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言葉にして吐き出したら、少しは楽になるんだろうか?と思って書いてみる話。

どんなひとにも、胸の内に抱え込んだり溜め込んだりしている想いの丈ってあると思います。

それは、敢えて外に出さないようにしっかり抱きしめているポジティブなものと、出したくても出せなくて抱え込むしかないというネガティブなものとが、あるでしょう。

特に後者については、個人的に、延々続けるのはしんどくて嫌な性分なので、思ったことはその場で口に出したりSNSに投稿したりして、発散させてしまうことが多い。

そうすることで、自分の心を守ってきました。自分の機嫌を取る、と表現されたりもしますね、最近は。脱線しますが、とても好きな表現です。誰かから貰うハッピーは手放しで嬉しいし、貰えるもんならいくらでも欲しい。でも、それでなくてはハッピーになれない、という依存をひとたび起こしてしまうと、それはそれは、かなり病んでしまうと思うんです。自家発電できる人で居たいよね。

最後の最後に自分に優しくできるのは、自分でしかないんだろうなぁと思う。逆も然り。叱咤激励できるのも、何かを決めるのも、最後の最後は自分でしなくては、人は納得できないと思うんですよね。

で、話を戻して、自分の機嫌を取るために、わたしに必要なものは「言葉にすること・書くこと」なんだなぁ、と、最近noteを書くようになって、改めて気付きました。「言葉にして吐き出す」ことで、大多数のもやもやを昇華することができる。

そうだ。そう。わたしには、書いて昇華させることができるんじゃないか。それならば、かれこれ4年程抱え込んだこのもやもやも、ひょっとしたら。

なんて、半ば祈るような気持ちで、このことを書こうと決めたのでした。

ここいらで、ちゃんとけじめを付けなきゃいけない。いつまでも、顔で笑って心で泣いてたらいけない。別に泣いてないけど。このままじゃ、ずっと縛り付けられたまんまだ。いや、別に、勝手に縛られてるのはわたしなんだけど。とっくに縛るものなんて消えてるんだけど。わたしが、縛られていたかっただけなんだけど。

もしかしたら、また、なんて、どこかで期待してしまっていた、というだけなんですよ、とどのつまりは。しょっぱいな~自分。ばかだな~自分。って。本当は気付いているんです。書くこと、じゃなくて、言葉にすることで、自分がひた隠しにしてきた化膿している傷口を光の下に曝け出して、向き合うことをしないと、完全に駆逐できないって。

いや~でも、それをしても、恥をさらしても、駆逐できないかもしれないしな~って、ずっと溜め込んできた。でも、一回やってみようというところまで気持ちを持ってこられたから、やってみよう。これは、自分のためのnoteです。誰かに伝えたい、読んでほしい、という気持ちの元に書くものではない。お目汚しでごめんなさいね。たまにはいっか。

あの頃は、ちょうど離婚したてで、気持ち的にもめちゃくちゃ開放的になっていた時期でした。え、まって、離婚してまだ丸4年くらいしか経っとらんの?やばいな、もっと経ってる気がしたわ。毎日濃過ぎ。有難いけど。

今でこそゴリゴリの劇場おたくですが、当時はゴリゴリのライブハウスおたくでした。大型フェスもめっちゃ行ってた。バンドだいすき!ナマ音だいすき!それは今も変わらずで、またすぐにでも行きたいから、はよコロナおさまってほしい。

ま、やってることは今と大して変わりません。推しバンドのライブのために西へ東へ。楽しかったな~。お友達と旅行するのも楽しかったし、大好きな音楽をナマ音爆音で全身に浴びるのも気持ちよかった。そして、バンドメンバーとの距離の近さも新鮮で楽しかった。それまでずっと大きな事務所のアイドルを追っかけてきたので、推しが、こんなに近く、目の前で、弾いてる歌ってる喋ってる!!っていうのはかなりの衝撃でした。

