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「地獄」から死者ゼロに ~NYはどう闘っているのか?

写真 セントラルパーク①

「地獄の111日間」。

州内で初の感染者が確認された3月1日から休みなく続けてきた定例会見。ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事は、定例としては最後の会見で、ニューヨークが感染爆発に陥った日々をこう表現している。それから1ヶ月あまり、経済を徐々に再開させながらも、感染の中心地だったニューヨーク市では、7月31日に確認された死者が0人となった。7月最終週は、ほぼゼロ水準となっている。(29日、30日は「0人」と発表された後、それぞれ「2人」「1人」と修正された。)陽性者数も100人から200人台で推移している。

写真 NY市の死者数グラフ 

(NY市における死者数の推移 市ホームページより)

上のグラフの薄い青色、新型コロナによる死亡が強く疑われる死者も含めると、4月上旬、ニューヨーク市だけで、死者は1日800人近くにのぼっていた。4月7日までの死者数は、合わせて3202人。2001年に発生したアメリカ同時多発テロの死者数、2753人を超えた、とニュースの見出しが躍ったが、まだ序の口だった。日々の会見での死者数の発表に、いつまで続くのか、と言い知れぬ緊張感を覚えたことを思い出す。ニューヨークに長く住む知人たちは、同じアパートの友人、取引先などが亡くなったと話した。市民の身近に迫った新型コロナの〝死〟。7月末までの死者数は疑い例も含めて、約2万3千人にのぼる。ニューヨーク市が東京23区と人口や面積がほぼ似ていることを考えると、なおさら、被害の大きさがわかる。

写真 病院 遺体安置の冷凍トラック

      (病院に停められた遺体安置用の冷凍トラック)

■「前半2ヶ月」~感染爆発をどう抑えたのか?

莫大な犠牲者を出した感染爆発をどう抑制し、死者ゼロにまで辿り着いたのか。ニューヨーク市が経済再開を始めたのが6月8日。これより前を「前半2ヶ月」、それ以降の「後半2ヶ月」として、対策を振り返りたい。
「前半2ヶ月」、つまりクオモ知事が「地獄」と呼んだ日々だが、1日で確認された陽性者数のピークは、4月6日の6803人。そこから、6月8日の779人まで、およそ10分の1近くにまで抑えこんだ。この間、最も効果的だったのは、事実上の「外出制限令」である。ミュージカルが休演となり、レストランの店内飲食などが禁止された。ニューヨークの文化を象徴する活動が止められたのだ。医療従事者や食料品店、インフラなど「必要不可欠な業種」と指定された仕事以外は、100%の在宅勤務を義務化した。罰則こそ無かったが、基本的に、自宅にいることが求められた。ほぼ経済活動を止め、人の動きを最小限にする、強力な施策だった。さらにマスク着用の義務化は、今も他州では共和党知事と自治体などとの間で論争になっているが、州は4月17日から始めている。そのほかにも、集会の禁止、公園などでのソーシャル・ディスタンスの呼び掛け、感染拡大の要因とされた地下鉄やバスといった公共交通機関の消毒など、多角的なアプローチが取られた。
検査は、4月上旬以降、1万件から1万5千件程度で推移した。5月13日に初めて2万件に達したが、全ての市民が無料に受けられるようになったのは6月3日。「前半」では、症状がある人や濃厚接触者、医療従事者、介護施設職員など必要性の高い仕事に就いている人に限定されていた。
クオモ知事は、「我々は不可能なことを成し遂げたことは明らかだ」として、この間の市民の努力を「誇りに思う」と語っている。


■「後半2ヶ月」~経済再開とどう両立したのか?

後半は、6月8日から、下記のように、4つの段階を踏みながら、徐々に経済活動を再開していった。

6月 8日 第1段階:建設業 製造業 農業 水産業
6月22日 第2段階:金融業 小売業 事務職 レストラン(屋外)
7月 6日 第3段階:レストラン(引き続き、屋外のみ)
7月20日 第4段階:芸術 教育 エンターテインメント(屋外のみ)

これも、データに基づいて、前に進むか、判断された。感染状況、医療体制、検査・追跡能力について、明確な数字が提示されている。

1.新規入院者(3日平均)が14日間連続で減少または1日当たり15人を下回る
2.死者(3日平均)が14日間連続で減少または1日当たり5人を下回る
3.人口10万人に対し新規入院者(3日平均)が1日当たり2人を下回る
4.病床に30%以上の空きがある 
5.ICU病床に30%以上の空きがある
6.1か月間に人口の3%の検査を実施する能力がある
7.人口10万人に対し最低30人の追跡要員がいるとともに、感染の件数に応じて必要な人員を確保する

こうしたデータが悪化すれば、先に進まないという、透明性が高い指針である。
ただ、米国の南西部での感染拡大などを受けて、ニューヨーク州・市当局は、さらに慎重な判断をしている。

