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地元軽視の風力発電所計画が乱立するワケ

筆者の故郷で風力発電所の計画が明らかとなり、波紋を広げいてる。

背振山系は福岡市に近く、登山などレジャーとしても親しまれている。しかし、こんな重大事に想定事業区域に隣接する糸島市、立地自治体となる唐津市の市民のほとんどは知らされていなかった。

実は今年に入って、同じように、風力発電所の計画が立ち上がっては、住民から反感を買う、ということが日本各地で起きている。

なぜこのような事態になっているのだろうか。

再生可能エネルギーと地方

日本で再生可能エネルギーの導入が本格化したのは2011年の3.11以降のことだ。原子力発電への不信感、警戒感と代替となる電源候補としての将来性から、導入しやすい太陽光発電所が乱立した。

再生可能エネルギーという新事業には、文字通り、夢があった。原子力発電の見直し、代替電源である石炭火力発電所の老朽化や燃料の供給等の問題から、太陽光や風力などを中心とした既存の再生可能エネルギーに注目が集まった。

地方の窮状も追い風となった。人口減と高齢化を背景に増加した休耕地や空き地などの遊んでいる土地を有効活用できる。ソーラーパネルの置かれた区画が地方の至る所で見られるようになった。

アベノミクス下でも再生可能エネルギーへの投資は続いた。日銀が国債にマイナス金利を設定するようになったことが地方銀行の大型投資を加速させ、地方都市中心部の再開発も活発になり、各地でにわかに土地バブルが起こっていく。

しかし、その実体は厳しくなっていく一方だった。

変化を拒む電力業界

3.11が起きたあと、日本では原子力発電の削減が真面目に議論されていた。それまでは夢想のように語られていた原発事故が現実となったことで、恐慌状態になった、といってもいい。その実態を明らかにできない政府や東京電力への苛立ちも募っていて、東電国営化まで議論されるほどだった。

しかし、原発の削減は現実とはならなかった。福島第一原子力発電所の実態がわかるにつれ、この事故の規模の大きさと責任問題が頭をもたげ、日本政府は先延ばし策をとった。つまり、原子力政策を推進もしなければ、撤廃のような具体的な廃止もとらない。サボタージュという態度を取り、現在に至っている。

これは日本の電力供給における再エネの位置づけにも大きく関係している。
電力供給は、電源によって役割がそれぞれ与えられている。恒常的に電力が供給できるものをベースロード電源、供給できる電力を変動させることができるものをミドル電源、需要の多いときに供給できればピーク電源、というふうに。
この電源構成の考えに立ったとき、その性質から原子力発電はベースロード電源となり、急増した風力・太陽光発電はピーク電源という扱いになっている。

現在、ヨーロッパを中心に蓄電池などを使った既存とは異なる供給システムの開発が試みられているが、これは再生可能エネルギーが増えたことに対応してのことだ。日本が原子力政策への踏み込んだ対応を取りたくないがために、エネルギー政策自体を放棄している。

その結果、再エネは大手電力事業者にいいように扱われ、ともすれば「再エネブームの被害者」とでもいうような顔で、「再エネ賦課金を増やさないため」と国民を盾にして再エネからの買電を拒否している。そして、供給過多を理由に売電価格は低下の一途を辿っている。

では、こんな見込みのない再エネ事業はなぜ行われているのか?

バブルの夢が終わらない

新型コロナウィルスの流行は日本経済に大打撃を与えた。

観光業頼みの経済を指向してきたことが災いし、人口減少にまともな施策をとらなかったことで消費は冷え込んだ。大型宿泊施設などで賑わった土地バブルも、ひたひたと迫る終わりの時を前に各所で生き残りが画策されている。

その中で特に危機感を募らせているのは地方の金融機関だ。顧客に中小企業が多く、この未曾有の緊急事態での歯止めが期待される一方、そもそも健全ではなかった財務の悪化が当然懸念される。建設業にとっても来年以降の仕事がどうなるのか――。わかったものではない。

そんな地方の窮状にぴったりと当てはまったのが、一見して将来性がありそうな再エネの発電所だったのだ。

ここまで筆者が言い切れるのは、既に2019年の時点で「風力発電事業は採算が難しくなっている」ということを関係者から聞いていたからだ。太陽光発電に至っては、「今から始める意味ない」とまで言われていた。

風力発電事業者のなかには、山や平地に建設する陸上風力発電所ではなく、欧州で拡がりを見せている洋上風力発電に賭けていたものもいた。ところが先般、洋上風力発電の電力を買い取り価格はその上限額を29円/キロワット時とするという決定がされた。これは、従来の想定を下回る額だった。

このまま、日本の再エネは、「原発再生エネルギー」になっていくだけなのだろうか。そしてその犠牲になるのは、地方と、そこに住む私たちだ。

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