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「建築と時間と妹島和世」、そして私たち一人ひとりのデザイン

ドキュメンタリーを大画面で観ることの1番の贅沢さは、「声」じゃなかろうかと思う。

建築と時間と妹島和世」は、変にナレーターの紹介とかを挟まない。インタビューアーの声も入れない。初めっから妹島さんの声だけが流れる。自身の構想について淀みなく話しながらも、どこか柔らかさも感じさせる話ぶり。映画館の上質な音響で聞くと、妹島さんという人そのものが、声を通して直接伝わってくるようだ。

60分超の上映で私たちが見るのは、1つの建物が出来る過程、ただそれのみだ。監督のホンマタカシさんの切り取り方は、自分を取り囲む建物、土地、環境に向き合い、頭の中のイメージを形にしていくことの尊さを、はっきりと映し出す。そこに余計な調味料を付け足す余地はないのだ。

建築と時間と妹島和世」。このタイトルも、飾り気がなくて素晴らしい。妹島和世という名前が、余計な修飾語をつけることなくポン、と置かれている。最後のクレジットも、普通なら「出演」として妹島さんを出すところで、「建築家」と表現している。私たちは、見せ物を見る観客なのではなく、一建築家の営みをそっと見守る傍観者ということだ。そういう関係性も、またいい。

ただ、「建築と時間と妹島和世」は、決して「建築家」内で閉じた映画ではない。私たちは誰でも、自分が自由にデザインする余地のある土地、空間を持っている。ホームレスの人だって、高架下で段ボールを組み立てている。

私たちは一生をかけて、身の回りの環境を作り続ける。その意味では、誰でもアントニオ・ガウディなのだ。
妹島さんのように自由で、真剣で、楽しく、独創的な姿勢でもって、自分も周囲の空間・環境に向き合いたいと思った。

まだ映画館で、上質な声を聞くことが出来るのでぜひ。

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