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『いのちの帰趨』音読会開催レポート ~ 鎌田東二先生をお迎えして

 2023年9月に4回に渡って開催した『いのちの帰趨』音読会が、9月23日秋分の日に最終回を迎えました。この日は『いのちの帰趨』の作者である宗教哲学者の鎌田東二先生をお迎えしてお話を伺いました。
 
 この会の趣旨は『いのちの帰趨』を声に出して読み、耳で聞き、感じ、味わうこと。参加者同士がシェアリングをして語り合い、更に深く味わい思索を深めることでした。『いのちの帰趨』を毎回声に出して音読し耳で聞くことで、黙読だけでは気づかなかった詩そのもののダイナミズムを感じたり、言葉にならない畏怖や畏敬の念を感じたとお話しくださった方もいます。

第4回で取り上げたのは『いのちの帰趨』の最終詩でもある「火伏せの山」。この詩を音読し、小部屋でのシェアリングした後に、「火伏せの山」の気づきと感想を全体でシェアしながら、鎌田先生にお話を伺いました。


『いのちの帰趨』(出版 港の人)より一部抜粋。
宗教学者の鎌田東二のがん闘病詩集。グリーフケアの専門家は自らのがんにどう向き合っているのか、死を受け入れ、揺れ動く心を率直に記した、入院中、退院後の詩30篇を収録。

この記事では、鎌田先生へのQAを中心にまとめてみます。

鎌田先生への質問

Q. 詩はどのように生まれるか
A.
歌を作るときも詩を書くときも、全く考えない。思考を停止して、言葉が流れゆくまま自分は受信機になるだけ。「火伏せの山」もそのようにして生まれた。自分の中にあるのは、「撒く」とか「配る」ことがこの世における自分の役割だと感じてずっと生きてきた。大きな危機の中にあると思っているので、危機の中にあるその先をどうサバイバルして生き抜いていくのか?という問いの中にある思いが、結果的にこの詩になった。

Q. 火伏せの山に対する質問を受けて
A. 比叡山は元々は活火山だった(と近所の床屋さんに聞いたそうです。)3000m位あったのかもしれない。比叡山の端から大文字山の端までのすそ野が数キロあり、稜線が続いていた。昔は湖だったかもしれないし、恐竜も住んでいたかもしれない。花崗岩で出来、噴火して白い砂になって、白川通りは白い砂になっている。火山の造山活動は、私たちの生きている場所そのものの根底に火山があると言える。いのちを育むのは水だが、水を生みだす基盤はマントルの中にある。火に立ち返る。水を生きる。という両方がある。

Q. 『いのちの帰趨』の創作経緯について
A.  昨年12月暮れと今年1月大腸癌の手術のための入院の間に『悲嘆とケアの神話論-須佐之男と大国主』(春秋社)を書き上げてひとつ区切りをつけた。1月10日再入院。1月11日手術。術後の経過は良好だったが、乳糜腹水という合併症を併発して入院が長引いた。1月17日に友人からメールが来て、大文字を見ながら最初に書いた詩が「指先に告ぐ」である。そこから毎日書き続けた。1月17日から3月21日まで、入院中と退院後に書いた。(鎌田先生はステージⅣの診断を受けて現在も闘病中です。)
書くことが自分の病気である。書くことが自分のいのちでもある。書くことが自分の業でもある。書くことが自分の使命でもある。いろんなプリズム、スペクトルをもっている。
 自分は病気だと思う。外れている。社会の間尺に合わない。詩は火山の噴火のように裂け目から出てくる。噴火口のように。口や指が噴火口になる。押しとどめようがない。17歳から詩を書き始めて、「これでいいんだ」と思えるまで55年位かかった。

Q. 詩や歌を受信するときの傾向、時、場所、出会いについて
A. 受信の場所、時は限定されない。いつどこでも起こりうる。最短で作った歌は、渋谷のJRの階段を上り始めて登り切った時に出来た曲がある。(突然「この光に導かれて」をアカペラで熱唱。)曼荼羅のように全体が瞬間的に写し取られる時がある。入院中はベッドの上で大文字山を見ながら作っていた。

Q. バク転のきっかけは?
A. 母の胎内でへその緒を3巻き首に巻いていた。母も難産だった。そうして生まれてきた時、血の気がなく死にかけていた。母の胎内でグルグルと回っていたのだろう。小学校5年生の時、友達と一緒に練習して、県の大会に出ると、もっとうまい人がたくさんいたので、オリンピックは諦めた。私には先生はいない。コーチなしにバク転をすることで、人間のコーチではない、自然や様々なコーチに出会った。自然のメッセージを感じる原点になった。いのちの帰趨を感じる原点になった。

Q. 笛を吹くきっかけは?
A.
横笛を宮内庁の先生について学んだが、何だか違うような気がした。自分がやりたいのは、曲を練習することではなく、音を響かせることだった。

鎌田先生による朗読

(質疑応答の流れで、鎌田先生が大切にしている詩「大妣の文学者・遠藤周作に捧ぐ」を朗読してくださいました。)
入院中に編集者とのミーティングで出版社「港の人」で詩集を出すことになった。3月20日に長崎市遠藤周作文学館を訪ねて、文学館のラ・メールというレストランでカツカレーを食べながら書いた詩がこの詩である。自分の誕生日でもある3月20日で区切りにしようと思っていたが、3月21日におまけが出来た。「春のことわけ」という詩である。

(鎌田先生のリクエストで「火伏せの山」を音読された男女お二人の参加者の朗読を聞いて)
 先生が若い頃にいちばん共感できた哲学的命題は、中世の神秘家ニコラウス・クザーヌスの「反対の一致」である。あらゆる対立する対局にあるものが根底の中で一致する。草木国土悉皆成仏。なぜ進化あるいは変化のプロセスの中で、対局であるものを生み出していくのか。対立だが一つになっている。自分の中にいのちという構造がある。改めて女性と男性の声を聴いてそう思った。
 3番目に書いた神話詩集『狂天慟地』で最終詩にしようと思っていた。発行日は2019年の9月1日。関東大震災の記念日でもある。天は狂い、地は戦慄いている中で、どうやって生きていくのかと。ところが自分が恐れていたこと(コロナのパンデミックやウクライナ戦争)が次々と起こっている。私も旧約聖書の預言者の様に激しく告発をしたい気持ちがあったが、これだけシステム化した世界では難しい。そのようにして願いを込めて詩集を出してきた。自分の声の痕跡を残したいという思いがある。詩集の音読会をひと月かけてやってもらって、シェアして考えてもらうことで、救われる。生きていく力が湧いてくる…という感じがしている。


ファシリテータ―の松倉福子さん、著者の鎌田東二先生

 
 以上、現在ステージⅣの癌闘病中の鎌田先生に実際に詩を読んで戴き、詩がどのように生まれるか、また大きな危機の中にある日々をどう生き抜くかというお話を伺いました。参加者一人一人が深い気づきと生きる力を戴いたような気がします。
 鎌田先生の言霊や音霊を皆さまとご一緒に深く味わう機会を戴き、ほんとうにありがとうございました。『いのちの帰趨』の終わりない旅を今後も続けていきたいと思います。

(ファシリテーター 松倉福子さんによるレポートでした)


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