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子規の庵 神も仏も 母の日に

「さっ、財布がない!」

谷中の公園のトイレを出て、ふとウエストバッグの中を確認すると軽い。ポケットもスカスカだ。

財布、ある気がしない。

これは、ない…

途方に暮れる。

きっと財布を落としたのは、湯島のコンビニから不忍池の間だ。

缶ビールを湯島のコンビニで買い、不忍池でゴロンと横になった、その間に失くしているはずだ。

 …

その朝、起きてスマホを見ると、午後に突然雨が降る予報と出ていたので、自転車で運動ではなく、ウォーキングで浅草の火鍋屋さんに行った後、浅草橋の包材店に寄って、適当に帰ることにした。

今日は歩くところ歩くところ、お祭りだった。

家から鶯谷方面に歩くと、まずラブホテル街の真ん中にある神社のお祭り。

子供神輿の家族連れを、年輩カップルが手をつないで眺めているゆるやかな中を歩いた。

鶯谷の北隣、根岸は、正岡子規が暮らしていて、その家が今でも保存されている。

初めて行った時はコロナで閉館していたが、再開していた。

午前11時には浅草に着きたかったので、今回は通り過ぎたが、病気に苦しみながら17文字の大きな世界に人生をかけた晩年に、今度ゆっくり思いを馳せたい。

浅草で「一人火鍋」を食べる。

浅草の三社祭は来週と掲示板に。

満腹の腹を抱えて浅草橋へ。

8階建てのビルがまるごと包材店のシモジマで、余計な包装をなくしつつ、お客さんに納得してもらえる天ぷらを渡す方法やアイテムがあるか、ビル内を見て回る。

とりあえず、試し包材を買って店を出る。

歩いていて余り調子が出ないので、進路を自宅方面、総武線沿いに秋葉原を目指す。

浅草橋では、日本のお祭りをショーアップしたような団体がいくつかパフォーマンスをやっていて、国内外の観客を沸かしていた。

少し歩くと、今度は今日行われている神田祭のエリアに入って、本物のお祭りの雰囲気が漂ってきた。

秋葉原の電気街まで来ると、もう異次元。

神田明神の氏子達の神輿がどんどん集まってくる。

電気街の大きな通りは祭りの半被を着た人達で埋め尽くされている。

都心にこんなに人が住んでいたのか!

会社がこのエリアにある人も参加しているとは思うけど。それにしても半被を着た人たちの数、驚きだ。

私は祭りに参加するのは苦手なんだけど、神田祭の「うねり」とも言うべき、過去も未来も今も、氏子も、外国から偶然秋葉原に来て祭りを見た人とかもすべて巻き込む力に圧倒された。

見られて良かった。


担ぐ人々

ここから家に向かって歩くと神田明神を通るので、混んでいそうだけど、行ってみた。


歴史は、残すんじゃなくて、
つないでいくものなんですね

祭りが苦手な自分が、引き込まれる。

音が素晴らしい。

日本独特のリズム。

町会によっても違いがあり、拍子や笛の音、担ぎ手の掛け声などが、うねるように響く。

そして色。

神田明神の建物の色と、神輿の色、そして半纏の色と、これほど日本の色を、この熱気の中で見られるというのは、なんとも幸せなことだ。

どんな国の文化も素晴らしい。

だからこそ神田祭も圧倒的に素晴らしい。

ここにいる人達が、国に関係なく「今」を強烈に感じる、それが祭りであり、グルーヴであり、人間なんだろう。

なんとなくルートを少しだけ変えて、不忍池に行くことにした。

少しゆっくり休みたい。

神田祭の地域では昼からみんな飲んでいるので、自分も缶ビールを飲みたくなった。

祭りのエリア内のコンビニは、どこも混雑。
湯島まで歩き、ようやくセブン・イレブンでビールを買った。

結構汗をかいていたし、昨日が休肝日だったので、一気に酔うかなと心配しつつ、歩きながらビールを飲む。

不忍池に着く頃には飲み終えて、疲れたので少し横になれるところで、寝そべった。

かったるさと、足腰の疲れ。

まあ、帰るしかないなと、少し休んで歩き出す。

根津まで来て、お寺を見ると静か。

新緑が静かに美しい。

これも一つの祭りだ。
俺はこんな誰もいない祭が好きだ。

神聖な場所には何もない。

そして、谷中へ。

家に帰る前に、一回トイレに行っておきたい、と六角堂のトイレへ。

この先に母の墓があり、そこから家まで歩いて三十分。

足もそろそろ限界だと感じながら歩き出そうとして、ふと財布を不忍池から確認していないことに気づいた。

私は無神経なところと神経質なところが両極端だ。

財布。休日の自転車や歩き旅の時は何度も確認して、少し神経質。

今日も、途中まではいつにも増して確認していたが、一本のビールで気を抜いてしまった…

来週の日曜日に神奈川芸術劇場での「虹む街の果て」最終日の先行予約チケットを買って、一ヶ月以上ずっと財布の中に入れていて、これだけは失くしたくない、と何度も確認していたのに、こんな時に限って、財布を失くすか。

よりによって母の墓の目の前で失くしたのに気づくとは。母の日に何か母からメッセージか。

お金もいらない、クレジットカードの再交付からの各手続き大変さもいい。でもチケットだけはプライスレス、失くしたら辛い。

一刻も早く行動を始めなければ。

優先順位は何か。

もう、足はガタガタだから不忍池まで歩いて戻ることは現実的ではない。

紛失届だ。

一番近い交番はどこだ?

西日暮里の駅前交番だろうか。

足の痛みも、母のお墓のことも忘れて、いそいで交番を目指す。

最近はパトロール中として不在の交番も多いが、どうだろうか。

交番の前に立つと、お巡りさんの気配がある。

中に入って、財布を失くした事を話す。

安心させてくれる声で届け出の記載を始めながら、お巡りさんは電話で照会をしてくれている。

「届け出がありましたよ。」

なんということだ。

令和の時代にも、現金の入った財布がそのまま、返ってくるのか。

日本人だって貧しくなっているし、外国では落としたほうが悪いくらいの文化で、今では帰ってこないのは当たり前ではなかったのか。

嫌な顔ひとつせずぜずに対応してくださった西日暮里駅前交番のお巡りさん、
不忍池で財布を見つけて届けてくださった方。
それを受け付けられたお巡りさん。
指定された受け取り場所の上野警察署で、私の身分確認の際に財布の中の私の免許証の写真と私の顔を見て、ニコリと「おんなじ顔ですね」と手続きをしてくださったおまわりさん。

こんな世界の一部である、優しいnoteの世界の皆さん、ありがとうございます。

財布が失くなってから、一気に疲れを忘れて動き出し、パニックに近い一人「お祭り」状態でしたが、いろんな人に助けられて、財布をそのままで手にすることができ、何より来週の演劇を見ることができそうです。

あと一週間、財布をなくしませんよう。

今日も、ドタバタな私の話にお付き合いくださり、ありがとうございました。

日暮里のサイゼでお祝いしながら書いています。