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医療と制度⑧⑨ 人生における「選択のパラドックス」

人生における「選択のパラドックス」

前3回の稿において、私はAdvance care planning (ACP)について考えてきた。ACPの主軸は共同意思決定であり、専門家や家族の支えを受けながら人が自分の人生の終い方を選択することである。しかし、私は思う。人は自分の人生を自ら選択できるのか?

バリー・シュワルツ(心理学者)が「選択のパラドックス」の中でこのように述べている。

“産業化された社会を繁栄させるために必要なことは、自由を最大化することである。なぜなら、自由そのものが良いことだからだ。自由を最大化するためには選択肢を最大限与えることだ”という公然の理解がある。この考え方に異議を唱えられる人はいないだろう。
 しかし、その考えが医療界にも浸透した結果、病気の治療方針を決めるときに医師はどうすれば良いか教えてくれなかった。ある治療を選択するときに、「我々にはAとBという治療の選択肢がある。Aはこんな効果とリスクがある。Bはこんな効果とリスクがある。あなたはどちらを選びますか?」と聞かれる。どうしたら良いかわからないので聞き返しても、医師は「Aにはこんな効果とリスク、Bにはこんな効果とリスク」を繰り返すだけだ。あなたは「先生が私ならどうしますか?」と聞いてみるだろう。すると、医師はこう言う。「でも、私はあなたではないのだから」。

決定の重圧と責任を、知識のあるものから判断に最適ではない者に委ねられる。患者(家族)は実際に何も知らないし、具合が悪いし、気持ちも打ちひしがれているのに。これが「患者の自己決定権」の正体である。

また、私は「生(または死)の自己決定」について、本来生死とは自分で選択できるものなのだろうか?と考える。吉野弘という詩人の”I was born”という詩の中で、息子が父に言う。

“ I was born. 受け身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね。”

生が宿命的に持った性質は「受動性」だと思う。人生だってそうだ。自分の意志と希望だけで人生の選択をできる人間がいるのだろうか?皆、生きる環境や、自分に対する期待などの圧力に押し潰されそうになりながら、ぎりぎり自分が納得できる選択を辛うじてしてきたのだと思う。

しかし、人間には必ず自分の生を終う方法を決めなくてはいけない時が来る。私たち医療者はどうやってこんな解決不可能と思われる課題に関わっていけば良いのだろうか?

ここまで「生(死)の選択のパラドックス」について、今、私が考えていることを述べた。生の選択を迫られた患者さんや家族を医療者はどのように支えれば良いのか?

私たち医療者は、患者さんが治療困難な病気にかかった時、積極的な治療を受けるか・緩和治療を選択するかどうかの判断をするアドバイスをしなくてはいけない。患者さんが人生の終末期に達したときに、人工呼吸器をつけるかどうか悩んでいる家族に、どちらかを薦めなくてはいけない。
この時、前稿で書いた「AとBの選択肢があり、それぞれこんな利点と欠点があります。それは決めるのはあなたです。」という提案では、患者さんやその家族は「選択のパラドックス」に陥るだけだ。では、医療者はどうすれば良いのか?

専門家として自信を持ってこちらが良いと思える選択肢があれば、私はその方法を必ず薦める。当たり前のようだが臨床現場では時に難しいことである。患者さんだってその選択をしたくても、経済的な事情や、自分が闘病することで家族に迷惑をかけるのではないか、などの心配からそれを希望できないことがある。また、その気持ちを言葉にできない人のほうが多い。私は、医療者は患者さんや家族の言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけないと自分に言い聞かせている。患者さんの言葉に隠れている“本当の願い”を粘り強く探り当てて、話し合いのテーブルに載せる役割が医療者にはあると思う。
では、医者でも“患者さんのためにどちらがいいかわからないとき”にはどうすれば良いのか?たとえば治る可能性が高くない疾患に対して患者さんに身体的・精神的負担の大きい治療を行うか?といった問題である。私もずっと悩み続けている。だいたい、私にそんなことを判断する能力があるのかという根源的な不安が自分を苦しめる。それでも、最近、こんな風に言えるようになった。

こういう治療の選択肢があり、どちらの選択をされても私は医者として全力を尽くします。ただ、本当はどちらが良いのか私にもわからないのです。自分がそうなったら理性的に判断できる自信が今の私にもありません。でも、もし自分の親がこの病態であったなら、こちらの選択をすると思います。それは、私は私の親のことをよく知っているからです。親に対する理解と、現在の医療の限界を掛け合わせると、こちらの選択がいいかな?と思うからです。そんな風に一緒に考えてみませんか?

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