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【札幌マラソンフェスティバル(東京2020テストイベント)②男子五輪代表の服部勇馬と女子補欠選手・松田瑞生】

3分5秒ペースを試した服部の狙いとその結果は?
松田と代表3選手の関係、そして松田の思いとは?

 札幌マラソンフェスティバルが5月5日、東京五輪マラソンコースを使ってハーフマラソンの距離(21.0975km)で行われた。男子はヒラリー・キプコエチ(ケニア)が1時間00分46秒で優勝し、木村慎(Honda)が1時間01分46秒で日本人トップの3位に入った。東京五輪男子マラソン代表の服部勇馬(トヨタ自動車)は「3分5秒ペース」で走った結果、設定より速い1時間02分59秒(24位)でフィニッシュ。また、女子の松田瑞生(ダイハツ)は2位、男子の大塚祥平(九電工)は7位、橋本崚(GMOインターネットグループ)は21位と、3人の東京五輪代表候補選手(従来の補欠選手)も出場した。

●明確だった服部の出場目的

 服部勇馬はレースの目標や目的、そのために何をしてきたかなど、自身の取り組みを第三者にもわかりやすく説明できる選手である。その服部がレース前日の会見で「3分5秒の設定で走りたい」と具体的な数字を話した。
「オリンピックは夏場に行われるマラソンなので、過去のレースからも2時間8~10分がターゲットタイムになります。そうすると1km毎が3分5秒を切るくらいです。そのペースで走ったとき体がどういう反応をするか、確認しようと思います」
 5kmなら15分25秒というゆったりしたペースになるので、レース展開に合わせた場合はもう少し速くなることも予想できた。夏に比べれば涼しい分、速くなることもある。
 ただ、2分50秒までは絶対に上げないつもりでいた。
「2分50秒でハーフを押し切ってしまったとき、その残像が残ると、オリンピック本番でギャップを感じてしまいます。それはメンタル的にマイナスになる」
 実際にレースでは、最初の5kmは14分40秒で入った。ある程度は集団で走らないと、レースで試走をする意味がなくなってしまうからだ。10km通過は29分44秒分で、先頭のキプコエチからは45秒、日本人トップの集団からも23秒(距離にすると100m強)後れて走っていた。15kmまでの5kmは14分38秒まで速くなったが、これは追い風が強かったからだ。
 10kmまでの5kmは15分04秒、20kmまでは15分16秒と厳密に言えば3分5秒よりは速いが、ほぼイメージしたペースで走っている。服部はそれをどう感じたのか。
「想定より(フィニッシュタイムが)1分くらい速くなりました。3分5秒くらいの動きをして3分0秒のタイムになったことは、悪いことではありません。後半を3分0~2秒で押し切ったことは自信にできます。ただ、オリンピック本番は3分5秒のペースよりもう少し速くなるんじゃないか、と感じました。ターゲットタイムを修正しないといけないのかな、と考えています」
 3分5秒ペースを試すこと以外では、北海道大学構内で何カ所もある直角カーブについて、「集団で走った場合のスピードの落ち方や、出力の上げ下げの感覚」を確認した。1人で試走するだけでは経験できない部分で、「確認できてよかった」という。
 残り3カ月。昨年12月の福岡国際マラソンは故障の影響で大事をとって出場を回避したが、ニューイヤー駅伝は5区で区間賞と好走した。
「2、3月は土台をしっかり作ってきました。4、5、6月とレースも入れながらマラソンに近い距離を走り、最後の1カ月で調整します。比較的順調にトレーニングはやってこられています」
 服部も調整に入る前の6月が、おそらく最もハードな練習になるのだろう。①で紹介した鈴木亜由子(JP日本郵政グループ)のレベルの高い距離走を行う時期も、6月になる。
 代表選手たちの6月は正念場だ。

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●五輪代表最後の1枠を争った一山と松田

 松田瑞生がレース後の会見で2点、強調したことがあった。1つは代表候補選手(補欠選手)としての役割を果たしたことだ。
「100%の状態で挑むことはできませんでしたが、私が出場することで代表3人が新たな気持ちでスタートできたと思います。その役割を果たせたのはよかったです」
 松田は一山麻緒(ワコール)のスパートに19km過ぎで引き離されたが、あきらめた様子はまったく見せない。正面からの映像では正確にはわからなかったが、差を詰めたシーンもあったかもしれない。
 2人とも19年9月のMGCでは、代表権を取ることができなかった。優勝の前田穂南(天満屋)と2位の鈴木亜由子(JP日本郵政グループ)が代表に内定し、松田は翌20年1月の大阪国際女子マラソンで、一山は3月の名古屋ウィメンズマラソンで代表入りを目指した。
 MGCファイナルチャレンジ設定記録の2時間22分22秒を、松田が大阪に2時間21分47秒で優勝して突破。代表内定を確実にしたと思われたが、一山が名古屋に2時間20分29秒で優勝。3枠目は、ファイナルチャレンジ設定記録の突破者が複数出た場合は、記録で決まることになっていた。
 一山のタイムは日本歴代4位で、国内最高記録、女子単独レース日本最高記録だった。非の打ちようがない記録だが、松田は簡単に気持ちの整理がつかなかったという。
 2人は昨シーズン、トラックで対決したが、7月のホクレンDistance Challenge網走大会10000mでは一山が、9月の全日本実業団陸上10000mでは松田が勝っている。ただ、2レースとも敗れた方が明らかに不調で、勝敗は明らかだった。
 初めて終盤まで競り合った今回、松田は絶対に負けたくなかいと思って走っていただろうし、一山も記事①で紹介したように終盤は勝つことに強いこだわりを持って走っていた。
 2人が代表選考のときのことを、どれだけ意識して走っていたのかはわからないが、負けられない思いの強さは走りから伝わってきた。