写真 車道の屋外テーブル

(車道に設置された屋外スペース)

ポイントは、「屋内で人が集まる場所」には、厳しいルールを継続しているという点だ。レストランの店内での飲食禁止は、今月6日の再開予定だったが延期した。慎重な判断だった。それでも第2段階以降、レストランを少しでも稼働させるために、車道に「屋外スペース」を作ることを一時的に許可しているが、テーブルとテーブルの間に1.8メートルの距離を取る、1つのテーブルに10人まで、などのルールを科している。市のガイドラインには、「義務」と「推奨」と2つのカテゴリーで細かく対策が定められている。店が3回の違反をした場合、アルコール販売の免許剥奪や営業停止を命じることにもなっている。また酔った客がソーシャル・ディスタンスを取らないケースが増えてきたために、アルコールだけの提供は禁止し、食事を出すことを条件とした。ルール違反がないか、州政府と警察が見回り調査を進める。また年間6500万人もの観光客が訪れるニューヨーク市。目玉のブロードウェイも美術館も再開を許可していない。つまり、屋内の混雑をできるだけ減らし、いかに感染者を増やさないか、に注力していると言える。
だが、こうした業界へのダメージは当然大きく、ニューヨーク市の飲食、観光の就業者数は、58%も減少したという。それでも、PPPと呼ばれる制度や失業保険などで、手厚い支援をしながら、感染抑制には、一貫して強い姿勢で臨んでいるのだ。


■「検査・追跡・隔離」と「訪問者の抑制」

写真 検査テントクロップ

(設置された検査テント)

検査
マンハッタンの北にある、黒人が比較的多いハーレム地区を訪ねると、簡易なテントが、アパートの小さな敷地に設置されていた。「モバイル・ユニット」と呼ばれる検査テントである。テーブルには、検体採取用に、アクリル板が設置されている。屋内の施設では、検査を受けるため個室に入ったとき、直前に受けた人が感染者だった場合、空気中に残った飛沫を吸い込んで、感染する可能性も指摘されていたが、こうしたテントであれば、そのリスクも減ると見られる。こうした「モバイル・ユニット」は、現在、市内10カ所に設置されている。「モバイル」と名付けられているように、週ごとに、感染の拡大が懸念される地域に設置場所が変更されるという。
上述のように、6月3日からニューヨーク市民であれば、無料で、何度でも検査が受けられるようになっている。予約も保険証も必要ない。ホームページで自分の郵便番号を入れれば、即座にPCR検査、抗体検査、抗原検査を受けることができる施設が表示される。主に民間のクリニックや病院が指定される。(4月末に薬剤師にも検体採取の権限が与えられたが、全ての薬局で受けられる状況にはない。)ホームページなどで「全ての市民は検査を受けるべき」と呼び掛けられており、市民が検査を受けやすい環境作りが進められている。

写真 NY市 検査数と陽性者数のグラフ

  (NY市における検査数・陽性者数の推移 市ホームページより)

濃い青線が検査数、薄い青線が陽性者数だ。検査数は、5月26日に3万4900件と初めて3万件台に乗せると、以降、平日は、3万件以上の検査が行われた。6月8日以降、段階的に、経済再開の範囲を拡大しても、確認される陽性者数は、7月13日を除いて600人を超えることなく、徐々に減り続けた。7月最終週は、ほぼ100人台となっている。

◆追跡
検査で陽性の結果が出た人には、トレーサーと呼ばれる追跡者が、ほぼ毎日、電話をして、体調や隔離の状況などを聞くという制度になっている。ニューヨークには3000人以上のトレーサーが配置されている。トレーサーは、濃厚接触者のリストも作って追跡する。また陽性者はトレーサーが許可するまでは外出できない。ビデオ電話で「どこにいるのか」と確認されることもあるという。ただし、スマートホンの追跡機能などは使われず、外出しても逮捕や罰金はない。

◆隔離
特に、家庭内の感染を防ぐために、自宅での隔離が難しい場合は、「隔離用のホテル」が準備されている。最も拡大していた時期には、ニューヨーク市は、約2万室を確保していた。現在は、感染が抑制されてきたため、300室程度だが、第2波の到来などで感染状況が悪化した場合には、すぐに確保できるよう準備しているという。​

(NY市「隔離用のホテル」紹介映像)


◆訪問者の〝抑制〟
ニューヨーク州は、他の州からの、事実上の訪問抑制をしている。現在、感染拡大が続く34州とワシントンDCなどから、ニューヨーク州に来る人には、14日間の自主隔離を科す。これでは、事実上、観光客は来ないだろう。対象となる州は、これも明確な基準があり、「直近7日間の平均で,陽性者数が10万人当たり10人以上、または陽性率が10%以上の州」とされている。基準を超えれば自動的に対象となる。全米50州のうち、実に34州であり、ニューヨーク市との行き来が多いはずの首都ワシントンDCさえも、政治的な判断を差し挟まずに、対象としたことも分かりやすい。また訪問者は、空港などで自分の連絡先を州に提出する必要があり、もし従わなかった場合には2000ドル(日本円で約21万円)の罰金も科せられる。

こうした「検査・追跡・隔離」の3点セット、さらに、外からの訪問者を「抑制」する政策が機能することによって、感染を抑えていると言えるだろう。


■ビル・ゲイツ氏が「全く無駄」と断じた問題とは?

