美味しいご飯を食べて幸せでいよう
音信不通だった高校の親友と4年ぶりに会って、食事をした。
私にできたことはあったのか
親友とは高校で出会い、彼女は文系、私は理系でクラスも離れていたが、放課後や休日になんとなく会っていた。私にとっては居心地の良い人だった。
2020年、高校3年の4月。
世間はコロナで大混乱。「感染」を恐れ、目の前の人にも恐れていた。
幼い頃はよく肺炎で入院した。この混乱の最中、自分もいつか感染し、大勢の死者の1人に含まれるかもしれないと感じていた。
大学受験真っ只中、自分の身の安全のほうが大切だった。
対面での授業が週に1回になり、学年でも時間差の登校。友人たちに会えない日々が続いた。親友とも登校日にチラッと会う程度。
感染対策が確立してきて、だんだんと対面授業が増えてきたが、親友はあまり学校に来ていなかった。
コロナによる世間の変容と受験によって、みんなに相当なストレスがあったと思う。実際、自宅学習にする生徒もたまにいた。彼女もその一人だと思った。
ある日、学校の廊下で親友を見かけた。久しぶりに会った親友は、とても痩せていた。すこし、おとなしくなった印象だった。いつもと同じように話したが、最後に少しだけ、
「ごはんちゃんと食べてる?」
「元気だから心配しないで」と言われ、それ以上聞くのはやめた。それからも彼女はあまり学校に来ていないみたいだった。
夏休み明け、高校最後の文化祭。久しぶりに親友が来ることを知った。会えるのが楽しみで、文化祭終わりにプリクラを撮りに行こうと約束した。
文化祭当日、学級代表をしていた私は、後片付けでバタバタしていた。親友が呼びに来てくれたが、「もうすぐ終わるから!」と言って待たせていた。
すべて終わったころには親友はおらず、病院に行かないと、というメッセージだけ来ていた。
その日以来、親友は学校に来なかった。連絡も途絶えた。
最悪の別れをしてしまった。
今後一生会えなかったら、私はこの日を一生後悔して生きていく。
あの日に戻りたいと何度も思った。
親友の家の場所は知らなかったが、学校帰りの駅に向かう途中、近辺を通ってみた。どこかで、ばったり会えると願って。
文化祭以降に送ったLINEは未読のままだった。たまに、最近どう?ってメッセージを送ったりした。既読にはならないのは分かっていたが、ずっと返信を待っていた。
私の受験は順調に進んだ。進路決定後は自由登校になり、そのまま卒業となった。
結局親友とは卒業式でも会えなかった。いなかったときのために書いた手紙を担任の先生に託した。家の住所を聞きだそうとしたが無理だった。
念のため、と思って、卒業式後の予定は空けていたが、彼女はいないから予定は埋まらない。他の予定を入れるもの気が乗らず、そのまま帰った。
どこでなにをしているのだろう。元気にしているのかな。元気でいるということだけでも知りたい。本人からじゃなくてもいいから、知りたい。
変わったことに気づいた時、最後に会った時、会ってない期間、私は何をしたらよかったんだろう。
目の前の大切な人が苦しんでいるかもしれない状況に遭遇し、私は何もできなかった。むしろ、相手を裏切るようなことをしたんだ。
連絡が来たのは、大学に進学して少し経った頃だった。
いままで通りの文面。体調不良で入院していたことや、浪人していること。卒業式の手紙を受け取っていたということを教えてくれた。
「また会いたいね」とお互い言い合ったが、まだ病気の療養中だったことや、私の帰省のタイミングが合わないなどで、まだ、会えなかった。
1年経ったころ、進学先が決まったという報告をくれた。この時も、「また会いたいね」と言い合い、結局日程を決めるまでに至らなかった。
また1年経ち、先月、「会いたい」と連絡が来て、すぐに日程を決めた。決めなければまた先延ばしになってしまう。次こそは絶対に会いに行くんだ。
久しぶりに一緒に食べたご飯
駅で待ち合わせ。若干緊張していたが、それよりも会えることが嬉しくてたまらなかった。
4年ぶりだったが、見た瞬間に彼女だと分かったし、彼女もすぐ私に気づき、お互いに駆け寄って再会を果たした。
