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自分で決めるということ

⚠️今日は暗めです

色んなことを自分で決めてきたはずだった。大学、サークル、仕事etc…自分がやりたいことを選んできた人生だった。

でも本当は違った。親が喜ぶ、周りが喜ぶことを選んできた。最終決定を自分でしているだけで、その過程に自分の意思はない。納得したように思ってるけど、自分で自分を納得させているだけ。

他人に悪く言われたくはないのだが、母親が結構幼稚でかなり振り回された。母親の機嫌で良い悪いが変わるから、何が本当に良いのか分からなくなった。必死に良いをしようと努力して、怒られる。そんな毎日だった。母親は厳しく、しっかりとした子に育てたつもりだったらしいが、残ったのは23歳にして、何も自分で決めることの出来ないすっからかんの大人だった。

なんというか、全てがどうでもよくなるのだ。自分で考えたことを否定され続けると。いくら頑張ったって出来ない。私は出来ないのだから、やっても仕方ないし、私の考えはしょうもない。すいません、ごめんなさい。段々自分が何の為に生きてるのかも分からなくなる。周りが羨ましくて死にたくなる。

そうやって愚痴愚痴と湿気った生活をしていたら、精神科に引きずられていった。そこでこう言われた。「何をどうしたいっていうのがまるでないから、今度までに考えてきて」

とりあえずやりたいことを紙に書き出したら、結構あった。本当にやってみたいことだけでも10数個出た。

そしてその中のいくつかをするために動いてみた。小さいこと、例えばお菓子を買うにしてもこれまでは母親の顔色を伺っていたけれど、欲しいと思ったら買ってみた。しばらくは余計なものまで買ったりもしたけど、ちゃんと自分の考えがあるから「これはいらなかったな」って反省が出来る。反省に後悔がない。そんなことあるか、って思うかもしれないが、自分で決めてないと反省も出来ないのだ。言い訳が並んでしまう。

そうやって繰り返してるうちに、仕事もちゃんと自分の意志で選んでアルバイトに行ったり、ちゃんと自分に必要なものが分かるようになった。計画が立てれるようになった。
何より人に批判されても傷つくことが減った。ちゃんと自分で考えて、良いと思ってやってる。誰の邪魔もしてない。大丈夫。自然と母親のことは気にしなくなったし、母親も私の行動に関して何も言わなくなってきた。

今は常識の範囲内で好き勝手やってるし、ちゃんと自分で行動出来るようになった。
きちんと考える。ついつい自分が出来るとやってしまうし、自分に余裕がないと相手の考える時間を奪ってしまう。でも、自分で考えて選択して結論を出す、ということは想像以上に大切なことなんだと思う。私は身をもってそう思うのである。

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