見出し画像

やさしさ

   「優しいは性格ではなく、知識として獲得していなければ親切な行いは出来ない」というのが、母の教えです。昔に聞きまして今でも覚えていますが、今でも何言ってるかハッキリとは分からないです。実際には優しいから親切ができるのか、親切ができるから優しいと言われるのかは鶏卵論の様なところがありますが、ともかく人に親切ができることは人として高く評価されます。この親切には、席を譲るとか消しゴム貸してあげるとかはもちろん、人を褒めたり、一緒に喜ぶことなんかも含まれていると僕は思います。
   さてさて、ところであなたはどちらが親切だと感じますか?①普段から真面目な人が、雨に濡れた猫に餌をあげている。②普段の素行はあまり良くないヤンキーの様な人が、雨に濡れた猫に餌をあげている。
   これはゲインロス効果と言い、俗に言うギャップ(萌え?)と呼ばれるものです。予め得た情報と新しく得た情報との印象の差が大きい方がより強く感じるというものです。先程の回答も、恐らく②の割合が高まるとされています。このギャップは至る所に潜んでいます。特に性別なんか「女々しい」「ボーイッシュ」などの言葉で印象がどう変化しているかよく分かるんじゃないでしょうか。
   僕自身はと言いますと、ヤンキー気質は持ち合わせていないです。拳を交えた喧嘩のやりかたは全く知りません。特別親切な行為やボランティア精神に富んでいる訳でもないですが、困っている人はそう放っていたくはないです。
   そんな僕に、ゲインロスの点で物申しますと、明らかに損なのです!普段から悪態つくことはないので、濡れた猫に餌をあげることが前提の様に期待され、急用などで見過ごそうものならマイナスのゲインロス効果が作用し、印象は奈落の底です。猫界からも大ブーイングでしょう。
   それでも僕はヤンキーにはなれないです。優しいことが周りの人の笑顔に繋がったり、安心に繋がることを知識として学んだから。補導されて親が嘆いたり、喧嘩に明け暮れる日々を過ごしたりすることは、学んだ優しさとは違ったから。己を貫いて鍛えた心身で、悪者から大切な人を守るヤンキーは当然ギャップでカッコよく見えますが、僕は僕なりの人生で沢山の優しさを学習しました。実体験として頂いた優しさも計り知れないです。今はまだ知識でしかない優しさですが、「親切なことができる人」ではなく、「親切な性格の人」になりたいです。
   言葉は全てブーメランだと思います。針を向けた鋭い言葉は自分にも突き刺さるし、誰かの支えになった言葉は、同じように自分の支えになる。なので、ありがとうを言われる親切な人の第1歩は、周りの人にありがとうを沢山伝えることにします。

最後までご愛読、ありがとうございました。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?