中には、ライブに通う内に顔や名前を憶えてくださる方なんかもいて、入り待ち出待ちなんてせずとも、対バン転換中にフロアでおしゃべり出来ちゃったりなんかもして。まあ今考えれば、鳴かず飛ばずながらも根気よく続けているバンドも多かったから、新規客は目立ったんでしょうね。持ちつ持たれつってこういうことだなぁ、と、マーケットが狭い場を見て学ぶことも多かったりしました。SNSを如何にして利用するかとか、色んな意味で勉強さしてもらいました。

そんな推しバンドの中で、別格なバンドがありました。今はもう解散しちゃってるんだけど(本人たちは活休っていってるけど、実質上解散やであんなもん)、自分が推してるバンドの中ではランクがレベチ。活動歴も認知度もファン数もカリスマ性も抜きんでてた。さすがにその人たちは、おいそれと近づけなかったし、近づいちゃいけないと思ってました。後ろ盾が大きくなればなるほど、マーケティングが大きくなればなるほど、実質的な距離は遠くなるのが世の摂理であって、近づきたいとも思ってなかった。このバンドとは、ステージの上と下という関係以上のものを望む事なんて烏滸がましい。そう思ってました。

まあ、大手だの認知度があるだの言っても、当時の他の推しバンドに比べたらというだけ。武道館でワンマンしたことあるとか(1回だけ)、某有名アニメの主題歌をやったことあるとかその程度で、テレビにもほぼ出てなくて、今の最推しバンドである緑黄色社会やマカロニえんぴつの足元にも及ばないようなレベルでしたけどね。そんなバンドの、珍しく、ボーカルのファンになりました。基本、自分はベース耳なのでベーシスト推しになりがちなんですけど、そのバンドだけは、特別だった。あ、そうか、こんな時にするっと出るもんなんですね、本心って。


特別


そう、わたしにとってあのバンドは、あのボーカルは、特別だったんです。純粋に、ファンでした。紡ぐ歌詞の世界観も、喋ってる言葉も、ちょっと捻くれた感じで物事を見て考えるところとかも、いいなぁ、と思った。

憧憬というか。ちょっと自分に似ているところもあって、あ~その思考回路めっちゃわかる~って思うたびに、ファン心理は高く深く大きくなって、ああ、好きだなぁと思うようになっていました。あくまで、ファンとしての好きです。その人と付き合いたいとかそういうよこしまな気持ちは一切なかった。交わるはずがない世界の人ですからね、そんな風に考える余地すらなかった。そんな余地、後にも先にもないままで良かったのになぁ。

夢小説とかっていうのもあるけど、あんな感じの、推しと出逢っちゃった(はーと)みたいなシチュエーションって、人生に推しが存在する誰もが、一度は、妄想したことがあるんじゃないでしょうか。

そんなこと起こるわけない。遠く別世界に居る推しが、数多いるファンの中から自分を認知してくれて、声を掛けてくれるなんて、そんなことあるわけない。そう、ちゃんとわかっているのに、そんな奇跡みたいなことが起きたらいいな~なんて、心の何処かで期待したりして。

でもね、人生って、何が起こるかわからないんですよ。そんな奇跡が起きちゃうことも、あるんですよ。

事の発端は、そのバンドの福岡公演に行ったときのこと。行きの飛行機が着陸して機内モードを解除した瞬間、そのボーカルがフォローバックしてくれたよ、というSNSの通知がスマホに浮かんできた。友達と一緒に、は!?どゆこと!?なに!?え!?ってプチパニック。でもまだその頃は、へらへら嬉しい楽しいの気持ちだけしかなかった。

後から考えると、いつもお世話になってるお兄ちゃんみたいな人とそのボーカルが旧知の中で(それはずっと知ってたけど、繋げてほしいとは恐れ多くてとても言えなかった)、友達がわざわざ東京から福岡のライブに行くらしいよ~、なんて一報を入れてくれたんでしょうね。そうじゃなきゃ、あのタイミングであんなことになるわけないもんな。

