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日本選手権⑨ 最終日翌日に代表内定選手が会見

泉谷、橋岡ら入賞が期待できる選手が多数
山縣、3度目の五輪代表で悲願の決勝進出なるか

 日本選手権最終日翌日の6月28日、代表に内定した選手(日本選手権3位以内で五輪標準記録突破選手)のうち、以下の8選手が大阪市内のホテルで会見に臨んだ。
多田修平(住友電工)男子100m
山縣亮太(セイコー)男子100m
三浦龍司(順大)男子3000m障害
泉谷駿介(順大)男子110mハードル
金井大旺(ミズノ)男子110mハードル
橋岡優輝(富士通)男子走幅跳
廣中璃梨佳(JP日本郵政グループ)女子5000m
北口榛花(JAL)女子やり投
 日本選手権で出した今季のシーズンベストで泉谷が今季世界3位、橋岡が6位に入っている。また、1カ国3人でカウントしたときの順位なら山縣が5位、金井が9位、三浦が10位と10番以内だ。標準記録が世界的にも高いレベルに設定されるようになったこともあるが、今回の内定選手はオリンピックで戦うことが期待できる選手たちだ。

●今季世界3位の泉谷への期待

 前日の110mハードル決勝で泉谷が出した13秒06は、世界的にもレベルが高い。トラック&フィールド種目のシーズンベストで、01年以降世界3位以内に入ったケースは以下の4選手くらいしか思いつかない。
男子200m・末續慎吾=20秒03:03年世界3位
男子400mハードル・為末大=47秒89:01年世界3位
男子ハンマー投・室伏広治=81m24:11年世界3位
             80m99:10年世界1位
82m62:07年世界3位
84m86:03年世界1位
83m33:02年世界2位
83m47:01年世界1位
女子10000m・新谷仁美=30分20秒44:20年2位
 末續は03年世界陸上パリで銅メダル、為末は01年世界陸上エドモントンで銅メダル、室伏は04年アテネ五輪と11年世界陸上テグで金メダルを獲得している。
 ただ、泉谷の場合セカンド記録が13秒30で、自己記録と隔たりが大きい。そこがメダルを取った3選手との違いだろう。
 その点は本人も十分に自覚している。会見で東京五輪での目標を次のように話していた。
「13秒06を出すことができたので、そのタイムをコンスタントに出せるようにして、決勝でも勝負に食らいついて行けるようにしたいです」
 五輪までの試合出場については未定だが、次戦が東京五輪本番になるようなら、予選から13秒30以内のセカンド記録で走ることが、決勝で戦う布石となるだろう。

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●山縣と過去の3大会連続五輪出場選手

 山縣亮太(セイコー)が日本選手では初めて、男子100mで3大会連続出場を果たす。目標はもちろん「持っている力を100%発揮し、決勝進出を達成する」ことだ。
 男子100mでは過去、短距離界のレジェンドの1人である朝原宣治が3大会に出場しているが、96年・04年・08年で連続ではない。00年シドニー五輪は前年に脚にボルトを入れる手術を行い、復帰はしたが個人種目の代表入りは逃し、4×100 mリレーだけの出場だった。3大会連続はそのくらい、難しいことなのだ。
 男子短距離全体に範囲を広げると、200mの末續慎吾(00年・04年・08年)と高平慎士(04年・08年・12年)が、400mでは高野進(84年・88年・92年)と金丸祐三(08年・12年・16年)が3大会連続出場を果たしている。
 山縣は初代表だった12年ロンドン五輪が慶大2年時。末續と高平も初代表が大学2年、金丸は大学3年だった。20~21歳と若い段階で初五輪を経験すると、長期間活躍の可能性が広がる。400mのレジェンドである高野だけが23歳の初出場。若干遅めだったが、これは五輪イヤーと選手の年齢の巡り合わせもある。
 高野で特筆されるのは、3大会目で戦後日本選手初の短距離種目決勝進出に成功したことだ。
 他の選手の自己ベストは末續03年、高平09年、金丸09年と3回目の出場より早い段階で出している(高平は2回目の出場翌年だが)。それが高野だけは91年と、3回目の五輪前年に出している。91年は日本の陸上界が総力を結集した世界陸上東京大会が行われた年で、五輪より1年早く決勝進出に成功していた。世界陸上短距離種目では初の快挙だった。
 そして山縣だが、3回目の出場が決まっている今年、9秒95の日本新をマークした。多くの記事で紹介されているように、12年ロンドン五輪は予選で、16年リオ五輪は準決勝で当時の自己新であり、五輪日本人最高タイムで走っている。
 ロンドンでは決勝進出まで0.08秒差で、リオでは半分の0.04秒差に縮めた。3回目の東京が過去一番のチャンスになる。

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●3回目のオリンピックも同じ緊張感で

 山縣の特徴は国際大会や日本選手権などの大舞台でも、代表選考のかかっていないような試合でも、同じレベルのタイムで走れること。リオ五輪から帰国後は10秒03の当時の自己新を、10秒00を出した18年アジア大会から帰国後は10秒01で走っている。
 これは山縣が、どんな大会でも自身の課題とその時の体調を見極めることに全力を尽くし、良いレベルの緊張感で走っているからだろう。つまりローカル大会で良い記録を出せば、国際大会でも同レベルのタイムを出せる。
 ところが今回の日本選手権(3位)は「10年以上にわたり何度も経験している大会ですが、過去一番気合いが入って、力みにつながりました。自分のレースができませんでした」と反省する。だから東京五輪は「自分の力が発揮できるようにのびのび頑張っていきたい」と言う。
 もちろん、山縣流の“のびのび”であって、課題と体調を見極めるために全神経を集中させる。アップ場では人を寄せ付けないようなオーラを出す(と言われている)、いつもの山縣になっているはずだ。
「オリンピックという大きな場でパフォーマンスを発揮するのに、1回目とか3回目とかは関係ありません。良い緊張感で持てる力を発揮することで、結果は付いてきます」
 会見に出席した選手は山縣以外は全員が五輪初出場で、彼らに対して気を遣った部分もあったかもしれない。
 だが山縣の場合、オリンピックで力を発揮するには過去の経験より、どれだけ自身を冷静に分析できるかが重要になる。そのためにはどの試合でも同じ緊張感を作り出す。今回の日本選手権で失敗したことで、いつもの山縣が東京五輪で見られるはずだ。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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