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音楽用語解説:エンハーモニック転調

エンハーモニック転調とは、異名同音を用いて行う転調の手法の1つです。ちなみに異名同音というのはド#とレ♭の関係のように、読み方は違うが同じ音のこと。エンハーモニック(enharmonic)は異名同音を表す英単語です。言葉の定義としてはそれだけですが、実際にどのように使われているのか譜例を使ってみていきましょう。


使用例1:ドビュッシー「ベルガマスク組曲 第4曲:パスピエ」

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まず1つ目の譜例は私が好きなクロード・ドビュッシーの著名なピアノ組曲「ベルガマスク組曲」の第4曲目の「パスピエ(Passepied)」です。

この譜例を見ておわかりの通り、上記ではイ長調から変イ長調に転調していますが、赤枠でくくったところを注目すると、転調の直前に使われたソ#の音が、転調直後の次の小節でラ♭として使われています。

言うまでもなくソ#とラ♭は異名同音の関係にあります。転調前後で異名同音を共有しているため、この転調はエンハーモニック転調といえるのです。

使用例2:サン=サーンス「Op.120 悩ましげなワルツ」

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次にサン=サーンスのピアノ作品から1つ例を挙げましょう。これは1903年に作曲されたとされる「悩ましげなワルツ(Valse langoureuse)」という作品です。(私の持っているCDでは「物憂げなワルツ」と訳されていました)

上記の譜例では、転調前の調性は調号上ではホ長調ですが、G#mで終止しており実質的には嬰ト短調です。そこからシャープを一気に4つも減らしてハ長調に転調しており、ここでも「パスピエ」と同様にソ#とラ♭の異名同音を利用したエンハーモニック転調が行われています。

G#mからFmという関係性が非常に遠い和声をつなぐため、実際にこの部分を聞いてみると若干強引な転調のような気もしますが、うまくできています。

もし仮にG#mの和音の持つソ#と、Fmのラ♭を共有しているだけで転調が行われたとしたら、非常に違和感のある転調になったかもしれません。

しかし、転調後の最初の小節の右手の旋律はシの音から始まっており、これは転調前のG#mコードを構成する音の一部であり、そのおかげでG#mからFmへ進む違和感を最小限に抑えることができています。

ちなみに、Fmコードの構成音にシの音はありません。この音は音楽理論的に考えるとFmの構成音のドに進むため音で、典型的なアポジャトゥーラ(=前打音あるいは倚音)の例です。

そもそもFmというコードも、もともとはハ長調の音階内には存在しないコードです。もちろん、下属和音の借用和音はいろいろな曲に見られており、和声の教科書にも書いてある程度の使用法のため、特に目新しい用法でもなんでもありません。

しかし総合的に見ると、この曲では嬰ト短調からハ長調への遠い転調を実現するにあたり

・転調後には借用和音を利用して転調前と共通する音を持ってくる
・転調前の和声の構成音を転調後の和声のアポジャトゥーラにする

など、どうにか転調前後で共有する和音をうまくひねりだして、さらっと転調するあたりが理論的というか非常にシステマチックでサン=サーンスらしいなと、私は非常に興味深く感じています。

エンハーモニック転調の役割

最後に、このエンハーモニック転調はどういう役割を持っているのかに触れておきましょう。

この転調ではシャープをフラットに読み替える、またはその逆を行うことで、シャープ系の調からフラット系の調に(逆も同様)転調することができます。

言い換えれば、音階内の構成音がまったく違う遠い調への転調が簡単にできるのです。というよりも遠い調に転調するための方法と言いきってもよいでしょう。

転調の鉄則として、自然な流れで転調を行うには、当然のことながら転調前の調と転調後の調で共有する音や和音を間に挟む必要があります。そうでなければ聞く人にとって「なんかいきなり変わったぞ」という違和感を与えてしまいます。(もちろんわざとそういう効果を狙う場合もありますが)

たとえば人間関係においても、まったく接点のないAさんとBさんが接触するとき、Aさんの友達でもありBさんの友達でもあるCさんが間にいたほうが、この二人の接触がより自然に進むのと同じようなことですね。

音階の構成音がまったく異なれば共有する和音も少ないのですが、異名同音のように、音名は異なっていても音が実際同じであるものを使えば、遠い転調が自然に行われるというわけです。

以上がエンハーモニック転調の概要となります。ちなみに、このエンハーモニック転調は探せばまだまだ無数に例は存在します。ガブリエル・フォーレもしばしば使用したことが知られ、特にロマン派の作曲家で多く使用例が見られる転調手法のようです。

#クラシック音楽 #音楽理論 #ドビュッシー #サンサーンス

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