見出し画像

2020年末に考える、在宅医療と病院医療 Part.1

COVID-19拡大が地域医療に与えた衝撃


2020年が、もうすぐ終えそうです。2020年の医療界は、COVID-19対応で一年間が終わってしまった感があります。医療の現場で働いていますと、日本の医療はこれで変わってしまうな、と肌で感じています。

異変の始まりは2020年3月からでした。テレビのワイドショーで新型コロナウイルスの報道が毎日のように繰り返されはじめました。私たちの病院に直接の影響があった報道は、COVID-19が東京で広がりつつあり、院内感染が起きてしまった病院が、さんざんテレビで報道されたことだと思います。その頃は、COVID-19を引き起こすSARS-CoV-2というウイルスについて、どんな感染力があって、どんな病原性を有していて、どうすれば予防できるのか、感染症の専門家も含め誰も知らなかったのです。やっと、ウイルスの診断法であるPCR検査が、保健所を中心に始まったばかりでした。分かっていたのは、コロナウイルスという種類の一つであるということだけです。対策としては、治療法もないです(今も特効薬はありません)し、対処法は予防だけでした。予防とは、ウイルス感染予防の基本である、マスク着用と手洗い、換気、それと、感染者と接触しない、それだけです(この感染予防の基本は今も変わらない最も重要な対策です)。感染症の学会や私が所属している救急医の学会などが、病院で感染を広げないための方策を少しずつ示し始めました。様々な機関が対策法を打ち出していましたが、共通点は以下の項目でした。

① 発熱患者(COVID-19の可能性がある患者)と一般の患者を隔離すること
② 発熱患者を診察するには、個人用防護具(personal protective equipment:PPE)と呼ばれる、キャップ、フェースシールド、サージカルマスク、全身を覆うビニールエプロン、ゴム手袋、シューズカバーを装着すること
③ 発熱患者から喀痰などの検体を採取するときには、サージカルマスクをN95マスクというウイルスを通さないマスクに変更すること

大きな問題となって、テレビのワイドショーで新型コロナウイルスの報道が花盛りだった頃、私たちの病院に異変が起きました。患者さんが病院に全く来ないのです。病院に行くと、新型コロナの患者さんから病気を感染させられるという恐怖が、世間を渦巻いた結果でした。これは、SIRS-CoV-2という未知のウイルスによる社会的パニック状態であったと、今、思います。有名な俳優さんの新型コロナによる感染死が報道されると、小豆畑病院の外来患者さんの数は昨年度の30%程度まで減少しました。外来受診の患者さんが減少すれば、入院する患者さんの数も減少します。一時期、私たちの病院の全活動は、例年の1/3程度になった印象でした。

続いては、小豆畑病院が茨城県の委嘱でCOVID-19のPCR検査を行う「地域外来検査センター」を開設した6月です。これは、COVID-19の検査・診療をどこの医療機関をやりたがらないために、県が県医師会にCOVID-19診療を行ってくれる医療機関の制定を求めた時に認定された医療機関です。小豆畑病院は、小豆畑病院が所属する那珂医師会管轄エリアの唯一の地域外来検査センターになったのです。
 私たちは、COVID-19の恐れのある患者さんを、一般の患者さんと完全に分けるために、病院敷地内にプレハブを建てて診療を始めました(写真の2棟のプレハブがそうです)。感染予防の必要性からトイレも別に作り、プレハブ内に電気と水道を引いて、そして患者さんのプライバシーの問題からプレハブの全周を壁で囲った建物です。これは、現在、考えられる最善の感染予防対策です。しかし、この建物が地域住民の不安をあおりました。病院の駐車場に突如異様な建物ができて、そこで感染予防着に身を包んだ医療従事者がなんかゴソゴソやっている、という噂が立ったのです。SNSで私や病院を中傷・批判する文章が流されました。それを見つけるたびに、サイトの管理者にお願いして消去してもらう、そんなことの繰り返しでした。           COVID-19に関わる診療をしている医療機関が誹謗中傷の標的になって問題になっていることを、私たちは既に知っていました。私たちは、県や医師会からの「地域外来・検査センター」を開設してほしいという要望に対し、最初はお断りしました。私たちの病院は感染症指定病院ではありませんから、病院自体にCOVID-19予防に耐えうる設備がないのです。また、風評被害で経営が立ちゆかなくなった病院の存在も知っていたからです。しかし、度重なる要請と、「誰かがやらなくては地域住民が困ってしまう」という医療者としての感情が、私たちを悩ませました。僕らがやらなくて本当に良いのだろうか?COVID-19のことを徹底的に勉強し、何度も何度も院内で相談して、最終的に全ての医者の決断の上、私達は火中の栗を拾う覚悟でこの仕事を引き受けたのです。しかし、このSNSで心ないことを言われるという現象、覚悟はしていても、やはり、心理的に追い詰められるものですね。「地域住民のために頑張ってくれてありがとう」とみんなの前で感謝されると同時に、その裏で、匿名の投稿者から、SNS上で自分や仲間がばい菌のように中傷される。人間の悲しい二面性が暴露されるようでした。あー、これが、非常時の医療なのだなと、思い知らされました。市民にとって、医療とは、あるときはありがたいものであるが、それは常ではないということ。状況が変われば、“地域住民のために”と行われている医療でさえ、市民の排斥の対象になることを肌で感じました。

