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ジェニーの記憶(原題:The Tale) メモ

ジェニーの記憶
ドキュメンタリー作家のジェニー。13歳の頃に書いた物語が見つかったことがきっかけで夏の合宿で出会ったランニングコーチ、ビルと交際していた当時のことを回想する。あれは性的虐待だったのか…曖昧な記憶をたどる中で当時の自分、そしてビル本人とも対峙することになる。監督の実体験に基づく映画。

奇妙な作りがこの作品がただの回顧録で終わることを防いでいる。
話の性質上、過去と現在が交互に進行していくのだがあくまでも過去は”現在のジェニーの回想”であるスタンスを貫く。過去のパートはジェニーが新たな情報を手に入れ記憶を取り戻すたびに新しく塗り替えられる。例えば当時のジェニー自身の容姿だ。自身では高校生並みにしっかり成長した姿をイメージし過去パートの映像として流れるが、当時の写真を見てまだ成長しきっておらず幼い容姿だったことに気付くとそれまでの映像が全て塗り替えられる。なぜ彼女がそのような勘違いをしていたかが重要で、彼女はその経験を恋愛の体験だと自身に言い聞かせてきたから勘違いが起きている。立派な大人として大人と恋に落ちた。実はそうではない。客観的に見れば幼い娘が性的虐待を受けていただけなのだ。自身の記憶は真実なのか、それとも都合のいい解釈で処理されていただけなのか。記憶の曖昧さもこの映画の重要な核になる。

この経験はもちろん恋愛なんかではなかった。たくさんの少女が同じ被害に遭っていたからだ。彼女のただの被害者の一人だったのだ。ビルと対面した際にそれが確実になる。特別だったはずのジェニーはただの過去の人。ビルは思い出せず間を持たせるような抽象的な話しかしない。自分のために泣いてくれた人、13歳のジェニーはそうビルのことをいう。そして別れた後もきっと手紙を出し続けてくれて私を一生忘れないと。けどどこかで気づいていた、過去のジェニーは現在のジェニーとビルの対面を止めようとする。出会った瞬間に全てが確実になる。ただの恋の終わりではない、わかった瞬間に性的暴力の被害者になるのだ。

非常に個人的な映画、社会的倫理観と個人的感情のバランスが絶妙。恋愛感情として処理していたものが大人になり社会の色眼鏡を通した時、自身の行動が客観的にどう見えるかを知る。思い出は良い側面ばかり見えてくる。過去の問題と向き合った時、当時の自分はどう思うのだろう、過去の自分との視線が交わり合いやり場のない悔しさと寂しさが溢れ出す。


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