音楽を学ぶこと、そのすすめ

はじめに

音楽って本当に素晴らしい。
聴くにしろ演奏するにしろ、大いなる感動や高揚感、時に癒しの力を持って私たちの感性を豊かなものにしてくれる。

それに付随して度々議論になる話がある。
それは「音楽への知見が深まると、その分感動は薄れてしまうのではないか」という話。
音楽に対する知識面でのバックグラウンドが形作られていくに連れて純粋で霊的な体験が弱まってしまうのでは、ということだ。

個人的にはそんなことはないと考えている。
音楽に慣れた受け手の感覚のプロセスも、純粋な感動の後の反芻に分析的な思考が入り込むような流れが大半だと思う。
そして作り手が行う楽曲の制作は、その想いや情景をいかに音にするか、メッセージをいかにして受け手の感性に刷り込むか、という真剣な試行錯誤であるため、それにあたる人たちこそ誰よりも純粋な感動を知っていると言えるだろう。

ただこの意見はそれなりな量の音楽に触れており、一応楽器の心得もある私個人のものであって、音楽の専門的な領域に触れたことがない人にとっては違和感のある話に聞こえる可能性があることは分かる。
何より実感をもって理解することのできない、他者の内面に渦巻く思考を否定することはいけない。

私は音楽を学ぶことを変に恐れる必要はないということを伝えたい。
むしろほんの少し知るだけで、もっと音楽が面白くなると思っている。

というわけで、今回は音楽の学の入門、その門のさらに手前へみなさんを案内するような内容にしたいと思う。
細かい話は極力カットして全体もなるべく短くした。
それではどうぞ。


音楽理論 ~理論と言いつつ感覚の世界でもある~

音楽理論とはその名の通り理論であるが、音楽という「感性を刺激するもの」の構成を後から分析して作られた学である。
つまり理論より先に感覚がある。ここが非常に面白いところ。

例えば不協和音という言葉はみなさんご存知だろう。
そして昔音楽室にあるピアノの鍵盤を適当に叩くと鳴った不細工な響きや、リコーダーやピアニカで音を間違えると聴ける何かの規則から外れたようなおかしな響き、その「間違ってる感」を覚えているだろう。

ではなぜその音は響きがおかしかったのだろうか。
逆に正しく響く和音やメロディって何なのだろう。
それを言葉にしてまとめたものが音楽理論だ。

音楽理論を学ぶとその初めに必ず触れることになるものに「メジャースケール(長調)」と「マイナースケール(短調)」がある。
それらの具体的な構成については文章を簡潔にするという意図のもとあえて触れないが、
ピアノの白い鍵盤のみをドの音から次のドの音まで連続で弾くと聴ける「ドレミファソラシド」という明るい旋律がメジャースケールで、
同じく白い鍵盤のみをラの音から次のラの音まで弾くと聴ける「ラシドレミファソラ」という暗く憂いのある旋律がマイナースケールである。

もしよければピアノのアプリ等で実際に響きの違いを感じてもらいたい
Cがド、Aがラ

気づいたかもしれませんが、早速明るいだの暗いだの抽象的な言葉が出てきた。理論なのに。
メロディや和音の質感の話においては常にこんな感じ。

この点から分かることとして、実は音楽理論を心得なくとも作曲はできるのだ。
実際に楽器を使って気持ち良く響く音の組み合わせを探し、そうして音を紡いでいった先にそれは楽曲の形をなす。

とはいえ、例えば楽曲の編曲中に「あのBメロのとこのあれさ、あのなんかフワッとするコード(和音)あるじゃん、あれにしたい」とか言われるとそこで一度話は止まってしまう。
そうではなく「そこは○○コードにしたい」という具体的な提案になると感覚の共有がスムーズにできる。
そのため音楽理論は共通言語、なんてよく言われる。

感覚で作ったものをあとから理論的に考えてまとめる、という作曲のプロセスも多そうだ。
事実良い楽曲の背景には必ず作者の感覚的な思いつきがあるように思う。


音感 ~絶対音感はむしろ困る?~

音感とは要はドレミ〜の各音を聴き分ける能力だ。

その音感にはレベルがある。世間的には「絶対音感」という言葉が独り歩きしているが、あれはそのレベルの頂点と言えようもので要はちょっと極端なやつだ。生活音もドレミ〜で捉えることができるそうで、街中の雑音の混ざりの不協に気分が悪くなってしまう人もいるとか。
あと細かい話だが、音の高低の基準が現代のように正確に定められていなかった時代の音楽もあったりするので、それに適応できたりできなかったりなんてこともあるらしい。

