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2020年7月の音楽(とか)のこと


ふと、(レコードをできる限りいい音で聴きたい!) と思い立ったが最後。湧き上がる自宅のオーディオ環境を一新したい欲そのままに、夜な夜な選定作業→その度欲しいものが連鎖的に増える→優先度の高いものをポイント還元率が高いタイミングで購入とオーディオスペースの整備にいそしんだ。これまでそこまで拘りはなかったオーディオ周り。(ときにオーディオに凝る人とは音楽の好みが全く合わないというちょっとした偏見のような経験則はないでしょうか。レビューとかで試聴に選ばれる音源のピンと来なさは異常というこれまた偏見のようなあるあるも。)

ですがちゃんと向き合ってみると好奇心と物欲が派手に刺激されてこれは面白いですね。やろうと思えば回路の勉強材料としても入口になりそうですし。

最初に購入した大物はDENONのプリメインアンプPMA-1600NE

音の入口でも出口でもない中継点からまずは固めていこうという魂胆です。アンプを固めた上でスピーカーは試聴をして決めたいというのもある。

本格的なアナログプリメインアンプへのエントリークラスと言える立ち位置でこれがあればそこらのスピーカーはなんでも十分に鳴らせるだろうと期待している。12kg越えの重量感、電源を入れたときの「カッチッ」という起動音、リモコンで音量操作する時でも本体のボリュームつまみが回るのとか「アナログ(物理)」な質感が絶妙でやっぱりいいです。あとこれは同価格帯の製品では唯一だと思うんだけど、PHONO入力のMM/MCを切り替えられるのがいいですね。今はMMしかカートリッジの手持ちはないですが、将来の選択肢を広げてくれる。

音は今のところスピーカーが貧弱なので本領発揮とは言い難いですが、そもそもの音圧のようなものが相当上がった気がします。今まではレコードプレイヤー内蔵のフォノイコライザーを使っていたのでそこの部分が一番大きいのかもしれない。

他にはレコードからの音の入口をちょっとばかり整えてみたりしました。「音をよくする」ために気が遠くなるほど無数のアプローチがあるプレイヤー周りのセッティング、まずはこのあたりからではないでしょうか。

カートリッジを純正のオーテクOEM品からシルエットとカラーがきれいなオルトフォン2M Blueに変更、ちょっといい除電ブラシと針圧計も導入しました。小道具やツール系を色々試してみるのもやはり面白いもので、針圧計はちゃっちい作りながらも実測の安心感が出て気持ちいいですね。(一応ちゃんとキャリブレーション用の分銅もついてくる。)

除電ブラシの方はブラシ繊維がレコード溝に入り込んでいるのが実感できるような値段に違わぬホコリ寄せ集め力があるのだけど、盤面の一か所に寄せ集めたホコリたちを最後いかに盤面から取り除くかということは積み残し課題となりそうな感じだ。(ここで無理やり払い落とそうとすると静電気が再発してしまう。)

もう完全に全とっかえの腹積もり。残りはこのあたりを順番にちょっとずつと目星を付けている。

今まで使っていたなんでも入力できるくせに出力はヘッドホン or スピーカーしかないコンポの代わりとなる手頃な単機能ネットワークプレイヤーがすぐ欲しいのに、軒並み欠品につぐ欠品でもどかしい。デノン&マランツ系列は情勢的に中国の工場が…ということらしいですが、他も同じくなのだろうか。


欠品と言えばこちらも各所欠品で1ヶ月がかりでようやく手ごろな中古を手に入れた「アナログ・レコードで聴くブルース名盤50選」。1枚につき4ページと余裕ある分量が割かれていて、オリジナル盤の表ジャケットだけでなく、裏ジャケ、さらにはレーベル両面、クレジットまで掲載することで、レコードを実際に手に取るときの情報量を再現しようというコンセプトが伝わってきていい。


今一番好きなブルースマンはBlind Willie McTell。ブルースマンとしてはちょっと珍しい高めの柔らかい声質を元に小刻みにピッチを揺るがせて、最後は鼻から抜けていくような歌唱を聴いているだけでとても気持ちいいです。

ブルースを中心に聴きながら、Gary Burton×Chick Coreaの「Crystal Silence」の確かな魅力にふと気づいてよく聴いていた。管楽器メインのものよりも、鍵盤メインのもの、さらにこのくらいミニマルなやつというように自分のジャズという広大なジャンルの中での好みがちょっと分かってきたような気がする。ジャズというところで見ても、ECMというレーベルで見てもこれを一つの起点としたい1枚だ。


Sufjan Stevensが来るアルバムの表題曲「America」に続いて、アルバムには未収録予定の新曲「My Rajneesh」を公開。「America」の方はアルバムの流れで聴こうとあんまり聴かず寝かせてあるので、こっちばかり聴いていますが、「これぞ待ちわびていたSufjan Stevens!(歌っている!!)」な曲で最高ですね。先を行き過ぎて特異点のように見えた結果か10年代総括が活発化してもほとんど話題に上らなかった「The Age of Adz」にも真に光が当たるのは9月「The Ascension」というアルバムがリリースされた後なのかなとふと思いました。


1曲目からリヴァーブの効いたドラムのサウンドプロダクションにSufjan Stevensを感じたRufus Wainwrightの新作も素晴らしかった。ある種非常に正統なところのある作りにふと変な音が入ってきてとても面白い。今年のフジロックのラインナップで一番楽しみにしていたのもRufus Wainwrightだった。The LumineersやFather John Mistyといったところと同じ枠で、FIELD OF HEAVENのトリを飾って欲しかった。

そのFather John Mistyは4曲入りのカバー作をリリース。中でもレナード・コーエンの「One of Us Cannot Be Wrong」がすっかりFather John Mistyの曲になっていて好きです。アコースティックギターを爪弾きながら朴訥と歌う本家のイメージを刷新するようにFather John Mistyらしいリッチなバンドサウンドの上で、声が枯れるほどの大熱唱を見せるJ. Tillman。今回のカバーを聴いて、レナード・コーエンの77年作「Death Of A Ladies' Man」が聴きたくなったりした。フィルスペクターがプロデュースに入ったレナード・コーエンのキャリア的には異色であった作品。「Memories」とかFather John Mistyにたっぷりとムーディーにカバーしてほしい。


スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「セカンドハンドの時代 -「赤い国」を生きた人びと」をこれは大変な名著だと都度思いながら読んでいる。1ページ当たりの字数がぎっしりと多く、600ページ近くあるので読み応えがあるのです。ソ連という国で生きた様々な立場の人々の声をポリフォニックに纏めた上げた結果、「ソ連」「社会主義」といったキーワードにまつわる限定的な対象だけにとどまらない普遍性が生まれている。

10ページほどの「加担者の覚え書き」と題された前書きだけで、そこら辺の本1冊分くらいの思考を巡らすことができるのではないだろうか。

わたしは語ることばをさがしている。ひとりの人間には多くの語ることばがある。子どもと話すときのことば、そしてもうひとつ、愛を語るときの、あのことば……。まだほかにも、ひとり言をいうときのことば、つまり、内なる対話をするときのことばがある。街や、職場や、旅行、あらゆるところでなにかちがうひびきがあって、単語だけではなく、なにかほかのものも変化している。人は、朝と夕方でさえも、語ることばがちがうものだ。夜中にふたりの人間のあいだで起きていることは、歴史からきれいさっぱり消えている。わたしたちが相手にしているのは、昼の人間の歴史だけ。自殺というのは夜のテーマで、人は存在と非存在との境目にいる。眠りとの。わたしは、昼の人間のしつこさをもって、それを理解したいのだ。


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