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神さまを優先した彼女のその後

 
数年前、男女あわせて10人ほどの友人知人で集まることになった時のこと。前日になって一人の女性からキャンセルの連絡がありました。
 
お店を予約していたのでちょっと困りましたが、急に都合が悪くなることは誰にでも起こり得ることなので仕方がありません。ただ、そのキャンセルの理由がとても残念なものだったのです。
 
それは「急遽、出雲大社に行く事になった」ため。目的は恋愛祈願だといいます。

出雲大社といえば縁結び。アラフォーを目前に絶賛婚活中だった彼女は良縁のご利益にあやかろうと、前々から約束していた私たちとの集まりをドタキャンし、出雲大社行きにかじを切ったのです。
 
その彼女が日々婚活に励んでいたことは知っていました。ただ、急な合コンだったり、期待出来そうな出会いの場に行くのではなく、良縁に恵まれるよう神様へお願いに行くために友人知人との約束をドタキャンするというその感覚に驚いてしまいました。
 
当然ながら、気になるのは彼女のその後。
気になるそのオチを先に話してしまいますが、いい人は見つからないまま、今も婚活を続けているようです。実は、その後ほどなくして彼女とは疎遠になったため、知人から時折流れてくる「風の噂」で知りました。
 
かなり必死に婚活していた彼女が「神頼み」したくなる気持ち、よくわかります。ただ、神頼みというのは、現実的な努力を積み重ねたその先にあるものなのかな、と思うのです。
 
婚活とは、よりよきパートナーとの出会い、そしてその先にあるもの。もちろん、相手は人です。日々、人を大事にすることで縁が生まれ、その縁がさらなる縁を運ぶ。その中で強い絆で結ばれる相手が現れるのではないでしょうか。
 
もし彼女が出雲大社に行くことなく、当初の約束通り友人知人の集まりに参加していたら、ひょっとしたらその中の誰かが友人知人を紹介してくれたかもしれない。その集まりには新しい出会いがなくても、その先に運命の人がいたかもしれないのです。
 
しかし、彼女はその日集まった友人知人に対して不義理をしたために、その後の集まりに呼ばれることはありませんでした。自らの行いによって、その後のさまざまな「人の縁」を切られてしまったのです。
 
一度「自分のことしか考えていない人」という印象を与えてしまったら、そこからのリカバリーはかなり困難です。よく「信頼をなくすのは一瞬」と言いますが、もともと信頼がなかったのだとしたら、そこから信用を得るのはまず無理でしょう。それに、そんな身勝手な人に自分の大切な友人知人を紹介したい人などいません。
 
幸せになりたい、それは誰もが思うことですし当然の願いだと思います。ただ、その過程において、誰かに迷惑をかけたり不快な思いを与える人に、果たして神様は味方するでしょうか?人との約束を守れない人の言うことを神様が聞き入れてくれるでしょうか?
 
縁と言うのは人と人との繋がり。それはいわば点と点のようなもの。それが繋がって線となり、その線によって人生が描かれるのだとしたら、自分の人生はどんな絵になるのだろう、いい絵が描けたらいいな、そんな想像をしながら日々、人と人の縁を大切に生きていかなきゃ、と思います。
 
ただ、だからといって一人でも多くの人と縁を作ればいいというものでもありません。友人知人がいなくても幸せに生きている人はいるし、生きていける人はいます。むしろ、そういう「自分に強い芯」のある人は、その芯を使って自分の人生を描けばいい。友人知人がいることだけがすべてではないのだから。
 
人生なんて本当に人それぞれ。
 
神頼みをした彼女はこの先どんな人生を歩むのか、正直彼女の行く末に興味はありませんが「袖振り合うも多生の縁」、せっかく出雲大社まで行って神様に会ったのだから、そこから何かを得て、彼女なりの幸せを手にしていてくれたらいいなと思います。
 
何にせよ、自分が起こした出来事から何かを得て次に活かし、自分をよりよく変えられたらいいのだから。出雲大社の神様もそれに期待し、それを楽しみにしているかもしれません。

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