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第18回 村長散歩日記【村内編】 230622(毎週ほぼ木曜配信)

 
島田啓介マインドフルネス・ビレッジ村長による村長日記です♪)
 回覧板代わりの村長日記。
 長い梅雨のさなかです。雨が続くととじこもりがちになりますね。ひとりでいる時間も、落ち着くための贈り物かもしれません。最近『ひきこもり図書館』という変わったタイトルの本を読んでいますが、内省的になれる文章が満載です。
 ビレッジは村外向けの参加自由のイベントもあります。興味を持ったらぜひいらしてくださいね。
 
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【第18回:マインドフルなおしゃべり~縁側】


*ぼくはおしゃべりがとても好きで、気がつくともうしゃべっている。家でも変わらないので、家族にうるさがられることもある。
 仏教の十善戒「不綺語(ふきご)」は無意味なおしゃべりの戒めだ。耳が痛い。
 それでも人の悪口と愚痴を言うのが嫌である。そういう話題が出たときには、「あの人もきっと事情があるだろうからさ」とか、「そういえばこういう見方もできるね」とか言いながら、流れを変えるようにする。自分が良い気分でいられなくなるからだ。自分の気分はとても大事だ。それによって場の雰囲気も変わる。

本記事の写真は全て島田啓介村長にによる提供です。

 無目的にしゃべることは嫌いではない。そこからいいアイディアが生まれることもある。できれば上機嫌で、相手も同じように楽しい気持ちでいてくれたらと思う。そういうおしゃべりがしたい。
先日突然声をかけてもらって会った友人とは、とくに用事があるからではなく、お互い会いたいから会ったのだ。そういうときには、ただ無目的に話す。沈黙も心地よかった。会いたいときには、「ただ一緒にいたいから」会うのだ。
 「いる」ことは、沈黙がベースである。話すときにも、海を見ながら何気なくつぶやくように話してみたりする。相手だけではなく、ふたりを取り巻く空間に向かって言葉を放つように。そうして放ったぼくの言葉は、今も波間に漂っているような気がする。
 亡くなった旧友の作家でピアニストの水城ゆうさんが、「縁側」という言葉を大切にしていた。対談でも縁側について話したことがある。それは外と内の境界だ。風通しの良い空間。
そこには亭主(たいていが老人)がいて、お茶やお菓子が用意されている。そばには猫がいたりして、近所の人がふらっと立ち寄ったり、上の子どもがお菓子をくすねに来たりして、それらすべてを亭主は受け止める。
何かが起こるようでいて、何も起こらないゆったりした時間。何かが起こっても、起こってはまた凪(なぎ)に戻る時間。そこに自然とマインドフルネスがある。水城さんとよくそんなことを話した。彼はこの世からいなくなったけれど、彼の縁側は変わらずにある。

 先日ビレッジの「夜の縁側」に参加した。いったい何があるんだろう?という興味からだが、そこには亭主役の源さんがいて、いつものゆるい雰囲気を作ってもてなしてくれた。外と内の境界にある風通しのいい空間。
話しは自ずから、そのとき焚いていたお香からろうそくまでに及び、ぼくはろうそくの絵で有名な高島野十郎のことを思い出し、久しぶりに彼の絵を検索して見直した。それから画集を買うことを決め、先ほど注文した。それも源さんとの会話から生まれた恵みだ。
 「目的を持たずに~する」ことは、マインドフルであればとても豊かな時間になる。友人と海辺で過ごした初夏のひととき、夜の縁側で源さんと話したお香やろうそくのこと、それらは珠玉の過去として、ぼくの記憶の美しい島になっている。
 


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*毎月のスケジュールはこちら(ときおり変更もあるので、必ず以下から確認してください)
https://mindfulness-village.mystrikingly.com/schedule
 


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