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●高校の先輩後輩の松田と前田

 松田と前田は、大阪薫英女高で1学年違いの先輩後輩である。2人の勝ち負けも、それだけで記事が1本書けるくらいに色々あった。
 高校時代は、松田がチームのエースで個人種目の全国大会で入賞もしていた選手だったが、前田は3年時の全国高校駅伝優勝時にメンバーから外れている。
 松田は17年の世界陸上10000mで代表になるなど、トラックで日本のトップ選手に成長した。対する前田はスピードよりも持久型の選手で、入社2年目の大阪国際女子で初マラソンに踏み切ると、同年(入社3年目)8月の北海道マラソンに優勝する。
 18年の大阪国際女子は初マラソンの松田が31km過ぎでスパートして、2位の前田に1分4秒差をつけた。同年9月のベルリンも、途中で前田が追いついたが、松田がスパートしてちょうど3分差をつけた。
 そこまでは松田が力の差を見せていた。
 しかし19年9月のMGCでは前田が圧倒的な力を発揮し、2位の鈴木に3分47秒、4位の松田に4分36秒の大差をつけて優勝した。持久系と思われていた松田だが、その後の駅伝やトラックでスピードもあることを見せている。
 だが記事①で紹介したように、前田は昨秋から調子を落としている。今回の走りで不調から抜け出す兆候が見られたが、先輩の松田と一緒に走ったことでスイッチが入ったのだろうか。
 そして鈴木と松田の関係だが、今年3月の名古屋ウィメンズマラソンを鈴木が故障で欠場していた。MGC以後も故障が多く、個人レースで大きな大会を走っていない。その名古屋で2時間21分51秒で優勝したのが松田だった。強風の中を積極的に走り、タイム以上に内容が高く評価された。
 瀬古利彦陸連マラソン強化プロジェクトリーダーは、「代表選手もこれで安心し練習できる」と話した。もちろん、五輪5カ月前の試合の結果で選手交替をする規程などどこにもないが、過去に、五輪前に有望選手が故障したことが何度もあり、そういったことを想定しての発言だった。
 鈴木を指導するJP日本郵政グループの高橋昌彦監督も「松田さんや小原(怜・天満屋。代表候補選手)さんが活躍されるのは、亜由子にもプラスになる」と話していた。
 松田が2月に月間1400km(1日平均50km!)を走るなど、すごい練習を行ったことも報じられ、鈴木の新しいトレーニング(※記事①参照)への意欲も大きくなったようだ。

●五輪まで代表選手と同じ気持ちで

 レース後の会見で松田が強調したもう1点は、松田個人にとっても収穫があったことである。
 レース前日は元気がなく、「名古屋に向けて2カ月、すごい距離を走ったこともあって、疲れの抜けがよくありません。今の自分のベストを尽くしたい」と話していた。
 松田は過去にも、マラソン2カ月後にレース復帰することもあったが、それは駅伝やトラックなど、松田なら短い準備期間で走れる距離だった。次戦までの期間を、4~6カ月間かけることもあった。それを今回は1カ月半で、距離もかつてなかったハーフマラソンで復帰した。向かい風の後半、松田が前に出て積極的に走るシーンが多かったようだ。
「逃げの(姿勢の)レースはしたくありませんでしたし、行けるところまで行こうと思っていました。最後は一山さんに出られてつけませんでしたが、今回のレースは納得しています。思いのほか走れて、新たな自分を見つけられました」
 代表3人にとって刺激になっただけでなく、松田の今後も期待できるレースとすることができた。
 代表候補選手は男子でも大塚祥平(九電工)と、橋本崚(GMOインターネットグループ)が出場。大塚は2年近くも代表候補という立場に置かれることを、「マイナスに感じたことはない」とコメントしていた。
「代表選手でも補欠選手でも、補欠選手でなくても、力をつけることが大事です。補欠という立場は責任も感じられるので、強化のプラスになります」
 松田は走り終わった後に、鈴木から声をかけたという。「亜由子さんが『お尻に火が点(つ)いたよ。ありがとう』と言ってくれました。出場した甲斐があったな、と思えました」
 これはレース前日の会見で、松田が「代表3人は私に負けたくないと思っているでしょう。私が出ることで代表3人は良いリズムを作れる。3人のお尻に火を点けたい」とコメントしたことを受けての発言だ。
 レース中は負けず嫌いの感情を前面に出して走る松田だが、代表候補としての役割を十分に心得ている。クイーンズ駅伝前の取材でも、名古屋ウィメンズマラソンに優勝した後の取材でも、「気持ちは同じ」と清々しく話していた。
「東京五輪まで全力で準備をしていきます。(普段はライバルでも)五輪は日本バーサス外国なので、私も代表選手たちと同じ気持ちで戦います」
 松田のキャッチフレーズの「瑞生(みずき)、やる気、元気」は札幌マラソンフェスティバルを機に、“日本、やる気、元気”になったといえるかもしれない。

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TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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