見出し画像

2022年マイベストアルバム

2022年に出会った大切な作品を10枚選びました。10枚を眺めてみると、一枚一枚はこの場で取り上げるべき素晴らしい作品ばかりだと思う一方、年間ベストアルバムが自身の一年のリスニングライフを総括するものであるという前提を設けるならば、ある意味片手落ちであるようなそんな感覚が今年はどうしても拭えません。この10枚で形成されるジオメトリはどこか網羅的ではないというか、氷山の一角というべきか。

ということで、この一年以下に挙げるような作品だけを聴いていたわけではありませんよ、というおよそ前代未聞のエクスキューズから今年のベストは始めたいと思います。


10 Juan Fermín Ferraris『Jogo』(2022)

リーダーであるJuan Fermín Ferrarisのピアノ、同じCribasのメンバーでもあるDiego Ameriseのベース、そしてPablo Bianchettoのドラム、というシンプルな構成が潔く気持ちいい。というかそもそも特別に好みな編成なのだ。

どこに惹かれるのかと問われれば、上記の3楽器もしくはピアノとベースのデュオ編成による音楽と、静謐・郷愁・親密さと表現したい質感の相性のよさであると答えよう。まさしく相思相愛だと、そう確信するような作品がチラホラと思い浮かぶのである。

静謐・郷愁・親密さと例示したキーワードはそのままJuan Fermín Ferrarisによる楽曲の根本的な魅力に接続される。3年前にリリースされた前作『35 Mm』におけるコントラバスやクラリネット、ミュージックコンクレートを駆使した手法と、今作のトリオ編成によるピュアで個々のフィジカルが活きている手法では見かけは異なれど、どちらも最終的にはJuan Fermín Ferrarisという作家の魅力を余すことなくプレゼンテーションすることに成功しているのだ。


9 コルネッツ『濯う』(2022)

「春の猫」における清廉なピアノリフとコーラスワークは今に訪れる春の兆候を、「JAM」の重厚なピアノと弦のアンサンブルは暖かな朝陽を、「洗濯」の繊細なピアノアレンジは港町で洗濯物を揺らす風と波をそれぞれかたどって、これから始まる何か、その予感を映し出す。

CD付属のライナー中、メンバーの北田かおるさんによるM1「春の猫」を巡るエピソードを踏まえるとそれは希望と呼ぶべきか。

曲で、希望を表現してほしい、と返すと、やってみる、と返信が来た。それで長谷川さんには一生かけて返さなければいけない恩ができたというわけだ。

一方で、

まだ冷たい 風の中
背中を丸めている
鳴く事も 捜す事もせず

「春の猫」

悲しい事はそっと始まる
なくした事さえ 気付かないまま

「JAM」

と、希望に光る旋律に乗せられることばはどれも、どこか哀しみさを湛えているのがリアルであり、それこそが美しさではないか。2022年に描く希望の形として、これほど心強く感じるものが他にあろうか。

また、

元々は20代の頃に書いた「気分優先」の軽薄な曲。

ソングライティングを主に担当する北田かおるさんが、CD付属のライナーでそれぞれ一語一句違わぬ言葉を用いてそう評するのは先の「JAM」「洗濯」という2曲。他にも「養老院」「公園の古い木」といった収録曲の多くの原型は80, 90年代に書かれたそう。そんなレパートリーを大切に育て上げていくようなキャリアの積み方も美しいと思った。


8 優河『言葉のない夜に』(2022)

春、久しぶりの仲間と久しぶりにしっかりと酒を飲んで帰ってきた真夜中、近所に散歩に出て、暗闇を徘徊しながら2周聴いた。久しぶりの友人と共にWALL & WALLで本作のリリースライブを観た帰りの電車でも繰り返し聴いた。よき夜を過ごして、ひとりに戻っていくわたしだけの夜に。「夜明けはもうすぐ」と囁くようなコーラスが傍らにあった一年であった。

話は変わって "どこにもいかないで" と「灯火」の歌いだし。今年はそんな真っすぐな言葉に何か託したいものが多い気持ちだった気もします。


7 長谷川孝水『日々の泡』(1983)

"アスピリンは 棚の上 背のびをしてもとどかない" とアルバムの1曲目を飾る「塔の上の月姫」の歌い出しを一度聴いた瞬間から、すっかりこのSSWの虜である。

ソングライティング、歌唱、演奏、そしてアレンジメントとこのアルバムを語る上で重要な要素に、すっかり隠れてしまっている印象なのが、その詞世界についてである。先の「塔の上の月姫」の歌い出しにも垣間見えるように、こんなにも語彙の選択が楽曲に豊かな色彩を与えているというのにだ。
"極彩色のサーカス列車" というひどい喧騒を想起させる語彙をあえてぶつけることで、逆に楽曲の持つ静寂性を不気味なほどに際立たせている「サーカス列車」はその最たる例と言えるだろう。