 ただ、重要な検査体制に、いま問題が持ち上がっている。

「7月14日に受けて、きょう7月29日ですから、まるまる2週間以上かかったということですね。今みたいに、10日も2週間もかかるやって意味があるのかなぁ、とちょっと心配になりますね」

写真 日本人男性 検査結果

(日本人男性の検査結果)

ニューヨーク市在住の日本人男性は、日本に一時帰国していた妻が自宅に戻ることから、念のために検査を受けたが、15日後になってようやく結果を受け取ったという。判定は陰性(Not Detected)だったから良かったものの、もし陽性だったらこの15日の間に、同居の家族や帰国した妻に感染させていたかもしれないと憤る。
実は、ニューヨークだけでなく、全米で検査結果の遅れが、大きな問題となっている。その要因は、南西部で感染が拡大して、民間の検査機関などに検体が殺到していることだ。こうした事態に、米マイクロソフトの創業者のビル・ゲイツ氏は、CNNの取材に対して、早く結果が分かれば行動を変えて他人にうつさないようにすることができると検査の重要性を指摘する一方で、「結果が届くまでに48時間以上かかる検査に、コストをかけるべきではない。そうした検査は全くの無駄だ」。さらに結果が分かるまで3日から1週間もかかる検査に金を払うのは、「狂気の沙汰だ」とまで批判したという。米国では1日70万件以上の検査が行われているが、現在の感染拡大に対応できていない。検査結果を早く出すために、複数の検体を同時に検査し、陽性となったグループだけ個別に行う「プール方式」など、効率化とともに、検査体制そのものの大幅な拡充が課題となっている。あわせて試薬などの確保も急がれている。秋以降、インフルエンザの流行と重なって、第2波の大きな流行が来た場合、検査数の急増は避けられない。経済を回すためにも、1日420万件以上必要と指摘する専門家もいる。これに向けて、米国は着々と備えを進めていくだろう。米メディアによると、議会では、検査と追跡に、さらに予算を付けるべきだと、共和党が日本円で約1兆6千億円を提案する一方で、民主党が約7兆5千億円とすべきと議論が続いているという。いずれにしても巨額の予算となる。


■クオモ知事が向き合う〝数学〟~その先には?

ニューヨーク州は、新型コロナウイルスの感染拡大の中心地になり、2万5千人以上の死者を出した。クオモ知事らにとって、この結果は、あまりに重い。感染拡大の「土壌」となった医療体制の不備や経済格差などの問題とともに、対応の遅れにも批判がある。例えば、ニューヨーク市に「外出禁止令」を出すかどうかで、知事と市長との「政治的な対立」が影響したのではないか、という指摘だ。
ただ、これを踏まえても、感染爆発が起きた後、次の言葉に象徴されるような、クオモ知事の一貫した姿勢が感染を抑えこんだのは確かだ。

 「事実、科学、データ。数字の問題だ。これは数学だ。政治ではない」

クオモ知事らが、科学に誠実に向き合い、データに基づいた効果的な政策を打ち出していると言えるだろう。一方、トランプ大統領の姿勢と言えば、消毒液の注射発言から、国立アレルギー・感染症研究所所長のファウチ博士らへの対応、抗マラリア薬・ヒドロキシクロロキンの効果の強調などの例を挙げるまでもない。マクナニー報道官も、7月の会見で「科学が、学校再開を阻害してはならない」などと語っている。「科学」への姿勢は大きく異なっているように見える。
とは言え、ニューヨークがこのまま、レストランの店内営業を禁止し続け、ブロードウェイや美術館も開けず、他州からの訪問も抑制し続けることができるのか。その犠牲はあまりに大きすぎるだろう。しかし、再開すれば、人とともにウイルスも動き、確実に感染は広がる。
ならば、経済を開けては閉じ、また開けては閉じるという、人類とウイルスの長い闘いになるのか。それとも、自宅でできる簡易検査キットが開発されて、感染していない人だけで経済を回すことができるようになるのか。あるいは、ワクチンの早期開発が成功し、人類が圧勝することになるのか…。先は全く見通せない。ニューヨークは、「地獄」から何とか這い上がったところに過ぎない。

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ニューヨーク支局長 萩原豊

社会部、「報道特集」、「筑紫哲也NEWS23」、ロンドン支局長、社会部デスク、「NEWS23」編集長、外信部デスクなどを経て現職。アフリカなど海外40ヵ国以上を取材。