めちゃくちゃびっくりしたし、しばらくは信じられなかったし、ご操作で間違えてタップしたとかで、そのうちしれっとフォロー外されるんだろうな、くらい思ってました。でも、そうじゃなかった。フリート的なやつも見に来てくれるし、なんなら投稿にいいねくれたりコメントくれたりするし。
これぞ青天の霹靂?一方通行だった矢印が双方向になっちゃってる!!
ナニコレ夢小説!?って思ってました。わりと真面目に。

そのあとも、思い返せばけっこうスピーディーな展開でした。さほど重要じゃないのでそのあたりの詳細は割愛しますが、とあるイベントで初めてちゃんとお会いしました。ステージの上と下じゃなくて、居酒屋の席の横並び。SNSのアカウントはわたしだとわかっててフォローバックしてた、つまり認知されてた。もちろん彼のファンだというのもばればれ。

びっくりするくらい、パーソナルスペースの狭い人で、ちょっと引いちゃうくらいに間合いを詰めてくるのが早かった。こっちの好意とか浴びるほど飲んでたお酒とかも作用したんでしょうけど、アーティストといちファン、という明確な距離があっても、あんなに惹かれて仕方なかったのに、その距離が一気に消滅したら、吸引力もフルスロットルだった。

とんでもなく顔を近づけてきたにっこり顔を見た時、嬉し恥ずかし舞い上がる気持ちとは対極にいた超絶冷静な自分が「こんのひと誑しめ」って無意識に口を滑らすくらいには、ひと誑しだった。男女関係なく、みんなこの人のことを好きになるんだろうな、って、近づいて一瞬で分かった。それと同時に、とんでもないカスだろうなぁ、とも。
まあ尻軽さについては、他人に説教できるような尻重じゃないので、口笛吹いて誤魔化しときますが。

そのイベントの終了後は、それこそ夢小説の鉄板展開みたいな感じで、酔っ払った推しをタクシーで自宅に送り届け(友達もいたので3人)、なし崩しで上がり込んでそのまま雑魚寝して、明け方になんでか良い感じになっちゃってそういうことになっちゃって、気付けばLINE交換して後日プライベート時間に呼び出されておうち行っちゃうような感じになっちゃって、でも、恋愛関係ではなくて、所謂そういうフレンド的なやつで、その関係性が個人的にはめちゃくちゃ欲していたものだったし、快感だったんですよね。

日がな一日、抱き合って微睡んでテレビ見て抱き合ってご飯食べてテレビ見て抱き合って眠って。三大欲求が満遍なく針振り切れるくらい強いもんで、そんな風に日に何度も抱き合えるひと、しかも、ファンだったひととそんな風になれて、半年くらいだったけど、良い想いをさせてもらったなぁと思ってます。そっちの相性もさることながら(いや、ぶっちゃけこれが一番大きかったんですけどね)、アニメとか落語とかカレーとか、そういう趣味の面でも好みが似ていたから、いちゃつきながら話しをするのも楽しかったし、こんな時間がずっと続けばいいなぁ、と思ってました

野外フェスでエリアいっぱいに埋まったファンを前に歌い上げる姿をちょっと遠くで見ながら、あ~わたしあのひとに抱かれたんだなぁ、っていう優越感も味わわせてもらいました。貴重な体験よな。地方でサーキットフェスの前日、台風が往路直撃っぽいぞ、行けるか行けないか!?みたいな臨場感を、事後のベッドでくっつきながらスマホ覗き込んで味わった夜もありました。結局明け方にGOサインがでて、ちょっと膨れっ面でいってきまーすって言われたの思い出しちゃった。可愛かったな。ああ、わたしちゃんと好きだったんだな、あの人のこと。

ちゃんと、好きですって、自覚するにはすこし想いが足りなくても、奮起して告白して、玉砕しとけばよかったなぁと、いま思うのはそればっかりです。結局すぐにあの関係性が終わってしまうんだとわかっていたら、当たって砕けてしまった方が、きっとよかった。こんなにも何年にも渡って、ぐずぐず、もしかしたら明日、久しぶりに連絡くるかも、なんて、未だに心の何処かで、惨めな期待をしながら生きずに済んだのにな、って。

