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みんなちがってみんないい?

私が小学校の教員となって約10年ほど経ちます。たった10年の間に学校は「合わせること」を強く求められる場所になったなと感じます。

授業の仕方,声のかけ方,掲示物の貼り方,掃除の仕方,給食の配膳の仕方などなど、、全てにおいて学校で「同じ」学年で「同じ」周りと少しでも違うことが許されなくなってきているように感じます。そりゃ型は大切だけど。慣れてきたらそれぞれの色があるだろうと。

子どもの頃はクラスごとに色が違いました。色々な先生がいました。働き始めた頃は個性豊かな先輩を見て「〇〇さんのこれは真似しよう」「△△さんのこれは違うなあ、、」何て考えながら学んでいました。

それぞれに色があって,「〇〇な子を育てたい」という想いがあるからこの仕事は魅力的だなあと思っていました。

プロボクサーを目指したのもこの辺の考えが大きかったからです。学校に1人位こんなのいても良いだろうと。

特に教員初期にユニークな先輩をたくさん見て,たくさんチャレンジをさせてもらっていたのでこの感覚が強いです。もしかしたら私がとてもラッキーだっただけかもしれませんが、、

最近は,学校で話をしていて「○○やりたいんですけど」とか「〇〇辞めたいんですけど」とか伝えても「他のクラスは・・」とか「他の学年は・・」という言葉が最初に来ます。(去年は師匠が大体OKをしてくれていました)

「合わせること」をあまりに強いられると「担任自分じゃなくても良くない?」という気持ちになってきます。なんならAIに代替できるぞと。

教員は働かせ放題,叩き放題だと思っている世の中がそんな学校を作ったのかなと思いますが,それだと学校はどんどんつまらなくなっていきます。せっかくテクノロジーも発達してきたし,それぞれの教員が想いを持って本気出せれば,絶対に面白くなるのに。若くて面白いこと考えられそうなのに萎縮している人も多いです。

こっちも必死でやるからもっと世の中には優しくなって欲しいし,偉い人には現場をちゃんと見て欲しい。「みんなちがってみんないい」学校を作りたい。

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