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重病の医療的ケア児「新たな一歩」 ~編集後記~

私が初めて三谷康生くんと会ったのは去年12月のことでした。

「来年春に小学校への入学を控えた医療的ケア児が、地元の教育委員会に学校看護師の配置を要望する」

その知らせを受けて連絡を取り、自宅へ取材に伺ったのが初めての出会いです。初めてのENGカメラに緊張した様子の康生くん。風邪気味だったのも相まって、最初はなかなか目を合わせてくれませんでした。しかし、康生くんと同い年の子がいるカメラマンと好きな戦隊ヒーローの話をしたり、若いカメラアシスタントと遊んだりするうちに、どんどん笑顔を見せてくれるようになりました。

打ち解けたところで取材開始。そのとき母親の恵理さんが明かしてくれたのは、康生くんが生まれてすぐに直面した闘病生活でした。

重度の仮死状態で生まれた康生くん生まれながらに大病を患い、出産と同時に大きな病院に緊急搬送されました。

生後3か月のときには気管を切開し、チューブを取り付けました。検査や手術のため転院を繰り返し、自宅に帰ることができたのは1歳11か月の時だったといいます。

ご両親にとって康生くんは初めての子ども。初めての子育てはそれでなくても不安いっぱいなのに、わが子が小さな体で病気と闘っている。それは本当につらく大変なことだっただろうと思います。だからこそご両親が、元気になった康生くんにほかの子どもたちと同じような経験をさせたい、普通の生活を送らせたいというお気持ちは痛いほどよくわかりました。

そして何より印象的だったのは、そのときの取材で康生くんが「友達をいっぱい作りたい」と笑顔で話していたこと。期待に胸を躍らせていたのがとても強く伝わってきました。あの笑顔に魅了され、私たち取材スタッフは、康生くんの成長する姿をもっと追いたいと思ったのです。

幸い、要望を受けた東広島市教育委員会が、過去の配置実績がなかったものの迅速に対応され、康生くんが通う小学校に学校看護師が配置されました。体調に合わせて学校生活が送れるよう病弱児学級が設置され、医療的ケアに必要な設備も整備されました。また、学校とご両親の間では綿密に意見交換がなされたといいます。

様々なハードルを乗り越えて地元の小学校に入学することができた康生くん。最初は集団生活に慣れず、戸惑うこともあったようですが、取材にいった5月下旬にはすっかり溶け込み、楽しそうな学校生活を送っていました。
初めての運動会では、当初体力的にきつい部分もあったようですが、当日はダンス以外にゴールテープ係りや応援など、自分の役割をしっかり果たすことができました。応援にきていた祖父母がカメラの映らないところで涙を流していた姿には、私自身も目頭が熱くなったのをよく覚えています。

ただ康生くんのように医療的ケアが必要なすべての子どもたちが、専任の看護師がいる学校に通えているわけではありません。保護者が学校に付き添い、ケアを行っているケースも少なくないのです。

そこで私たちは康生くんの取材をきっかけに、日常的に医療的ケアが必要な子がいること、またその子たちは必要なケアさえできればほかの子どもたちと同じように日常生活を送ることができるということを知っていただければと考えています。

これから康生くんが学校生活を送っていく中で、さまざまな壁に直面することがあるかもしれません。しかし、きっと康生くんはあの魅力的な笑顔と持ち前の強さで乗り越えてくれるのではないかと思います。その成長の姿を少しでも長く、私たちも見守り続けたいと思います。

                     藤原佳那子(RCC中国放送)