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金は命より重いことの証明

身近な人が1,000万円ほどを無駄に溶かし、どうにも立ち行かなくなり犯罪に手を染め、ついに人生を棒に振りました。

これを聞いて、「金は命より重い」という名言を思い出しました(賭博黙示録カイジより)。

初めてこの名言を聞いたときは、とても不謹慎に感じました。

命が最も重要であるべきだし、それよりお金を優先することは汚い印象があるからです。

しかしこの名言の背景を聞けば、論理的であり、 人々が忘れがちな大事な視点を示してくれるものでした。

その大事な視点を忘れないよう、この場にまとめておこうと思います。


お金により社会は役割分担できている

お金とは、「個人が社会に対して行使できる権利」を社会的価値で数値化したものです。

この社会的権利を消費することで、 個人は社会から個人的資産(満腹感、安心感、経験など)を得ることができます。

また、個人的資産(体力、美貌、知恵など)を社会に捧げること(=労働)で、この社会的権利を増やすことができます。

たとえば「100円の魚を食べる」というのは、「社会的には100円の価値とされる魚を排他的に所有する権利」を「魚の栄養と美味しさの享受」という個人的資産に変換する行為なのです。

これらは個人の中で「体力や生きる活力」という資産に変換され、更にまた別の形(=労働)に変換することで社会へ還元できるようになります。

社会には、魚が特に好きな人(=魚からその社会的価値を超えた幸せが得られる人)がいます。

また、魚を獲るのが特に得意な人(=魚の社会的価値未満の労力で魚を獲れる人)もいます。

だから社会は、お金を用いて「個人の特性に応じて役割分担ができるシステム」を構築し、発展してきたのです。


お金が無くなることは死を表す

社会が発展していくためには、お金を用いたこの役割分担システムは極めて効率的です。

ただし、衣食住の確保から病気の治療まで社会に委ねることになるので、個人からすると「自分の生死までも社会に任せる」ということになるのです。

だから、「お金が無くなること」は「個人が社会に殺されること」を意味するのです。

財布からお金を出すとき、精神的な痛みを感じませんか?

そりゃ、お金が減ることは、死に近づいていることなのですから、その痛みは正常な感覚なのです。


戦争は「お金の奪い合い」として今も続いている

この星にある資源は有限なので、新陳代謝をする生命には必ず淘汰圧がかかります。

一昔前は、「殺し合い」という分かりやすい形で、人類の総数は調整されてきました。

しかし今は、「お金の奪い合い」という別の形で、間接的に殺し合いをする時代となりました。

みんな笑顔のまま、血が流れない透明な戦争をしているのです。

目を背けたくなりますが、 これは大人たちが教えてくれない真実です 。

テレビCMなど見ていると「お金を無駄遣いさせよう」としてくる透明な地雷が、そこらじゅうに仕掛けられていることに気付くでしょう。


この戦争では賢くなることが 一番の武器

この戦争で生き抜く秘訣は、賢くなることです。
これには以下の2つの効果があります。

①知恵という資産は衰えない
 お金は、個人的資産(体力、美貌、知恵など)を社会に捧げること(=労働)で増やすことができますが、知恵以外のもの(体力や美貌)は人生の序盤ですぐに衰えます。だから、衰えない知恵を蓄えることが、この社会というゲームでの定石なのです。

②知恵があれば騙されない
 また賢くなることで、善意の言葉(常識、愛、安心など)で隠された地雷から、血生臭さを感じ取れるようになります。つまり、この社会というゲームにおいて、知恵は攻撃だけでなく防御にも有効なわけです。


やはり金は命よりも重い

しっかりした家庭の子どもたちは、小さい頃から長い時間をかけて「生き残るための知恵」をつけるため勉強します。

その知恵を社会に還元できるレベルまで高め、働くようになってからも、毎日律儀に出勤し残業し、そんな生活を5~10年ほど続けてようやく1,000万円程度の蓄えができるのです。

この1,000万円のために 犠牲にした自己の時間は、その人の限られた人生の時間、つまり命です。

そんな1,000万円を大事にできない者は、その裏で犠牲になった命を軽んじているのか、または単に想像力が足りないのです。

つい最近、身近な人が1,000万円ほど信用取引で溶かし、犯罪に手を染め、人生を棒に振りました。

やはり、金は命よりも重かったのです。

透明な地雷を踏んでから、このことに気付いても、手遅れなのでした。

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