った人たちが集まっている。これだけ揃っているってすごいことですよね。」
「だからこそ、「後継者がいないからお茶を作れない」ではないと思うんです。お茶農家の子供じゃなくても、お茶は作れます。「後継者がいないからやめよう」なんてできません。」

そんな菊永さんが大切にしたいこと。それはお茶を作り続けることです。
組合は来年で茶工場ができて50年を迎えます。それを100年、そして200年と続けていけばすごいですよねと笑顔で話されていました。

お茶を作り続けていれば、菊永さんのように何となく関心を持って茶業の世界に踏み入れる人が増えるかもしれない。「農家=後継者」という概念が変わってくるかもしれない。

そんな気がしてなりませんでした。

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やればいいじゃん

インタビューの最後に菊永さんが大学を中退された時の話になりました。

「僕は学生時代、やりたいことや夢はありませんでした。でも、福岡で農業に関心を持った時に友人が何気なく放った「行けばいいじゃん」が僕の人生を大きく変えてくれました。」

「やればいいじゃん」の精神があったからこそ、茶業の世界に足を踏み入れられたし、今の自分の軸になっていると思います。その精神を意識して、これからも色々なことをやっていこうと思います。とにかくやらないと何も始まらないですから。

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何気なく関心を持ち、何気ない一言で人生が変わり、それが軸となった菊永さん。迷ったらとにかくやる、ダメだったら違うことをやればいい。難しく考える必要はない。

そんな姿勢の菊永さんのお話を伺って、人生ってどこでスイッチが入るかわからない、だからこそ、楽しいのでは。「やればいいじゃん」精神の先に、変化があって、お茶を作り続けることに繋がるのでは。

菊永さんの軸や培ってきた精神はお茶農家としてだけではなく、他の分野でも様々な生き方にも通じるものだと感じました。

『菊永茶生産組合』のホームページ

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【プロフィール】
菊永啓史(きくなが ひろふみ)
菊永茶生産組合 組合員
1983年鹿児島市生まれ。福岡の大学を中退後、畑仕事に魅せられ静岡県立農林大学校、鹿児島大学へ進学し、茶業、農業経営について学ぶ。卒業後、祖父の茶園を引き継ぎ就農。菊永茶生産組合の組合員として自園の管理、生産組合の運営に携わる。

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