彼女はどこで、この作品上できらめく語彙の数々、そしてそれを自在に操る感覚をインプットしたのだろうか。
数少ない本作をめぐる資料の一つ、今年リイシューされたLP版のライナーでは、音楽的バックボーンの記載に比して、ことばについてのそれは少ないが、"「ゼルダ」がスコット・フィッツジェラルドの妻ゼルダをおもって作った歌" であり、"『日々の泡』というアルバムタイトルはボリス・ヴィアンからの引用である"という情報をキャッチすることができる。

さらに少し、妄想を組み込んで彼女の影響源を辿るなれば、マジカルで、淡々としながら死の匂いが通底するような詞世界は、どこか (わたしが偶々この作品を手にした時期に読んでいた) ガルシア・マルケス『百年の孤独』を想起させる。当時 "愛した人はみんな 冷たい土の中" (「夏のリフレイン」)、"みまかって" (「夢うつつ」) と書き出した詩人。
『百年の孤独』と決定的に異なるところがあるとすれば、彼女があれから40年の歳月を経ても長生きして、今回のLP版のメモリアルなリイシューのように『日々の泡』という作品も生き続けているところだ。
続いていく長谷川孝水と『日々の泡』、いつの日か "ことば"、"文学" という切り口から話が聞けることを楽しみにしていよう。


6 Natalia Lafourcade『De Todas las Flores』(2022)

Natalia Lafourcadeは本作において、ソングライティングで、またアレンジメントで、つまり音楽で驚くほどに世界を広げていく。旅をする。弾き語りからごく自然に視野が開けていくような曲構成と、それを支えるアレンジメントも各楽曲における楽器の差し引きの判断という一歩目から、そのタイミングが過ぎたら二度と同じ編成・アレンジの瞬間は存在しないのではないかという気さえしてくるヴァリエーションから、もうなにもかも圧巻なのだ。このアルバムを聴く私たちも音楽に導かれて、あらゆる場所へ旅しては、ガットギター片手に弾き語りをするナタリアの部屋に思い出したように戻っていく。

旅の記憶の積み重ねが、一つのカタルシスのような熱狂を呼ぶのが、どちらも身体が思わず動き出すリズムが印象的なM9「Mi manera de querer」、M10「Muerte」が続くパートである。ここまであらゆるアレンジでしっかりと種をまいてきたからこそ訪れる円熟の瞬間を楽しもう。そして「Muerte」終盤のマーク・リボーのギター。弦の震え。ギターという楽器のプリミティブな美しさそのものを表現するかのごときその演奏に触発されるように、サックスが、トランペットが、そしてナタリアの歌が、拍やピッチから解放されていく。そのようすに、音楽の美しさに、私は感動する。


5 Otomo Yoshihide's New Jazz Orchestra『ONJO』(2005)

・Jim O'Rourke「Eureka」のはなし

今年LP化されたエリック・ドルフィー『Out To Lunch』の全曲カバー盤をきっかけに興味を持ったOtomo Yoshihide's New Jazz Orchestra (ONJO)の音楽。『Out To Lunch』の次になんの前知識も無しに聴いた本作で、Jim O'Rourke「Eureka」の旋律が流れてきた時はひどく驚いたものだ。しかもその演奏はなんと、原曲のもつアンビエンスを維持したまま、重厚でフリーキーな管のアンサンブルによるフリージャズ的狂騒を付与することに成功しているのだから。もう何度聴いても信じられない気持ち。驚愕。これは過去聴いたいかなるカバーとも別次元の高みに到達しているのではないか。この演奏を目の当たりにしてはそんな気さえしてくる。

・アルバム『ONJO』全体のはなし

静寂から狂騒から、あらゆる瞬間がこの作品にはある。あらゆるアンサンブルが現れては立ち消える。そのうちにまた、静寂の膜をポツポツと針が突き穴をあけるように音の断片が生まれ(それをアンビエンスと呼ぼう)、次第に次のアンサンブルが生まれる。Jim O'Rourke「Eureka」や、Ornette Coleman「Broken Shadows」、Charles Mingus「Orange Was the Color of Her Dress, Then Blue Silk」の主旋律も立ち上る。そしてまた雑踏(これもアンビエンスと呼ぼう)に紛れ、泡のように消えていく。また「A-Shi-Ta」。


4 orbe『orbeⅠ』(2022)

