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【READY STEADY TOKYO①男子3000m障害の19歳・三浦が日本新で五輪標準記録突破】

五輪会場で8分17秒46と世界レベルの快記録
わずか1年間でラストスパートが格段に成長

 東京五輪のテスト大会であるREADY STEADY TOKYOの陸上競技が5月9日、東京・国立競技場で行われた。なかでも男子11種目、女子6種目がワールド・アスレティクス・コンチネンタル・ツアーとして行われ、世界ランキングに影響するポイント獲得のためにも、どの選手も重視した。
 その大会で19歳の三浦龍司(順大2年)が五輪参加標準記録突破と、日本記録更新をやってのけた。男子3000m障害の8分17秒46は五輪決勝進出が期待できるレベルである。

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●母の日に最高のプレゼント

 大会が行われた5月9日(5月第2日曜日)は母の日だった。三浦龍司はプレゼントをしっかりと考えていた。
「母の日にオリンピック内定(に近い成績)を見せられたらいいな、という話をしていたので、有言実行ができました。良いプレゼントになったかな、と思います」
 三浦がプレゼントした8分17秒46は、岩水嘉孝(トヨタ自動車)が03年に出した8分18秒93を18年ぶりに更新する日本記録で、昨年三浦自身が出した8分19秒37の学生記録、U20日本記録も更新した。
 国際レベルで見れば今年の世界リスト2位である。シーズン初頭ということを考えれば当然かもしれないが、昨年の世界リストでも7位相当だ。19年なら24位相当に下がるが、24位以内にはケニア選手が8人、エチオピア選手が5人含まれ、1国3人でカウントすれば17位相当のレベルになる。
「織田記念(4月29日)でも標準記録を狙っていましたが、思うような走りができませんでした(8分25秒31で2位)。今回新たなチャレンジをして、予想を上回るタイムを出すことができてうれしいです」
 岩水が日本記録を出したのはパリ世界陸上の予選で、三浦も順大の先輩にあたる岩水と同じように、五輪&世界陸上の決勝に進む力を身につけている。

●中だるみしなかったことと、表情の変わらないラストスパート

 三浦は終始、レース展開をコントロールできていた。
 200mで先頭に立つと、日本記録更新可能なペースで走り続けた。1000m通過は2分46秒4で、日本歴代2位を出した昨年7月のホクレンDistance Challenge千歳大会を上回った。
 1500m付近でリオ五輪代表だった塩尻和也(富士通)が前に出て、2000m通過は5分36秒8。千歳の5分41秒より約4秒速く、その時点で標準記録突破は確実になった。
 三浦は1000~2000mの走りが重要になると考えていた。昨年の千歳も10日前の織田記念も、そこで「中だるみ」をしたと感じていたのだ。
「2000mまでの1000mを2分50秒前後で行こうと思っていました。今日のラップタイムはまだわかりませんが、そこができていればいいですね」
 実際には2分50秒4だった。タイムは把握していなかったが、「最後の1000mへの準備ができていた」と、身体的には余裕があると感じていた。
 2000mを過ぎて再度先頭に立つと徐々にペースを上げた。フィレモン・キプラガット(愛三工業)、阪口竜平(SGホールディングス)、青木涼真(Honda)らが続くが、集団は縦長になった。後続選手がきつくなっている証拠である。
 そして残り1周で2位以下を圧倒するスパートを放った。ラップは残り2周の66秒2から60秒0に。日本記録レベルの速さで走っていて、3000mという距離で6秒のペースアップは驚異的だ。
 3位の山口浩勢(愛三工業)が8分22秒39で、本当にあと少しのところで標準記録突破を逃した。それを考えると三浦の“ハイペースでもスパートできる力”は、記録更新に絶大な力を発揮したことになる。もちろん、国際大会の予選突破や入賞争いにおいても、大きな武器となる部分だ。
 三浦のラストスパートは、2月の日本選手権クロスカントリーで優勝したときもそうだったが、表情がほとんど変わらない。歯を食いしばっているようにはまったく見えないのだ。
 女子5000mに出場する東京五輪10000m代表の新谷仁美(積水化学)が、ラストスパートで勝つプランを立てていたが、今大会はラスト勝負にすら持ち込めなかった。
「私も三浦君みたいに走りたかったです。彼はラスト50mでも無表情なんですよ。女装して新谷仁美として走ってくれたら、(ハーフマラソンと10000mに続き)3つ目の日本新になったのに」
 冗談のネタにされるほど、そのラストスパートは強烈な印象を残した。

●大学1シーズンで成長の理由は?

 三浦は京都・洛南高3年時に8分39秒37と、高校記録を5秒も更新した逸材だ。期待されて3000m障害で数多くのトップ選手を輩出した順大に進学したが、大学初戦で8分19秒37の日本歴代2位を出すとは、誰も予想できなかった。
 あまりにもレベルが高く、その記録をなかなか更新できないのではないか。そんな懸念も持たれたが、三浦は1年後にしっかり更新した。それも他の選手が作るハイペースについて行って出したのではなく、自らペースを作って出した。
 三浦は「成長したと思えるポイントは、ラスト2周やラスト100mのスピードアップのギアが増えたところです」とコメント。国際大会を狙うのは3000m障害だが、駅伝を積極的に走ったことも「夏場に走り込むことができましたし、自分の体というかスタミナの付き方に合わせて、焦らずじっくり距離を踏むことができました」と、プラスになったと感じている。
 3000m障害のための練習も怠りない。順大はインカレの総合優勝を駅伝と同じように重視してきた数少ない大学で、トラック種目の強化のノウハウが蓄積されている。
 長門駅伝監督は「苦手を克服してきたこと」が、今回の快挙の背景にあると感じている。
 三浦は高校3年時は全国高校駅伝1区(10km)で失敗し、ロードや長い距離への苦手意識があった。芝生や土の上を走るクロスカントリーも、リズムがとれないと感じていた。
 だが順大で1シーズンを過ごすなかで、箱根駅伝予選会(ハーフマラソン)で日本人トップを取り、全日本大学駅伝1区(9.5km)でも区間賞。そのときも強烈なラストスパートを見せた。
 11月末に故障をした影響もあり、箱根駅伝1区(21.3km)は区間10位と振るわなかったが、2月の日本選手権クロスカントリー(シニア10km)は、松枝博輝(富士通)と同タイムの勝負に競り勝った。松枝も5000mで日本選手権を17、19年と2度制し、ラストの強さに定評がある選手である。
「入学した頃はラストの切り換えが、そこまでできる選手ではありませんでした」と長門駅伝監督。
「7月の頃は長い距離にも不安を持っていましたし、駅伝も苦手意識がありました。そこからラストの切り換えに対応できるようになり、駅伝の距離も走れるようになって、クロスカントリーも勝つことができた。苦手だったことが強みに変わって、自信を持てるようになっています」
 新型コロナ感染拡大で国際大会への出場が難しい状況だが、順大での1年の間のトレーニングと試合選択に、強くなれる要素がたくさんあった。
「在学中に日本記録を目指す」と長門駅伝監督がいう5000mも含め、各種目でどこまで成長するのだろうか。予測ができない大きさを感じられる。

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TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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