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医療の正義について ー新型コロナ感染拡大を経験した今、考えることー

 新型コロナ感染拡大を経験した今、私はある考えから逃れられなくなった。今まで日本の医療において正しいとされたことが、本当に正しかったのか?

 政府はこの10年、医療費削減のため積極的に急性期病床の削減を進めてきた。最近の地域医療連携調整会議の資料を見ても、この考えは変わらないようだ。今も病床を返還すれば一定額の補助金が国から支給される制度は続いていることからも、それは明らかだろう。コロナ第5波で、あれほど病床逼迫を経験しながら、方針の修正を真剣に議論するつもりはないようである。
 最近の在宅医療機関のSNSを見ていると、新型コロナ第5波で医療逼迫が起きた地域では、在宅における看取りが急増したことをアピールした内容が散見される。これは、在宅看取り件数が在宅医療機関の評価項目の一つであるからだ。病院において、外来患者数や、手術件数、救急車応需数を病院機能の指標として掲げることは通常である。しかし、亡くなった患者数を誇る病院はないであろう。それは、救えなかった命の数であるからだ。しかし、在宅医療では、看取り件数が多ければ多いほど、優秀な医療機関とされる。この乖離に違和を感じる人は少ないようだ。私は、在宅医療と救急医療の両方をセットとして提供する医療を行い、提案している(光文社刊『在宅医療の真実』)。その視点に立つと、この乖離を非常に奇異な心理的矛盾に感じる。

 新型コロナ感染拡大は、社会の危機である。危機時においては、平時に隠れていた社会の矛盾が明らかにされるのだろう。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」が、日本人の悪い性質である。特に、最近の社会現状に私は危機感を感じている。太平洋戦争で多くの命を亡くし、2つの原子爆弾を国土に落とされるまで戦争をやめられなかった日本。その反省から世界に誇るべき平和憲法を得た日本。しかし、今、その平和憲法を改変してしまおう(とても、改正などという言葉は使えない)と考える人達がたくさんいる。東日本大震災における福島原発爆発。その時の真摯な反省や適切な対応の検討もなく、全国の原発をいかに再開するかばかりが語られている。なぜ、私たちは学ぶことができないのであろうか?これが人間であるとすれば、なんと悲しい生物なのだろう、と嘆くしかない。

 私は、今が、「医療に関わる者達が皆で立ち止まり、医療の“本当の正義”について考える」、稀な好機だと考えている。そして、この時代の医療者が、子供達の時代にも継続していける社会を造るために果たすべき、最低限の義務なのではないのだろうか?

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