論文とは担当教授に対するラブレターである。


 臨床心理士コースや教職大学院においては,成果報告書や論文の類を書く必要性があると思う。もちろんコースによっては,義務でないこともあると思うが,書くメリットもあるので言っておく。まずあなたのモチベーションを上げるために言っておくと,教員採用試験合格や,学会発表した場合には,奨学金がチャラになる可能性が高い。「優秀学生は奨学金を返さなくていい」わけだ。ただし2種はダメで1種だけなのでそれは注意だ。返さなくていいのだから多めに借りておくことを薦める。極端な話,その奨学金はFXで溶かしてもいいわけでモチベーションのためにも多く借りることを強く薦める。昔は「教育学部学生は先生になったら奨学金は全員がチャラ」だったらしいのでそこから見ると改悪だと思うが。それでも教育大学生は恵まれていると思う。私自身,学力が低いわけではないと自認してるし,特に文系科目なら人並みには出来ると考えていた。ただ論文に関しては大学でも大学院でも,随分苦労した。そこで反省も踏まえて書きたいと思う。学部,院で論文を書いて何年も経つが,それらが何かで役に立った思い出はない。ということは自己満足でしかない。そうであるならば「奨学金がチャラになる」という分かりやすい報酬」の方がいいのではないかと思う。まずゼミ担当,担当教官と言われるような大学教授と言われる人たちはちょっと変わった人というか,後々で気づいたのだが彼らはエリートでもなんでもなく,就職面接や教員採用試験にコテンパンに落ちて,仕方なく大学院に来たような人たちである。捨てる神あれば拾う神ありである。

教授というのは,中高の先生と比べても,文章や話し方は独特であるし(だいたいが分かりにくい),これはビジネスマンになった後で気づいたが,ビジネスマナー上でも彼らの考え方,やり方は社会常識に欠けている。じゃあそんな彼らは何に則って考え行動してるのか?という話である。

1. 学会論文風文章≠小説やビジネスメール

 話し方もそうだが,こちらが良いと思っている文章でも教授からクレームが来ることが頻繁にあった。優れた人ではなく,分かりにくい話し方,書き方をする人にクレームを貰うのは中々ストレスである。これは後々で分かったが,彼らの多くは◯◯学会というところに所属しており(HPなど見れば書いてある),そこでの発表の仕方,書き方に準拠している。それが独特というか,慣れてない人にとっては酷くまどろっこしいやり方で慣れてないと話せない,書けない。慣れるためには多くの学会に出たり,多くの論文を読むしかない。どれだけ小説やビジネスメールを読んでようが,考え方,書き方が全然違うので対応できない。あくまでも学会に出て,論文を読むしかない。

2.許容量は凄まじく狭い

これはもちろん教授によるのだが,彼らの意識の幅は限りなく狭いと思う。例えば「新型コロナ論文などもってのほか」となるだろう。理由は新型コロナでは先行研究が無いからだ。研究者というのは0から何かを生んでるのではなく,むしろ既存の先行研究を付け足すことしかしていない。お笑いで言えば研究者は「若手漫才」ではなく「古典落語」のような世界である。何十年も同じことしてるというのはある意味で尊敬するが,特に若い人にとってはつまらないことになると思う。「Aの落語とBの落語は全然違うよ」と言われたところで素人から見れば同じにしか見えない。そういう世界が大好きなら研究者には向いてると思うけれど,普通の若者ならつまらなくってしょうがない。研究者というのは残念ながら老人の世界,保守的な世界である。若手研究者では先取精神もあるが,年齢と共にそういったチャレンジ精神は衰退するようだ。そして多くのケースで教授はおじさんやお爺さんである。だから,めちゃくちゃ保守的なのだ。中には歳を取ってもまだまだ先進性のある人もいるけど,多くのケースで年齢とともに保守的になるようである。同様に自身の得意分野でない研究を酷く嫌がる。教授は,自分の不得意分野でも,せっかくだからと取り組んでみるとか,学生をフォローしようとかはない。自分の研究分野以外は興味ないし,やりたくないという人が多い。若手の時はそんなこと許されずなんでも取り組んだと思うが,壮年になると「面倒だかやりたくない」という人が多いように思う。また,「この分野はA先生が得意だからA先生にも聞きなよ」とかしてくれたらいいのだが,そういうのも嫌がる。元々コミュニケーション能力が極端に低いのだから,誰かとわざわざ繋がることをしたくないのだ。まさに象牙の塔である。

だから,結果的に学生のほとんどの論文が「アメリカではAという研究がありました。日本で同じように実験しました。結果はアメリカの研究と同じになりました。終わり」という内容である。本当に馬鹿馬鹿しいが,8割ぐらいはこういう内容であると思う。教授自身が何十年も似たようなテーマで研究をしてるし,若い時はともかく,大学教授として学生の前に出てる時点ではすでに,その研究は古臭く創造的な内容でない。同様のものを学生に求めるわけである。「教授の専門分野の先行研究をなぞる」内容であれば,教授も審査がしやすいし,覚えめでたいというわけだ。学生がやりたがる内容は,普通は先進的すぎて,先行研究などの根拠が取りづらく,「単なる作文である」とみなすことが多い。そういうのは面白いと思うが,お爺ちゃんたちには理解できない,ストレスの溜まる内容になりやすいようだ。

3 だから「ラブレターを書く」だけである。

研究テーマは自分がやりたいことを決めてしまいがちだ。しかし「ラブレター」と言われたら「相手に伝わるように」となるはずだ。そしてこれは「世間の皆様に」ではなく「担当の教授に」である。仮に博士課程まで行くにせよ,生殺与奪を握ってるのは,あくまでも担当教授だからだ。就職が決まってて論文に内容を求めてなくても,何度もやり直しさせられるとか,教授に邪魔をされたくないはずだ。だからこれは本当に相手次第で相手に合わせて書くことになる。その先生が留学経験があるとか,海外論文を好むならそれメインで引っ張ってくればいいし,海外でフィールドワークをしてもいい。逆にその先生が海外嫌いならそういうことはなるべく避けるほうがいい。

コミュニケーションの幅が狭いと言ったが,中には「A教授の研究は間違ってるから,これは引用文献にしないように」とか「X学会の内容はいいけど,なんでZ学会の内容を引っ張ってくるんだ」のような子供じみた批判をする人もいる。「そんなのお前の好き嫌いじゃん」ってなるのだが,なんせその人が生殺与奪を握ってるのだからしょうがない。「A教授とかZ学会のことは知らないけど,面白そうだね。頑張ってね。」と言えば済む話なんだが。ただそのような柔軟な発想ができれば初めから研究者になどなってないのかもしれない。

「大学教授というのは学会誌や論文を読んでおり(小説や新聞を読む人もいるかもしれないけど仕事としてはそっちは読まない),学会に出て発表するのが仕事だと考えている。授業とか学生サポートは雑用程度にしか考えてない」人たちである。もちろん個人差はあるけど,これが複数の教授と接して感じた結論である。だから彼らは平気で就職面接や教員採用試験には落ちるわけだし,反面,研究者としては成功できるのだと思う。

院に来ると「やりたいことを実現したい」と思う人が多いだろう。しかしどちらかというと,研究室では「教授の機嫌を取ったり,合わせたり」することがメインである。

レポートもそうだが,論文というのは自分の書きたいものではなく,担当教授が機嫌よく読めるであろう学会論文風に,先行研究に準拠した内容で,割り切って書くほうがいい。自分がやりたいものというのはわかるが,そういう人ほど教授から批判ばかりされて長く苦しむことになると思う。






















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