譲れないもの。
自分の意見と友達の意見が食い違った時。
または、価値観が違っている時。
それによって発生した喧嘩の時、自分の気持ちを相手に伝える時どうしてますか?
これにいつもに悩まされます。
自分の気持ちを出来る限り伝えたいけど、伝えるにあたってこの言葉を使うと相手は傷つくってわかる。
でも、それを使わないとモヤモヤな消えぬ蟠りが自分を侵食して自分が傷をつく。
自分を無下にしてまで相手に気をつかうべきなのか。
でも誰かを傷つけたくない。
このジレンマに毎年に頭を抱えます。
数年前まで、全く友達と喧嘩しませんでした。
喧嘩しなかったと言うより、争い事になることが面倒で合わせてました。
自分が引くことで丸く収まればそれでいいやが常にあり、酷いことされたとしてもその程度の人か〜。と考えてその場を凌いで過ごしていました。
でも社会人になってから、『譲れないもの』が増えていきました。自分の考えの根本的な大きな部分、曲げなくない部分、そこだけは譲りたくない。そんな気持ちが徐々に芽生えました。
自分の気持ちだけは自分で守っていきたい。何より、それが自分が自分らしく真っ当にいられる術なのでは。と思い始めました。
気持ちを優先したことによって、別れもありました。
今まで離れることのなかった関係性が途切れるきっかけにもなりました。
また反対に自分の意見を譲らなかった故に距離ができ、新しい一面を見せた事によって関係が修復した後、仲が深まった事もあります。
私はここ四半世紀弱生きてわかったことは、
①他人に感じた違和感は間違っていない。
②その違和感を見過ごさない。
です。
この直感を信じて関係にヒビが入ったら、もうそれは不可抗力だと思っています。
この文章を書いてて、ふと頭に思い浮かんだ曲があります。
SUPER BEAVERの「27」と言う曲です。
まさに自分が感じた、
大好きな曲の歌詞通りの成長の仕方してるんだなと思えた時、ちょっと自分が誇らしくもあり、選択が間違っていなかったのかなと思います。
自分の考えが間違っていたかもしれない。とか
結局はエゴの時空なのかもしれません。
だからこそ、この自分の譲れないことは間違っているのでは…と思い悩んだり、どうにもできず地団駄を踏んだり…苦しんだりします。
でも自分の中で芽生えた軸はしっかり引っこ抜かず、誰かに寄り添える優しい人間になりたいですね。
人間関係でよく悩む私ですが
悩んでる時、こんなことで悩みたくないし時間を取られたくない。って思う瞬間が多くあるけれど、それを乗り越えられたからこその私が出来上がるのなら、悩むという時間は、とてもとても愛おしいもの、ことであるのかな。
そうポジティブに考えないと、やっていられないね
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