そして、2020年の後半、今は12月ですが、COVID-19に対するパニックは落ち着いたように感じます。新規感染者数は、最高記録を更新し続けているにもかかわらず、です。連日、新型コロナ感染患者が増えることが慢性的に公表されるなか、患者さんの病院に対する感情にも変化が現れてきました。COVID-19に対して、保健所や医療機関からPCR検査依頼をうける「地域外来・検査センター」に加えて、小豆畑病院で発熱者外来(COVID-19やインフルエンザなどの各種検査を行う医療機関である「診療・検査医療機関」として、県に認定されました)を行うことを10月に公表しましたが、それに対して、もう、人々はなにも言いませんでした。良いとも悪いとも言わないのです。新規患者が増え続けることも、近くの病院がCOVID-19診療を行うことも、もう、日常になっているようです。お天気の話みたいに話題にはあげますが、自分の世界の話ではないみたいです(参考・注釈①)。日本社会は、COVID-19に対して、パニックから麻痺状態へ移行したのだと思います。パニックと麻痺、どちらが危険なのか、私にはわかりませんが、どちらも健全な状態でないことは確かです。
 同時期に病院に対する患者さんの感情に変化が現れました。COVID-19の収束が見えない中で、患者さんが病院へ入院することを嫌う、新たな傾向の出現です。変化の理由は、COVID-19第3波に見舞われている12月現在、日本中の病院で患者さんの面会が困難になっているからだと思います。COVID-19が院内感染を起こすことを懸念して、非常に厳しい面会制限がしかれています。私の病院でも、現在、入院患者さんに面会できるのは茨城県在住の2等親までとしています。同時に面会できるのは2名までとし、時間も15分と限定しています。それを補うために、web面会を導入していますが、面会がwebというのは味気ないものです。面会制限はCOVID-19の感染状況次第で適時変更しているのですが、患者さんや家族から見れば、入院すると全然面会ができないという印象が急に広がってしまっています。そのため、入院より、在宅医療を選択する人が急に増えている気がします。実際に、小豆畑病院の急性期病棟の利用率は昨年まで90%弱程度でしたが、2020年6月には50%まで落ち込みました。少しずつ改善しましたが、10月から12月現在では75%程度の低い状態で停滞が続いています。これ以上改善する兆候が認められません。病院長の私は、病院のあり方を変えないと、継続は難しくなりそうだと頭を抱えています。一方で、それと反比例するように、在宅医療を希望される方が前年の1.5倍程度まで増えており、12月現在、増加傾向はさらに拍車がかかっています。今までであれば決して在宅医療を選択しなかったような医療必要度の高い方々が、入院ではなく、在宅医療を希望されるようになってきました。医療側は、それに対応するために一所懸命です。小豆畑病院の在宅医療グループ(参考・注釈②)も、訪問診療の希望者の増加、在宅での高度医療の要求、これらに対応するために、新しい態勢作りが必要となってきています。しかも、その変化のスピードが今までにないほど速いので、対応が追いついていないのが現状です。
 一度、この「病院離れ・在宅指向」の傾向が進むと、COVID-19感染が落ち着いても、在宅でも大丈夫じゃないか、というイメージが定着するでしょう。元々、病院医療から在宅医療への変換を進めている政府(参考・注釈③)は、この傾向に便乗して、さらなる病院医療縮小・在宅医療拡充政策を進めていくものと考えます。実際に、COVID-19に医療界全体が襲われている2020年10月、厚生労働省は、病院が病床を国に返還すれば、ベッド1床あたり100万円―200万円の給付金を支給する政策を打ち出しました(参考・注釈④)。しかも、この給付金は課税対象にならないという大盤振る舞いです(参考・注釈⑤)。小豆畑病院は東日本大震災に被災し、建物半壊の被害を受けた老人保健施設を再建するために、国に難しい申請をして補助金をいただいた経験があります。本当に苦しい時代でしたので、あの補助金はありがたかったのです。ところが、その補助金に対してしっかりと税金を徴収され、国とは酷いものだなぁとほぞを噛んだ経験があります。東日本大震災の補助金には課税しても、この「病床削減に対する交付金」には課税をしない。ここにも、厚生労働省のやる気の程が見えます。私は、この政策を、COVID-19で医療機関が経済的に苦しんでいるこのときにやるのか、と、いささか驚きました。しかし、すぐに、病床削減がなかなか進まないことに業を煮やしている厚生労働省の怜悧な役人が考えそうなことだな、とも、感じました。コロナ危機で病院離れが進んで病床利用率が下がり、病院は経営が苦しくなっている。このとき、ベッドを手放せばお金をあげますよと誘いをかければ、苦しくてベッド返納に応じるだろう。コロナ危機の今がチャンスだ、ということです。一度返納した病床は、決して、還ってくることはありません。これを、「今般のコロナウイルス感染症への対応により顕在化した地域医療の課題への対応」として行う、とシラッと言える厚労官僚の冷たさと狡猾さに、不快感を禁じ得ません。
 いずれにしても、良いとか悪いとかの問題ではなく、コロナの第一次パニックが落ち着いてから生じてきたこの変化(病院離れ・在宅指向)は、政府の後押しもある以上、一過性ではなく、これからも続くと思われます。私は、これは日本の医療が変わった瞬間であると感じています。

