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かさこじぞう

 東京書籍の二年生の国語の教科書をに載っている「かさこじぞう。」昔話として有名なお話です。たいそう貧乏なじいさまとばあさまが正月を過ごすのに何もない。家にあったすげで5つのかさを作り売りに行くが、売れない。帰りに見つけた6体の地蔵にかさをつけてあげる。最後の一体にはじいさまが自分のつけていた手拭いをつけてあげる。家に帰り、ばあさまにその話をし、ばあさまもその行為を褒める。そして、その夜はお湯と野菜の葉っぱを噛んで床につく。その夜、地蔵が食べ物を持って恩返しをしにきて、じいさまとばあさまは良い正月を迎えることができました。という話です。多少、絵本によって書かれていることは違いますが、展開はこのような感じになっています。

私が気になったのは、大層貧乏なじいさまとばあさま
それと、6体の地蔵

貧乏とはどこまで貧乏なのか

 大層貧乏というところは二年生の子どもたちにとってあまりぴんとこないところなのかもしれません。家の中に何もない描写が描かれていたり、売れずに帰ってきた晩(大晦日)はお湯と野菜の葉っぱを噛んで寝たりしている様子から、じいさまとばあさまは極限状態の飢餓だったのではないでしょうか。本当に空腹でありながらも、いろりを叩いてもちをつく真似事をし気分を和ませる爺様、それに応える婆様の性格がここから読み取ることもできます。

6体の地蔵

 まず、地蔵とは何かを押さえておきましょう。

地蔵菩薩は、苦しんでいる者の身代わりとなって地獄の苦しみから救い、死者が生まれ変わる6つの世界をめぐって救済したと言われています。
お地蔵さまは、道端でよくお見掛けするほど私たちの生活の身近な存在ですが、お釈迦様が入滅された後、仏に変わって人を救う尊い存在でした。

https://ishiyas.com/お墓参りで見かける六地蔵%E3%80%826体並んでいる意味と/

次に6体並んでいる意味です。

お墓に並んでいる六地蔵は、死後の世界へ旅立つ死者を苦しみから救うために、姿を変えたと言われています。仏教では、人間が死んだ後、生前の善行や悪行によって行く道が6つに分かれていました。
六地蔵の6体は、仏教でいう六道の六を指しており、重要な意味を持ちます。
その6つの道は次の通りです。
地獄道:もっとも苦しみの激しい世界
餓鬼道:飢えと渇きに苦しむ世界
畜生道:弱肉強食の畜生の世界
修羅道;争いやけんかが絶えない世界
人間道:人間が住む世界で、輪廻を避けられる可能性がある
天道:悩みや苦労がない世界でも極楽浄土ではない

https://ishiyas.com/お墓参りで見かける六地蔵%E3%80%826体並んでいる意味と/

 最後に、六地蔵の種類と役割です。

六地蔵とは、諸説ありますが、六道に行って苦しんでいる死者を救うために姿を変えました。6体のそれぞれの種類と役割は次の通りです。
檀陀(だんだ)地蔵:地獄道を救う
宝珠(ほういん)地蔵:畜生道を救う
宝印(ほうじゅ)地蔵:餓鬼道を救う
持地(じじ)地蔵:修羅道を救う
除蓋障(じょがいしょう)地蔵:人間道を救う
日光(にっこう)地蔵:天道を救う

https://ishiyas.com/お墓参りで見かける六地蔵%E3%80%826体並んでいる意味と/

さて、ではこれを踏まえた上で私の疑問を共有します。
「じいさまが手ぬぐいをつけてあげたのは、どの地蔵なのでしょう。」

 もしじいさまが地獄道の檀陀地蔵につけてあげたのなら、今じいさまは最も苦しみの激しい世界におり、案にそこからの解放を示唆しているのではないでしょうか。ですが、私にはそうは思いませんでした。じいさまとばあさまは二人で幸せそうに暮らしているのです。大層貧乏ではあるけれでも、二人は仲良く幸せに暮らしているのです。そこからの解放というのは少し違うのかなと感じました。

 逆に、天道の日光菩薩であれば、悩みや苦労がない世界ではあるが極楽浄土ではない世界からの解放となります。これは、すこしピンとくるのではないでしょうか。じいさまやばあさまにとって悩みや苦労あるにはありそうですが、とにかく二人は幸せに暮らしているのです。ですが、極楽ではない。そして、恩返しとして正月の食べ物を恩返しとして贈られる・・・

成田メモリアルパークの六地蔵

 ちゃんと教科書には、どの地蔵につけてあげているのか挿絵があります。そしてそこからまた考えが深まることと思います。そんなこと子どもに教えることはない!ですが、大人の教材研究として知っておくと面白いのかもしれませんね。

以上、今日はここまで!

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