『orbeⅠ』で鳴る声 (歌) は風。声は音楽をまだ見知らぬ大地へと旅立たせる。連れていく。声の主役は、haruka nakamuraと田辺玄によるこのプロジェクトにフィドルの演奏でも参加しているMaikaだ。その柔らかく、複雑な和音を湛えているかのように響く声がorbeのアンサンブルにもたらしたものの大きさたるや。

先日サントリーホールで行われた寺尾紗穂のコンサート中、「ストリングスが入ると風が表現できる」という趣旨のMCをふと思い出す。『orbe Ⅰ』のアンサンブルにおいて風を司っているのは、Maikaのフィドルや、よく風に喩えられる田辺玄のギターというよりも、やはりMaikaを中心とした声の方であるように私には聞こえるのだ。

アルバム全体に散りばめられた声によって巻き起こる風が、3人を半年に渡る長いツアーに向かわせたのかもしれない。

初夏の風と光と共に、新たな船出の始まりです。

https://www.harukanakamura.com/orbe2022

本作に付属しているharuka nakamuraによるライナーが東北新幹線の車中で書かれたという記録も、「声」→「風」→「旅」というイメージを色濃くしていく。寒空の下、山なみを縫って走るやまびこの車窓を想う。(ちなみに今年ROTH BART BARONが発表したJR東日本タイアップソングも「KAZE」というタイトルだ。)

haruka nakamuraと田辺玄という盟友同士のアンサンブルにも触れておきたい。M2「my garden」、M6「遠い声」、M8「summer rust」といった田辺玄が作曲にクレジットされ、彼のガットギターをリズムの中心として展開していく曲でのharuka nakamuraの演奏は特に素晴らしい。そこにはお互いを信頼して身をゆだね合って演奏しているからこその開放感が生まれている。

「my garden」であればその直前のM1「starting over」、「遠い声」・「summer rust」であればその間に配されたM7「ship」というように、haruka nakamuraが作曲にクレジットされていて、harukaがピアノで奏でるコードの響きを軸として進んでいく曲がすぐ傍らにあるのも印象的で、アルバムの構成として美しい。


3 寺尾紗穂『余白のメロディ』(2022)

昨年秋、ライブで初めて「歌の生まれる場所」を聴いたときの興奮を今でも覚えている。著書『彗星の孤独』『天使日記』でもしばしば同種のエピソードが登場する「河童について」のMCを導入に演奏されたこの曲がいつか録音されるとき、果たしてどんな景色が見えるのだろうと楽しみでたまらなかった。

『余白のメロディー』という作品中、寺尾紗穂という主体と、それ以外の客体とのボーダーは非常に希薄な状態であるように思う。「歌の生まれる場所」という一個人の決意表明のような曲が終盤に鎮座しているのにも関わらず、この作品で歌う寺尾紗穂はさながら媒介者、もしくは無数の乗客を乗せた船とでもいうべきか。例えば、 Mikikiのインタビューにおいて、松井一平、MC.Sirafuによって提供された歌詞それぞれについて、自身の感覚・考えとは異なる箇所を語っているのは一つ象徴的なエピソードであろう。

この作品に言葉を預けた者、「森の小径」を流行歌として愛した特攻兵、もしくは「光のたましい」において "私たちみんな" と表現される存在。とっくに忘れられたたましいや、見えぬ場所で彷徨う声も当然のように含むその総体が歌となり、寺尾紗穂というシンガーから出力される。その歌が、たましいが「歌の生まれる場所」、そして「Glory Hallelujah」のカバーに収斂していく様子のなんと美しいことか。

アルバムのアンコールとして、この文章を書きながら想っていた言葉を引く。

「わたしが家だと思える?」

多和田葉子『太陽諸島』


2 牧野容也『The Odyssey』(2022)

2022年、わたしの心をもっとも震わせたシンガーであり、ギタリストが牧野容也である。きっと色々な部分で違っているのは分かっているのだけれど、この作品で歌われることに対して何度も「わたしも同じ気持ちだよ!!」と思わず返答したくなるような、そんな風にするりと心に入り込んでくる心地よい親密さが、牧野容也の音楽にはある。

その中心にあるのは牧野容也の歌とギターである。弾き語りベースの制作スタイルそのままに、分かちがたく結びついた2つのパートは、共に朗々として爽やかでありながら、同時に薄い憂いの靄に覆われていて、ふつふつと滾る怒りのような質感も垣間見えて、多層的な感情が浮かんでは、消えていく。

歌というところでフォーカスするなれば、M4「the long sleep」という昨年リリースされたEP『グッド・バイ』からリテイクされた一曲に触れておきたい。EPバージョンからはガラッと印象を変え、ずっと喉を開き抑揚を抑えてラフに歌うことで、聴き手のコンディションによって官能的にも清爽にも聴こえるような奥行きを新しく楽曲に与えることに成功している。

