繰り返されるフラッシュバック
詳細な性描写を書いているので不快な方はこの先を読まないでください。
体調はよくなったり、悪くなったり。上がったり下がったりを繰り返している。
自分でも何でこんなにしんどかったり、だるかったりするんだろうと思っている。
前のように動きたいし、本もいっぱい読みたいし、情報インプットしたいという思いと、動くとつらいという思いが交差する。
辛いのは何か。
まずはだるいこと、フラフラすること、そしてレイプのフラッシュバックだ。
フラッシュバックが起こっている間は思考停止する。数秒間四次元の世界に旅立つような感じで。動作も目線も止まっているように思う。
話しかけられると元に戻る。ハッとする。あー戻ってきたのねと思う。
映像を整理してみた。よく映るのはいくつかの同じ映像だという事がわかった。
私の中にブツを入れ私の上で汗ダラダラでゆれ動いている、そしてその汗が私の顔にぼとぼとと滴り落ちる映像
私の前で仁王立ちに立ち大きすぎるブツを目の前に出し舐めろと言った。詳細にどうやって咥えるのか、どうやってしゃぶるのか指示され私がしている映像
私の股に指を入れ、これを手マンって言うんだよ。気持ちいいだろうといい、私がやめてと言ってもやめずに膣に入れた指を入れたり抜いたりとし続ける感覚
耳元で自分のを経験したらもうご主人のは物足りなくなるよと何度もいい、ブツを入れたりだしたりする状況
師匠大好きって言えと言われ、言うともっと、もっと言えといい、言うと気持ち良くなるといいそんなことに使うのではないだろうと思うアンマキを股に当てられやめてと言ってもやめてくれなかったこと。
股の中に液体石鹸を詰められ指を入れて洗われたらとてつもなく痛かったこと
私が必死で下着を押さえていたら何でなの?何で脱げないのと押さえている下着を剥ぎ取ろうとする様子
私の尻に股間を当て、硬いものが当たってごめんねと言ったセリフ
だいたいこれらが映像として出てくる。
世の中の人は受け入れる方、つまり私に問題があると言うだろう。
私自身もそうやって自分を責めたし、私の両親も言った。周りの人たちも言ったし、襲った本人もそう言っている。
言える事は私はこの日からおかしくなった。
でも最初に催眠術をかけた上、私のお尻を持ち上げ、抵抗する私にでっかいブツを後ろから挿入されたら逃げる事なんて出来ない。
基本あまり後悔しない私、何しても前に向いて進んできた私。でもこの出来事だけは後悔している。あの後すぐに警察に駆け込んでいたら何か違っていたかも知らないと。
でもその時尊敬していた私の先生だったから、当時の私は何も言えなかった。そして私は間違っていたと思う。それが後悔の映像として何度も何度も繰り返されるのだ。
こうやって書いていたら余計に記憶に書き込まれるのではないか。書くなと思う人もいるだろう。
そして一度記憶喪失になった私は逃げたいようで逃げたくないのだ。逃げれば負けのような気がするから全部受け止めて消化して未来に進んでいきたい。
最初は何とかして忘れる方法がないかと思ったが、無理だと思った時から全部抱えて生きていこうと思った。
友人には性行為をエンジョイしている人がいる。私がもしそうだったらきっとここまでしんどくはないのかなとも思う。
そして友人と私との決定的な違いは心からの同意があったかどうかだと思う。双方に苦痛なく楽しめたのならそんなのもあるのかもしれない。
私は私という人間の尊厳を踏みにじられたと感じている。それが人生の中で一番深い傷になり残っている理由だ。
私はダッチワイフではない。私は血の通った人なんだ。心をないがしろにするな。痛いのは痛いんだ。心のないセックスは嫌なんだ。性の道具にはなりたくないんだ。私はオモチャではない。人間なんだ。
私は自分に起こった出来事を子供である三兄妹みんなに話をした。もちろんここまで詳細な事は話していない。話す理由もないからだ。
しかし概ね話した。それが一番の性教育だと私は思った。
日本は教育の現場で性について隠しているように感じる。だけど、コンビニには卑猥な本が誰でも目につくところに置いていたり、ビジネスホテルにはつい最近までアダルトビデオのパンフがデカデカと置かれていた(最近減った)
性に対して隠している教育の現場と、間違った性のメディアがそこら中にある現実には矛盾を感じる。
だからアダルトビデオから学び、あれが正しいと思い同じことをする輩が出てくるのだ。
ちゃんとした性教育をする必要があると思う。セックスがとは何か。人を傷つける行為は何か。
そして体験談ほど強烈な教育はないだろう。親のそんな話なんて聞きたくないと思う。同時に同じ思いはしてほしくない。だから世の中の怖さ、そして親である私の汚点、全部さらけだした。
私は完璧でない、汚点がある。
私のやり方はよくないと言う人はたくさんいるだろう。そしてこのやり方が私のやり方であり、うちの子たちはそれを受け止めている。
そんなの子供には受け止められないという人はいるだろう。よその家の事は放っておいて頂きたい。これが現実起こった事であり、それが私だ。そして我が家のメンバーはそれに耐えられる人たちだ。
そして私はこの汚い自分を世の中から消し去りたくなる。何度も気がつけば無意識にもしくは意識的に死のうとしていた。
汚い自分が嫌で嫌でたまらなかった。消えてなくなりたかった。
そして今、生きている。残念なことに生きている。死んでるはずなのに生きているんだ。
そんな死にたくなる気持ちとも向き合いつつ生きている。
それくらい大した事ないと言う人たちがいる。処女でもないからガタガタ言うなという人たちがいる。そんな事は誰にでもある事だよという人たちがいる。
それはあなたの考えであり、私の考えでも感覚でもない。だから自分の意見を押し付けることはやめてほしい。
ちょっとずつ回復していると思う。でも完全ではない。でも生きている私は絶対この出来事を無駄にはしない。糧にする。
そしてできることならやっぱり、あいつは私の手で刺して殺したいとまだ思っている。
神は乗り越えられることしか与えない とか
その出来事には意味がある とか
綺麗事なんて言いたくない。都合いいセリフばっかり並べたてたくない。
よく自己啓発の本に書いているような言葉の受け売りをあたかも自分はわかっているかのように話す輩は気持ち悪い。中身ない本当の理解をしていない言葉に意味はないと私は思う。
私は人を殺したい。
そして殺せない。だから私は自分が納得する大成功の人生を送り、この出来事があったから今があると思える未来にしたいのだ。
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