あの時は、恋心を見せないことこそが、関係を続けていく術だと思っていたんです。すこしでもそんなそぶりを見せたら、ぶっつりと絶たれてしまう。そんなふうに怯えていた。なんでだろうな。自分自身が真剣な恋愛をするのが怖かったのもあるし、遊びの間柄というものに、憧れていたところもあったのかもしれない。だから、お兄ちゃんにも身近なひとにも、彼とのこと話さなかった。匂わせもしなかった。

彼はひと誑しだし、自分みたいに都合のいい相手は他に何人もいるんだと思ってたし、実際、後から見たら、当時の某掲示板では常にそんな人たちの肉声がだだ漏れだった。でも、あのとき、ちゃんと向き合っていたら、何か変わっていたんだろうか?最後に来たLINEは「彼女出来たからもう会えない~」みたいな感じのだった。トークルームはバッサリ消したからもう遡れないけど。あ~終わったな。って思った。どうせ他のお気に入りができた口実だろうと思っていたけれど、違った。本当に本命の彼女ができてた。

その彼女さんはそのバンドと直近で仕事したことがあって、出会いの時期もほぼ同じだったから、取られた気がしたんだなぁ、単純に。まあ、きれいに磨き込んでいる女優さんに平々凡々な一般人バツイチ女が並べるわけもなく、彼だって女優さんの方が良いに決まってる。でもね、きっと距離を縮めたのはおんなじくらいのタイミングだった。なんならこっちの方が先だったかも、なんてタイミングだったから、未練たらたらだったわたしは、その年はそれまでと変わらずにライブに通いながら、その会場で彼女さんを何度も見かけて、そのたびに、打ちひしがれてた。ライブなんてこれっぽっちも楽しくなかった。彼女さんへの妬み嫉みが膨らんでいくばっかりだった。

そして時代はコロナ禍に突入して、バントが解散して、浮いた話も聞かなくなって、なんとなく、きっと二人は良い感じにまとまってしまったんだな、と思っていた矢先、結婚しました~ってお互いにSNSで公言してくれやがりました。

あーあ、ついにか~。ショックだっだ。結婚なんて一生しないんだろうな、いや、してほしくないなって思ってたんだな、わたしが勝手に。人妻になってしまったら、いよいよどうにも手が出せなくなってしまうしさ。なんて。自分から連絡する勇気はなかったくせにね。なんか、でもその知らせを目にしてから、ずーっとあの蜜月の頃を思い出してしまうくらいには、わたしは未練の只中だったんだなぁ、と、その事実にぶん殴られてめそめそしている今日この頃だったのです。

はぁ。こーんなことを長々と書き散らかしたことで、何がかわるんだろうか?すこしはすっきりしたのかい?駆逐できたかい?わたし。

正直いまは何の実感もないです。なんなら、思い出しながら書いていたせいで、最後に一回修める気持ちでヤりてえくらいの感じだわ。サイテー笑笑。

あー、でも、ずっと悲劇のヒロイン気取りで奪われた捨てられた、って自意識過剰だったけど、その気持ちは薄くなったかもしれないな。そりゃそうだよ、わたしでも女優選ぶわ、綺麗だもん。って一回思えたわ、書くことで。

もう一生ファンには戻れないし、その歌声も奏でる音楽も、すっかり拒否するようになってしまって、それは少し残念だけれど、もっといい音を探して元気に生きていきます。お幸せにね、とはまだ言いたくないけど、一生不幸で居てくれ、なんて呪いをかけることはもうなさそうだな。よかった。

いつ何時、フィクションみたいなノンフィクションが起こるかもしれないぞ、って肝に銘じて、いつでも胸を張っていられる自分で居ようと思えるようになったことを、あの人に感謝して、さあ、自分のための自分のお話は、このあたりで仕舞にしましょう。

ちゃんちゃん。

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