一方ギターであれば、例えばM7「薪」におけるブラジルやアルゼンチンのフォーク音楽との親和性を感じるガットギターのように単体で存在感を際立たせるアレンジと、M1「built to up」のように、A. Guitar、E.Guitar、G.Guitarを一曲の中で繊細に弾き分けて絡ませ、アンサンブルを際立たせるアレンジと、2通りのディレクションを使い分けていることが印象的である。

ギターのアンサンブルと言えば、晴れたら空に豆まいてで行われた本作のリリースツアー中、「家出」という曲での「ギター部」と称した編成を思い出す。この日のバンドメンバーのあだち麗三郎、谷口雄、カナミネケイタロウ、そして牧野容也の4人が横一列に座り、全員がギターを手にして奏でられた若干冗談めいたアンサンブルは、今思えば本作のサウンドプロダクションのコアに接近する表現であったのだ。

「ギター部」の話が出てきたところで、最後にサポートミュージシャンたちの本作への素晴らしき貢献についても書いておきたい。本作はGUIROやHei Tanakaなど、牧野容也のギタリストとしてのキャリアをプレゼンテーションするようなミュージシャンの演奏によって彩られている。中でも、M4「the long sleep」の西尾賢によるピアノと、牧野容也という名プレイヤーをあえてボーカルに専念させた上で、古川麦がガットギターを弾くM5「幻聴」が破格に美しい。そんな一つ一つ丁寧に重ねられた音の数々に、わたしは牧野容也を中心とするミュージシャン仲間の愛のようなものを見るのであった。


1 Yoshiharu Takeda『Before The Blessing』(2022)

9月にこの作品がリリースされて、朝から夜入眠する瞬間まであらゆるシチュエーションで何度も繰り返し聴いた。外を歩きながら・電車に乗りながらワイヤレスイヤホンで、自宅のお気に入りのFOCALのスピーカーから、最近はカーステレオでも。その全ての瞬間でわたしはひとりだった。

友人・知人とライブに行ったり、持ち寄ったレコードをかけてわいわいと聴くのはとても楽しいことだ。だけど同時に、どこまでいってもわたしにとって、音楽とはひとりで聴くものなのだ。武田吉晴の音楽は "ひとり" の音楽の極北として響く。わたしがひとりで耳を傾けているように、彼の音楽も常にひとりとして存在している。そう想像したときにわたしの心には小さなあかりが灯るのである。






"この一年以下に挙げるような作品だけを聴いていたわけではありませんよ" という冒頭の言葉の意味するところを纏めてアウトロとします。

ある括りものを聴いている・触れている時間こそこの一年とても長くて、強い印象はあるのだけれど、惜しくも10枚の中に上がってくるものはなかったとか、選べるフォーマットの作品がなかったとかそういう話です。

まず最初に中古レコード。昨年よりはややペースダウンしましたが、今年も相変わらず実店舗に足を運ぶのは何より好きな音楽との付き合い方です。今年は新たにciruelo recordsという素晴らしいショップにも出会いました。

しかし10枚にはそれが全く反映されていない。それどころか、年間ベストアルバムを旧譜込みで考えることがもはや当たり前となって久しいのにも関わらず、今年は10枚中8枚も2022年に発表された新作を選ぶこととなったのは、我ながら驚きでした。
優河のところでも同じようなことを書きましたが、今年は同じ時代を生きる人の真っすぐな言葉によく心を動かされた気がします。

"言葉" といえば、10枚のラインアップ中、いわゆる "英語の歌" が一つもないのは、今年の私のリスニングスタイルが反映されていると言ってもよいところかもしれません。今現在、これまでになく英語圏のソングがもつリズム感から意識が遠のいているのです。


他にはフリージャズ的なものやECMの近年作。そして、テニスコーツが手掛ける配信サービスMinnna Kikeru周辺、円盤レーベルといったあたりの日本のインディーシーン。それらのシーンともつながるマヘルシャラルハシュバズ・工藤冬里周辺、7e.p.レーベルといった辺りの音楽を追いかけて興奮し続けた一年だったような気がするのですが。リストを何度見返しても不思議な気持ちに襲われます。


また何より、直前のパラグラフに羅列したほぼ全て (ECM近年作以外) の実質的入口となったyumboの音楽こそが、年間通して一番聴いた音楽でまず間違いないでしょう。今年、自分の中の年間ベストの趣旨に合うyumbo作品はありませんでしたが、あらゆるアート作品の中で今年の一番を選ぶというならば、yumbo『いくつもの宴 multiple banquets 1998─2021』以外のものは到底考えつかないのです。

2022年はこの映像作品に時間をかけて向き合えただけでよしとしたい。うん、やはりそんな気がします。

どうぞお気軽にコメント等くださいね。