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デザイナーには向いてない? デザイナー適正が低そうな資質、性格

元WEBデザイナーが、noteで目にして気になった事をつらつらと書いていきます。今回はデザイナーに向いていないと思える資質、性格について語ります。職業訓練・スクールで学んでいる人、就活中の人に読んでいただければ幸いです。


メンタル的に打たれ弱い

デザインの仕事をしていると、成果物に対して良くも悪くも周囲から批評を受けます。クライアントやディレクターの性格にもよりますが、中には成果物ではなく「作った本人」の人格まで批評する人も一定数います。

デザイナーもアーティストも、その仕事を続ける限り、周囲から絶えず批評を受け続けることになります。

IT業界、特にデザインの現場、システム開発の現場はメンタル的にやられて職場を去る人が後を絶ちません。他の業界と比べても精神衛生上、なかなかに過酷な職場なのではないでしょうか。

メンタル耐性に自身の無い人、過去にメンタル的な不調をきたした経験のある人は、デザイナーやIT業界への転職、就職は考え直した方が良いかもしれません。

また、仕事または課題に対する成果物(精神衛生的には、それらを「自身の作品」と定義、認識しない事を筆者はおすすめします。)を自身の人格、価値と切り離して考えられない人も、デザインの仕事はあまりおすすめできません。

自己表現・自己主張がしたい、自由にものづくりしたい

他の記事でも度々触れていますし、筆者以外のデザイン職経験者の方々もよく触れている部分だと思います。

デザインの仕事はインハウスであっても、受託であっても、基本的にお客様ありきの「サービス業」であり「産業の一部」です。どんな業界もマーケットのニーズを意識しており、自己主張・自己満足だけで製品、サービスを作ってはいませんよね?

また、デザインの仕事はマーケット・ユーザーのニーズ以外にも、クライアントの意図・要望、予算、スケジュール、人員数、アサインされたメンバーのレベル等、様々な条件、縛りの中で制作していかなければなりません。何もかも「自分の自由」というわけにはいきませんし、会社員でもフリーランスでも、自身でコントロールできる範囲は広くありません。自由度が低い、条件、制約、縛りを与えられると手が止まってしまう、何もできなくなってしまうような人はデザイナーには向いていません。

「自己表現がやりたい」「自分の好きなものが作りたい」という人はデザイナーではなく、自己発信型のクリエイター、ハンドメイド作家のような個人事業の製造業者、YouTuberあたりが向いていると思います。

ちなみに、アートの領域でも「自己表現、自己主張」はお断りされます。「アート=自己表現」と安直に語っている人はおそらく、デザインの事は学んでいても、アートの事は良く知らないし、専門的に学んだこともない、漠然と「アートはこういうものだ」という憶測で語っているだけでしょう。

他人の希望に寄り添えない、他人のわがままを受け入れられない

前項でも述べた通り、デザインの仕事は「サービス業」です。故にクライアントから様々な要望、時に理不尽な我儘を言われることもあります。それらすべてを叶えることはできませんし、限度もありますが、まったく他人の要望を無視する、自分のやりたい事だけをやる、自分の考えは決して曲げないといった、かたくなな姿勢ではデザインの仕事は成り立ちません。

自分の思想、信念に基づいて「作品」を作りたい作家志向な人にはデザインの仕事は向かないでしょう。

他人の要望に寄り添って協業していく、コラボレーターとしての資質がデザイナーには必要だと筆者は考えます。

独創性、奇抜さばかりで一般的な感覚、常識が欠如している

「デザイナー=特異なセンスの持ち主で尖がってる」という印象を持たれがちです。確かにそういう側面もありますし、奇抜な格好、奇抜な発想を好む人も見かけます。(ただし、意外と少数派。)

とはいえ、デザインの成果物、- 製品であったり、サービスであったり - を最終的に使う人、「エンドユーザー」の大多数は一般な感覚、常識で生活している人達で、特異な感覚・意識の持ち主ではありません。「独創性」「尖ってる」「奇抜さ」だけが突出しているデザインでは、そのような人達には受け入れられません。

ごく一部の例外はあるものの、大抵のデザインは、大多数の人に受け入れられること、多くの人と共有できる意識、感覚を模索することを前提にしています。独創性、奇抜さばかりを追い求めていて、一般的な感覚、常識が足りない人は、デザイナーには向いていないと言えるでしょう。

コミュニケーションが苦手

一人で黙々と制作をしていればデザイナ―の仕事は務まると思っている人も多いかと思います。実際にはお客様との商談、打ち合わせ、進捗報告等のやりとり、チームで作業する場合はディレクターや他のメンバーとの意識、情報の共有や状況報告等、他人とのコミュニケーションを必要とするシーンは結構あります。ですので、人としての最低限以上、仕事をするうえで必要とされる一般的なコミュニケーション能力は有していないと務まりません。

「人と話すのが苦手、人と接する仕事はやりたくない」という人でも務まらなくもないですが、そのような姿勢のままでいては必ず仕事に行き詰まることになります。

観察力、洞察力、理解力がない

デザインの品質はほんの少しの色味の差や形の違いで変わってきます。また、目の前の事象や課題からなぜそうなるのかを考察し、仮説を立てる事、
人の話や文章から、ニュアンス、意図を汲み取る事が必要になる場面が多々あります。

何事もただ「ぼんやりと見ている」「眺めている」だけで、観察力、洞察力、理解力に欠ける人は、デザイナーになるのは少々厳しいかもしれません。ただし、訓練次第でそれらは伸ばすこともできるので、絶対なれないというわけでもないと思います。

一つの事が長続きしない、飽き性

伝統芸能に携わる人達が共通して口にする言葉に「芸事は何事も日々の精進が大事」というものがあります。長い時を経て代々受け継がれてきたものを守る立場として、芸事で身を立てる事がいかに難しい事か、毎日の積み重ねがいかに大切なのかを良く知る方々の言葉なので重みがあります。

デザインも芸事の一つ。世間で言われているほど短期間で誰でもすぐに上達するものではありません。何度も繰り返し訓練し、粘り強く取り組める意志の強さが必要です。一つの事が長続きしない、飽き性な人には向いていない仕事といえるでしょう。

最後に

耳が痛くなるようなことをつらつらと書いてきましたが、ここに挙げている事に当てはまっていたからと言って、必ずしもデザイナーになれないというわけではありません。本人の心掛け次第で変えられる部分も多々あると思います。

とはいえ、著しく適正、資質を欠いている、方向性が間違っているにもかかわらず、執着してがむしゃらに努力するのは時間と労力と、そしてお金の無駄にもなりかねません。デザイナーという職業、デザインの仕事が本当に自分にあっているのかどうか、一度立ち止まって自己分析・自己観察をしてみるのも良いのではないでしょうか。


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