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バグダディの死 ヨーロッパからの視点

「領土」を手に入れ、「イスラム教徒の理想郷を作った。今こそ移住してくるべきだ」と呼びかけた過激派組織「イスラム国」の“モデル”はそれなりの効力があった。そして「イスラム国」にとって、地理的に近く、ムスリム人口も多く、「言論の自由」が基本的な権利とされている欧州は、そうしたプロパガンダを通じたリクルートの場だった。

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日本人ジャーナリストの後藤健二さんほか、欧米の人質殺害ビデオに登場した覆面の男(ジハーディ・ジョンことムハンマド・エムワジ)はイギリス英語で各政府を脅迫した。フランス人やドイツ人がそれぞれの言語で「カリフ国」への移住を呼びかけるビデオも出回った。それぞれの国にリクルーターがいてルートは確立されていた。もちろん、欧州各国に住むムスリムの総数に比べれば「イスラム国」に参加するために主にトルコ経由でシリアに渡った人数はほんの一握りだ。それでも各国から数百人単位の男女が国を出て「理想郷」へと向かった。なかでもイギリスから10代の少女3人が「イスラム国の花嫁」としてシリアに渡った事件は、監視カメラに映った彼女たちのどこにでもいそうなカジュアルな出で立ちもあり、社会に衝撃を与えた。

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今、「イスラム国」は勢力範囲が大幅に縮小し「領土モデル」の効力は失われた。しかしそれゆえ、欧州は新たな問題に直面している。それは「イスラム国」に渡り、生き残った自国民の処遇だ。これまでそうした欧州出身者を収容・監視してきたクルド人勢力は「もはや面倒を見られない」「引き取ってほしい」と各国に呼び掛けてきたが、最近はトルコの攻撃を受けていてさらに苦しい立場にある。欧州各国にしてみれば、戦闘員であれば帰国させた後に刑事訴追も可能だが、女性や子供になると困難だ。ただ女性や子供にも「イスラム国」の思想が植えつけられていると思われるケースもあり、今後、国にとってリスクとなりうる可能性と人道・人権上の配慮の難しいバランスを迫られている。

今年2月、前述のイギリスの少女の一人が、シリアの「イスラム国」関係者が収容されるキャンプでイギリスメディアに確認された。シャミーマ・ビーガム。15歳で「イスラム国」に参加、オランダから「イスラム国」に参加した男と結婚し2人の子供をもうけるも2人とも死亡。ジャーナリストらの取材を受けたころに3人目を出産したが、この乳児もキャンプの過酷な環境もあって死亡した。イギリスの家族はシャミーマの帰国を訴えたがジャヴィッド内相(現財務相。ムスリム。)は市民権をはく奪する判断をした。面倒を抱えたくない、と見られても仕方がない態度だった。シャミーマの代理人弁護士は今月、この政府の決定に対する異議申し立て裁判を起こしている。

一方、最近になって、イギリス政府が「イスラム国」で生まれたり育ったりした自国民の子供のうち、親とはぐれたり死別したりした子供たちを引き取る意向を示している、と報じられた。「イスラム国の子供たち」は空爆や砲撃、親の死といった経験に加えて、公開処刑を見たり、酷い場合は処刑に参加させられたりしている可能性もある。(「イスラム国」の宣伝ビデオにはそうした場面がしばしば登場した。)そうした子供たちへの心理的なケア、「脱過激化」、社会への再参加などは未知の領域。こうした欧州諸国が抱える難題はたとえ「イスラム国」のトップだったバグダディ容疑者が死んでも残る。

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「イスラム国」にとって欧州は攻撃(およびその宣伝効果)の対象でもあった。パリの同時テロのような、作戦立案から実行まで「イスラム国」の構成員が関わったケースもあるが、「イスラム国」あるいはイスラム過激思想一般に影響されていわゆる「ローンウルフ」もしくは「ストレイドッグ」型の単独テロを、欧州に住み、国籍もあるムスリムが実行するケースも相次いだ。しかし、数こそ減ったように見えるが、今も欧州では散発的に起きている。ネット上にはテロのやり方や、過激思想を煽る文章・コメントが載っていて、最近のSNS各社の対テロ規制の進化はあるにせよ、完全には消えない。「イスラム国」の首謀者が死に、領土上は消滅しても、同種の思想は生き残る。と言うより、そうした「過激思想」は以前からあった。その思想との暗闘は欧州各国で続いてきたし、これからも続いていく。その暗闘の中で当局の行き過ぎがあれば、それが新たな過激思想者を生むこともあるし、イスラム過激思想がイスラモフォビアや極右・白人至上主義テロを誘発することもある。

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バグダディ容疑者の死亡を受けてトランプ大統領は「世界はこれで前より安全になった」と誇らしげに言った。

そうだろうか。




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(ロンドン支局長 秌場聖治)