「石」の巻 最終話
三日目の朝、目が覚めて天気予報を見る。
また天気が変わっている。
明日雨で、今日晴れだ。逆になった。
今日は雨の予報で休憩日と決めていたが、これでは2日休憩日になってしまう。
軽く走るか。
昨日、マスターが「奥松島は松島を裏から見られて良いよ」と教えてくれたので、そこに行ってゆっくり海を眺めて、できる限り近くのビジネスホテルで泊まって、翌日は雨だから仙台へ電車で向かえばいいか、と决めた。
午前10時に石巻ホテルを出て、まず博物館に行った。縄文時代のことが気になっていた。
やはり縄文時代もたくさん住んでいて遺跡があった。
石巻は、親潮と黒潮がぶつかるところで、北海道や南からの船での交易が盛んでもあり、陸や北上川からもいろんなものが運ばれてきた。
すごいダイナミックな歴史を持ったところだった。やはり。
このエリアの魚が抜群に旨いのも、親潮と黒潮、北上川からの栄養がぶつかるからなのかなのか、味が濃い。
新鮮で味が濃い魚は、ほのかな酢飯の味だけで、醤油もワサビもいらないくらい旨いことを知った。
そして、いくつかの話を合わせると、その美味しさの最前線は牡鹿半島なのかもしれない。いつか行かなければ。
博物館を観終わって、奥松島へ向かう。今日は坂はほとんどないが、もうお尻とサドルの接点が…
ごまかし誤魔化し走ると海が見えてきた。
長い海岸線の野蒜海岸。
そして、奥松島へ。
今回の旅は海水浴場がいくつがあるので、少しは入ろうかと海パンみたいなものを一応用意していた。
そして先端の浜に着いた。悩む。
…駄目だ。このお尻の状態で塩水なんて考えられない。
でも、海水浴場の少し遠くから海を見ていたが、このまま帰るのは忍びない。
足だけでも浸たすか。
靴を脱ぎ、靴下を脱ぐ。
浜を裸足で歩いて波打ち際に行くと、ザ〜っと波が来て足首を洗った。
すーっと、身体が冷えるような感覚。
波に足を洗われるたびに体が冷め、頭の中がクリアになる。
海って凄いなあ、そう思いながら、ほとんどが家族連れの小さな浜で、変なおっさん(私)が足海水浴をしている。
空の色は少しずつ秋の色に近づいている。
夏もいつかは終わるのだ。東京はまだ暑いかもしれないが、夏は終わるんだなぁ、と昭和な感傷にひたった。
自分の旅も終わりに近づいた。
さあ、ホテルに行こう。
今日予約したのは、周りにはチェーン店しかないような郊外型のホテルだが、それも良いだろう。最後の夜はホテルの横のサイゼリヤで打ち上げか?などとお尻の痛みを受け入れて走る。
走る。
ホテルが見えた、ホッとして、早くチェックインしてシャワー浴びて、サイゼリヤでセルフ食べ放題飲み放題をしよう。
ホテルのカウンターはとても混んでいる。何でも大きな団体が入っているらしく…
なんかゾワゾワしてきた。絶対に大丈夫だけど、一応今日の予約を確認しよう。
メールを見る。
バリューザホテル東松島のはずが、バリューザホテル石巻。
えっ?
石巻?
あ~、確かに二日酔いで寝ぼけてホテルを取ったから。見間違えて予約!?
絶望感がみなぎる。
もう、石巻をキャンセルして、こっちに泊まるか?
でも、何だかスタッフは満室のいそがしさ感に溢れている。
そうだこのホテル、駅が近かったぞ、もう自転車を分解して電車で石巻に行くか。
一方の石巻のホテルも駅の近くだったはず、と地図を念のため見直すと、全然近くない。
もう、俺はだから一人旅しかできないんだな、と途方に暮れる。
念のため、ホテルの東松島店から石巻店の距離をグーグルマップで確認する。
8キロ強。
うちの家から御茶ノ水か。
しょうがねえ、行くしかない。
石巻の磁場、引力が半端ない。結局石巻三連泊。
自転車にまたがり走り出す。悲劇は喜劇だ。
着いた。これで「ご予約は明日ですよ」と言われたらどうしようかと思ったがセーフ。
近所の庄内というとんかつ屋さんで、さんざん飲んで食べて寝た。
最終日の朝。
雨の予報が、晴れに変わっている。
何なんだ。
結局、4日間ほとんど晴れだったぞ。
女ごころと石巻の空。
とりあえず、朝食を頂く。
でも、石巻にも気になって行けなかったところが2つある。
そこに行って帰ろう、こうなることは、はじめから縄文の神に仕込まれていたんだ。
まず、昨晩の魯曼停さんで出会ったカップルが二人ともお勧めだった小高い、石巻を見渡せる山に行くことにした。
山を下る。
もう一つだけ、行っていなかったところへ。
石巻だ。
石巻の中心街。今までは電車と徒歩だったので、石巻の中心地はくまなく歩いたが、今回はここだけが抜けていた。
女川から中心地に向かう最短距離だけは通ったが、そこで強く感じたことがある。
石巻は変わった。
十年前のメインストリートの寂しさは、衝撃的だった。しかし、通りの表情も明るくなったし、魯曼停のマスターを始め、人の顔が明るくなっている。
昨日の魯曼停さんでも、その話はしたんだけど、若い人が頑張っているから、と言っていた気がする(酔)
その地域のDNAを若い人達に的確にバトンタッチして爆発させる力が、50代オーバーの人には求められるんじゃないか、と思った。きっとそれが可能な街なんではないか。
石巻で最後に行くべきだと最後に気づいたのは、初めて行った時の魯曼停さんの場所だった。
自分の記憶での場所は、今、駐車スペースになっていたが、周りは新しく作られた新しい名所として、にぎやかだった。
眼の前はおしゃれな道の駅のような施設。
最後にまた石巻海鮮丼というのを頂いた。
最後の最後まで旨かった。
そして駅へ。
石巻を守り、引き継いでいく皆さんと、旅人の自分。旅人冥利に尽きる4日間だった。
マスターも私も、少しずつ年を取り、東京は様々な人災や天災のリスクが増えていく。
お互いに元気なうちに会っておきたい、という迫ってくる気持ちから、今回の旅が生まれた。
いま、空調の効いた特急で東京に向かっている。
読んでくださった皆さん、ありがとうございます。
皆さんも、よい旅を、よい人生を!