大人になったと感じることは

「何もしない休日を愛せるようになった」

ことだと思う。

寝て起きて繰り返し気づけば昼になり、それでも眠くなりまた寝てご飯を食べてボーッとしてたら気づけば夜になる。夏ならソファーの上、冬はこたつの中に1日中陣取っている。
気づいたら一歩も外に出ないなんて日も優にある。

そんないわば廃人みたいな生活を大人になってどれだけ尊いものなのかと思うようになった。

学生の頃何もしない休日なんかを過ごしたら焦燥感と悲壮感に苛まれていたりもした。
自分の人生、つまらないな。そう思ったりもした。

実際自分は学生の頃そこまでバイトに励んでいたわけでも無い、部活に力を入れていたわけでも無いから、何もしない休日なんて飽きるほどあった。

その度、見えない何かに追い越されて取り残されてる様な感覚に陥っていた。
といってその日々を打破しようなんても思っていなかった自分もいるのだけれど。

社会人になると、この何もしない日こそ至福。
と思えるようになった。
廃人みたいな生活が忙殺される日々から救われるようになった。

数ヶ月前にインスタをログアウトし見ない生活をしたら、本当に不思議だけど誰も私生活と興味なくなった。前まではストーリーを全部見ないと気が済まない性格が、興味ある人しか見なくなった。なんなら1日も見ないにもある。

この何もしない休日、廃人生活をしてると
たまに言われる言葉が

「時間もったいなく無い?」

確かに勿体無いのかもしれない。
無駄な時間の浪費はしているのかもしれないよね、多分その人からしたら。
でも次の日の仕事に行くための充電は確実に、廃人生活にある。ダラダラボーッとしてる時間が、本読んでる時間が、YouTube見てる時間が、寝て起きてを繰り返す時間が、無駄に見えるその時間がかけがえのない時間だ。

何より、何もしない日。を作らないと精神的にやられてくる。一旦リセットする時間を作らないと、気が滅入ってくる。

(ふと思うが、何もしない日がどことなく悪者に感じてしまう風潮ちょっと解せないね…と思う私であります。)

無駄を愛せるようになった時、大人になったな。って感じる1つでもある気がする。そんな日曜日。
そんな今日も、無事に廃人生活でした。

最高の1日。できれば明日もこうしていたいね。

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