正直、この時点で泣きそう。
変わってない。話し方も笑顔も、横を歩く時に腕を持ってくるのも、可愛くて大好きな親友だ。
お昼ご飯食べよ〜っていつもの調子で話し、彼女の行きつけの京野菜のお店でお昼ご飯を食べた。
たくさん食べた。親友もたくさん食べてて、幸せそう。高校生の時、よく見ていた顔。
久しぶりとは思えないくらい、普通に話をした。居心地が良かった。
ご飯を食べていることの幸せと、親友が目の前にいる幸せ。幸せそうな親友を見ている幸せ。
これからも、一緒に美味しいものをたくさん食べよう。
辛いことも悲しいことも、美味しいご飯を食べて緩和しよう。できれば幸せの方に傾きたいね。
外食ができなかったら、私が作るよ。材料や味付けもリクエストにお応えしますよ。食べたいものを、好きなだけ食べてね。
きっと元気になるよ。
4年越しの答え合わせ
ずっと、自分が親友にしたことが、正しかったのかを考えていた。
頑張っている人に頑張れと言うのは違う。みたいな言葉に悩まされている。じゃあなんて声を掛ければいいんだ。
自分が地獄にいる時に、違う地獄にいる人に手を差し伸べることは、お互い地獄に引き合ってるだけだ。
でも、地獄だとしても手を繋いだら心強いだろうか。
親友を助けられなかったと自分を追い詰めたこともあったが、私が何かをしたところで変えられるものではないと、諦めていた部分もある。
非力な割に、感情だけでも救いたいという気持ちがある。そんなんだから、返信がなくてもLINEを送ったりしていた。
親友の方から答え合わせをしてくれた。
「メッセージすごく嬉しかった。返信はできなかったけど見てたよ。」
「手紙も嬉しかったよ。」
全部届いていた。そして、力になっていた。
4年越しに、自分のしたことが間違いではなかったと確信できた。
自分が思っていたより、親友は壮絶な4年を過ごしていた。清々しい顔で当時のことを語ってくれたが、今は親友が元気に生きていることが奇跡だと思う。
話を聞いている間、何度も涙が溢れそうになった。一番つらいのは彼女なのに。
自分に身近な人が、こんなことになると思っていなかった。当たり前に一緒に歳をとれるものだと思っていた。
高校時代の写真を見て「懐かしいね〜」と言い合うことができるのが、こんなにも尊いものだったんだ。
あの日々も、今も、大切な人と一緒に過ごすことができるのは、奇跡だ。
この時間はいつ無くなるかわからない。無くなった確信もないまま日々を過ごさなければならないこともある。
無くなったかわからないから、折り合いをつけられずに苦しむ時もあった。
また会えたから、今までの苦悶が報われた。
これが、私の人間関係の正解。かな。
今後もこうすれば良い。とか神から教えてもらったように感じる。
親友と私の復旧
いや、そもそも関係性はずっと変わっていない。
私がLINEを送り続けたり、親友からの年一回のメッセージを受け取ったりで、ずっと繋がっていた。
4年ぶりだとか思っていたが、その間、関係性が切れていたことなんて一度もない。
見えていなかっただけ。
見えないと怖くなる。気づいたら手を離してしまいそうになって、離してしまえば、もう見つけれない。
どうにかしてでもまた会いたいと思い、手を離さずにいたら、暗闇を抜けて、また親友の顔をみることができた。
諦めなくて良かったんだ。
お互いの関係性が何も変わらないことを確かめ合うように、すこしずつお話して
何も変わらないね、とお互いに安堵した。
これからはずっと、あの頃みたいに一緒にご飯を食べて笑い合える。多分。
これは当たり前ではない。当たり前であって欲しいけれど。
大切な人と一緒にご飯を食べること。
大切な人が幸せそうな顔をして食べるのを眺めること。
「美味しいね」って言い合うこと。
美味しいご飯を食べてる時は、私たちは幸せだから。
大好きな親友へ。
これからも一緒に幸せな時間を過ごしていこう。
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