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SNSの向こう側へ

夕方、天ぷらを購入された方に、それをパックに入れて渡した。

長身の男性だった。
最近、この町らしくない、礼儀正しい人が多い。

すると、

「あの、人づてに聞いたのですが…」

と突然声をかけられた。

(あっ、クレジットカードのタッチ決済のことか?遂に初の!)

「私が出演していた舞台を観に来られていたと、ある人から聞いて…」

一瞬、時間が止まる。
このシチュエーションからして、

(あっ、あの舞台だ!)

「あっ、ひょっとして◯◯のスタッフ役をやっていた人ですか?」

「あっそうです!」

一分程の会話だったが、意外だったことも教えてもらい、彼は立つ鳥跡を濁さずで、店から風のように去って行った。

 … …

最近、少しnoteの投稿が減っている。

書くことがないのではなく、書きたいことはたくさんあるが、なんか違う。

これは何だろう。

彼を見送って、ふと気付いた。

SNSの全盛期は終わるんじゃないだろうか。

SNSというのはデジタルの世界で「自分」が強調される。

そろそろ、他人の「デジタルな自分」に飽きてきたり、逆に「デジタルな自分」を他人に向けて投稿するのに疲れてくるんじゃないだろうか。

じゃぁ、次に何が来るのか?

リアルな「縁側」じゃないだろうか。

人と人が、何気なく出会って話す場所。

SNSは、どんな人ともつながることができるし、雲の上の人とも、場合によっては会話が出来るようになった。

しかし、立派な人であっても同じような人、同じような考えとしか出会えなくなってきている気がする。

リアルの場で、「ある程度は安心して出会え、未知の人達や考えと会話や交流ができる場所」がすごく贅沢なことになるんじゃないか。

対話だ。

対話は、これからの時代のキーワードになると思う。

お互いの考えや立場の違いを尊重し、愉しみながら、自分の考えを深めていく。

色んな人にリアルで会いたい、とそんな場所を探すようになる。

その世界では時間が経つごに、口に出してはいけないと思っていたことが、実は他の人も思っていたりして、空気が支配している世の中に風穴が開く。

 … …

自分は以前から、単なる接客でもなく、演劇ファンの世界に閉じこもるのではなく、その間にある何かを、普段の仕事や生活に活かしたいと思っていた。

それは「縁側」だと、この投稿の最初に書いたお客さんとの会話で気づいた。

ここからの具体的な話が大事なんだけど、酔っ払ってきたので今日は終わりにします。