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毎日が違う季節かのように生きるための七十二候

春分や夏至といった二十四節気はかなり生活に定着していて、冬至のときはカボチャなど、個々の行事食として定番の食べ物も分かりやすい。ただし30年近く生きていると節分とかも二十数回はしている訳で(小さい頃の記憶はないけど)、お茶の写真を撮り始めてから数年の間だけでも、毎年豆の写真ばかり撮っている。

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毎年同じように一年過ごせること自体はいいことだし、そう思える機会が誕生日以外にあるのも嬉しい。そんな機会は、もっと増えていい。

二十四節気があるように、細かく見ていくと季節は4つどころではないと思ったのは、上の記事にも書いたような大学の茶道同好会での経験から。週に1回お稽古をしているとき、先週と今週はもう違う季節だと気付いたのだ。もっと細分化していけば、今日と明日も違う季節なのではないか?

予想通り、毎日写真を撮っていったら、一日一日はグラデーションになった。急に寒い日、あったかい日があっても、ある日突然春になるのではない。季節は365個あるかもしれないし、毎日が違う季節かのように生きたいと思った。

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そこから何年も経って、二十四節気をさらに細分化した七十二候というものがあると知った。春分、雨水、といった二十四節気のそれぞれからさらに3つずつ項目が増え、5日おきに切り替わっていくのだ。

しかも中国で作られたオリジナルの七十二候では日本に馴染まなかったので、そこから日本版に改変されているらしい。それを聞くと、今ある七十二候は今後も変わる余地があると思う。少なくとも、現代らしい七十二候があっていい。

きっとこれから節分も正月もクリスマスも繰り返していくだろうけど、さらに季節の区切りが増えると、どうなるのだろう。季節が12個しかないかのように漫然と1月が2月になり、季節が365個あると感じにくい今の生活は、どう変わるだろうか。


参考にしたのは神宮館編集部さんのこの本。各七十二候ごとに、その時期の野菜や虫、魚介、花などが載っている(時期ごとの開運アクションも載ってて面白い)。私は日々お茶とご飯の写真を撮っているので、食べ物が取り入れやすそうだ。

もっと言うと、私は「これもお茶だ」と言っている割に、お茶の写真ばかり撮っている。そりゃお茶を撮ってるんだからお茶だよ、と本人は結構前から思っている。

さらに言うと、お茶が写ってなくても、目の前になくても、あぁお茶があると思えるような写真が撮りたい。

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私は「これこそがお茶だ」と言えるお茶の本質らしきものには興味がないし、正解も知らない(ひとつではないと思う)。でも私が「お茶」だと思って嬉々として取り組んできたのは、「昨日と今日が違う季節かのように生きること」だし、私にとって「あの茶道同好会で学んだお茶」は、それ以上の何物でもない。

「昨日と今日が違う季節かのように生きること」が茶道の本質じゃなかろうと、私にとってそれ以上に大事なことはない。

つまり私にとって一番楽しいお茶の要素は、季節と連動している生活そのものなのだろうなと思う。季節から離れた非日常の中ではなく、生きている空間の中にある。そんなご飯を作って食べて、そんな景色が写ったら嬉しい。(それが写真に撮れなくてもいいのかもしれないけれど、できれば撮りたい。)

そこで、日常的なお茶の写真に加えて、七十二候ごとの写真も撮っていこうと思います。と、わざわざ言うのは、そこにお茶をなるべく写さないからです。先ほどの本に載っている時期ごとの食べ物や植物を撮って、それがあからさまなお茶じゃなかろうと、しれっとアップしていきます。

「お茶が写ってなくてもお茶」という写真に少しでも近づいて、目に映る世界を広げていけるなら、生きたい人生を生きるツールを増やせているのかなと思います。

何より純粋に、一年後には季節に関する知識が増えて、私以外の人が見てもお茶の概念が広がるような、そんなまとめになっていたら幸いです。

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