芸術特別講座の感想を見て-01

また芸術特別講座の話です。

僕にとってはもちろんですが、多分在校生の皆さんにとっても、コロナの状況の中にあって、まずまず大きなイベントになったという印象を持っています。まだ全部は手元に来ていませんが、みんなの感想を読んでいます。そして、とても感激しています。これは毎年の事なんですけどね。

いままでは3年生だけでしたが、今年は1年から3年までの全校生徒の皆さんが感想を寄せてくれている。学年によってかなり、その受け止め方の方向性や傾向には違いがあるのだけど(これもまた僕にとっては興味深い違いです)、とても真摯に受けとめてくれている。

それはもちろん嬉しいのだけど、もっと他にも沢山嬉しいパーツが、このみんなの感想にはちりばめられています。というわけで、しばらくの間、この皆さんの感想について、また、感想の中で僕にむけられている更なる質問にお答えするなどして、この校長便りを綴っていこうかと思っています。

「校長先生にとって、歌とはどのような存在ですか?」という質問をくれた人がいました。どうして、こう言う質問をしようと思ってくれたのかな?と思うと、それだけで何だかワクワクしますね。つまり、僕の講義と演奏を聴いて、こう言う質問をしてみたくなった、と言う事ですね。これが楽しい。

つまり、僕にとっての「歌」の存在の中に、何かしら、興味深いもの、知りたいもの、楽しそうなものを感じてくれた、ということです。そういう風に思ってもらえたことが、まず僕にとっては勲章です。

まぁでも本題。僕にとって「歌」とはなんだろうか。

色々な良い方があり得るんだけど、敢えて突き詰めると:

歌う、と言う事は、僕にとって「人間になる」という事であり「自分になる」という事でもあります。歌う、と言う行為を通じて、僕はより人間らしく、より自分らしくなる。いや、なりたい。

歌うことに熟練すればするほど(その熟練の方向性にもよるのですが)、僕は深く人間になっていきます。そして、自分らしくなる。どんどんその道を進みたい。死ぬまでずっと、それを深めたい。

歌う、という言い方をすると声楽以外の専攻のみんなには、ちょっと縁遠い感じがするかも知れない。でも、器楽の人でもレッスンで「もっと歌って」なんて言われるんじゃないだろうか。その意味での「歌」と言えば、器楽の人にもわかりやすいかな。

僕ら演奏家が演奏する時、「演奏する」という意味の英語はplay。ドイツ語ならspielenです。両方とも「遊ぶ」という意味がありますね。ここがポイントじゃないか、と僕は思っています。子供は遊ぶ。放って置いても遊ぶ、遊ぼうとする。

フリードリッヒ・シラーというドイツの文豪(ベートーベンの第九交響曲の詩の作者です)は、やはりドイツきっての文豪であり友人でもあったゲーテに宛てた手紙の中に、こう書いています。

「人間は、遊んでいるときだけ、完全に人間でいられる。・・・そして本当の意味で人間でいられるときだけ、遊ぼうとする」

無理矢理シラーに持って行くと、ちょっと教条的な感じがするかも知れませんね。でも僕にとっては、これは全く自然な、素肌感覚の言葉です。歌で遊べたとき、良い演奏が出来たとき、僕は、自分が人間である事を更に意識し、堪能し、満足することが出来ます。

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