それはさておき、もっと現実的な音感のレベルの話をしよう。
まずはオクターブ内の12音
ド・#ド・レ・#レ・ミ・ファ・#ファ・ソ・#ソ・ラ・#ラ・シ
それぞれの違いを聴き分けられるところから始まる。
そして鳴ったその音が12音の中のどれであるかを聴き取れること、そしてそれらを同時に鳴らしてもその構成音を聴き取れる、といった感じでレベルが上がっていく。
このあたりの実用的な音感を「相対音感」という。

さらに進むとそれらの音程の僅かなズレを捉えることができるようになる。
このレベルになると「音律」の違いも一聴で判断できるようになる。

音律 ~ドレミファソラシドにも種類があるって知ってる?~

音律とは、簡単に言えばドレミファソラシドの種類だ。
大半の人は初耳かと思われるが、実は同じドレミファソラシドにも微妙なチューニングの違いで種類分けがなされており、それは一般人にはパッとは聴き分けられないほどの微差である。
私も聴き取れない。

ここでは主な2つの音律を紹介する。
意味は理解できなくても問題ないのでご安心を。

「平均律」:我々が普段耳にするポップスやロック等、大衆的な音楽の大半で使用される音律。オクターブ間を12音に均等に割ったもので、転調ができる代わりに和音が僅かにズレてしまう。

「純正律」:オーケストラや吹奏楽でよく使われる音律。主音に対する他の音をその和音がピッタリと成立するようにチューニングしていった結果、オクターブはズレるがそのスケールにおいては澄んだ和音が得られる。

他にも「ピタゴラス音律」とかがあるのだが、これ以上は今回の主旨にはそぐわないため、省かせていただく。

正直ロックのバンドマンで音律を気にしている人は少ないように思うが、クラシック音楽の奏者の間では必須の項目のように見える。
バイオリン属のようにフレット(楽器上の音の境目を示す線とそのパーツ)がなく、聴感と指先で音程をシビアにコントロールする楽器を音律を使い分けて弾くというのは、ものすごいことだといつも思う。

とにかく、音感ってそんなシビアな領域もあるんだぜって話。


楽器の技術 ~楽器のプロってすごい~

最後に楽器の演奏技術の話をしよう。
楽器自体は親しみやすいもので、その多くはとりあえず鳴らすだけなら簡単だ。
そして楽器が上手いという話においては、誰もが分かるアクロバティックな技巧に注目が集まりがちである。

しかし自身の演奏の録音物を聴いてそのガタガタ具合に絶望するという経験は奏者の多くが通る道である。それがシンプルなフレーズだと尚更その不安定さが顕著に出ることもあり、自分ってこんな単純なフレーズもまともに弾けていないのか、と絶望するのだ。


例えば今から4回手を叩け、と言われれば難しくはないだろう。
では手を叩いて鳴らす4回の音全ての音量と音質を一致させろ、と言われた途端どうだろうか。
その難易度と手先への集中力が急激に上がったはずだ。

これはあくまで例え話だが、上手な演奏家とはそのようなことができる人なのだ。
時に均一に、時に抑揚を出すために的確な強弱をつけること、これが非常に難しいのである。
そしてこの基礎的な技術をすっ飛ばして難度の高い技巧に挑んだところで、結局はボロが出る。

普段プロのミュージシャンの上手な演奏しか見たことがないと簡単に思えてしまうかもしれないが、奏者は上記のような微差にひたすら向き合い続けながら音階やリズムを外さずに演奏することが求められる。あの人たち本当にすごいんだぞってこと。

でも楽器自体は下手でもいいからまずは楽しむことが大事。
気持ちよく演奏できたその先で精度を高めていく、という流れでも良いと思う。
ここで伝えたいことは楽器の演奏を甘く考えるな、ということではないので、もし触れてみたい楽器がある方は今すぐにでも挑戦することをおすすめしたい。
年齢とか歴とか全く関係なくできるものだから。


まとめ

もっと書きたいことはあるが、以上としよう。
話が冗長になりがちな私にとってここで終わらせるのはとても歯がゆいが、長すぎてもだるいよね。

読んでいただいた方の中には更なる疑問が生まれたかもしれない。
例えばなんでオクターブ内の音の数って12個なのだろう、とか。
ちらっと話に出した、気持ちよく響く和音とそうでない不協和音の理由とか。

そんなことがもし気になったのなら、もうあなたの音楽の学びは始まっている。
実際面白い世界だし、知れば知るほどあなたの好きな音楽があなたにとってさらに魅力的なものになるのではないかと勝手に思っている。

音楽の理論や技術を説明する文章はWEB上にもたくさんあるが、そもそもそういった世界へ人々を誘う文章は少ないことに気づいたため、今回はこのような内容で書いてみた。
もし面白そうと感じていただけたなら、とても嬉しいです。

引き続き、ともに音楽を楽しんでいきましょう。
それでは。

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