2020年に起こった、私の周りの医療界の変化についてお話ししました。
医療者は、今、毎日の対応で精一杯です。しかし、それでもここで立ち止まって、立ち考えなくてはいけないないことがあると思います。それは、このうねる津波のように押し寄せる医療の変化に、どのように対応していくかという現実問題です。医療必要度が高い患者さんを在宅医療で対応するとなると、「在宅医療における、患者急変の救急対応の問題」は、拡大し、内容も複雑化・高度化してくることは必須です。この問題に対応するためには、在宅医療と病院医療を結び付けて考えていく以外に方法はないと私は考え始めています。

(参考・注釈)

①新規患者が増え続けることも、近くの病院がCOVID-19診療を行うことも、もう、日常になっているようです。お天気の話みたいに話題にはあげますが、自分の世界の話ではないみたいです。
 日本人にはこのような特質があることを見抜いていていた人がいます。坂口安吾(1906-1955)という、戦後文学の騎手として活躍した文学者です。この人は、私が中学から高校時代に、彼の書いた本を何百回も読んだ、そんな、私にとって大切な人です。坂口安吾は、「この日本人の性質は一見軽薄に見えて、実は日本人の強みなのだ」と言っているのだと思います。私は本文の中で、この態度は健全ではないと書きましたが、間違いかもしれません。こういう風に危機に対して不感症になること(私には痴呆状態にも感じられます)で、日本人は本当の危機(国家的危機も個人的危機も)を、精神を病むことなく乗り越えてきたのかもしれません。以下に、彼の言葉を抜粋します。

 ところが、日本人は探偵小説に於けるアメリカの被害者達とは全く類を異にしている。日本人は概してユーモアに乏しく、又之を好まぬ傾向があるが、実は根底的に楽天的な国民で、日本人がシンから悲観し打ちのめされるなどということは殆どあり得ぬ。
 私の隣組は爆弾焼夷弾雨霰とも称すべき数回の洗礼を受けたのであるが、幼児をかかえた一人の若い奥さんが口をすべらして、敵機の来ない日は淋しいわ、と言ったという。私は之をきいて腹をかかえて笑ってしまったが、全く日本人は外面大いにつらそうな顔をして毎日敵機が来て困りますなどと言っているが、案外内心は各々この程度の野次馬根性を持っているのではないかと思った。
 焼けだされた当座はとにかくやがて壕生活も板につけば忽ち悠々たる日常性を取り戻してしまう。爆撃中は縮みあがるが、喉元すぎれば忽ち忘れる。私の隣組には幼児や老人達もたくさんいるが、物資の不足という一点をのぞけば爆撃に対しては不感症の如く洒洒(しゃあしゃあ)としている。

(中略)

 日本の都市は建築物に関する限り欧州と比較にならぬ爆撃被害を蒙るけれども、国民の楽天性はとてもアメリカの爆弾だけでは手に負えまい。私は焼跡の中からそれを痛感し、アメリカの探偵小説の要領ではこの楽天性を刺殺できまいということを微笑みとともに痛感しているのである。

「坂口安吾著 予告殺人事件」

柄谷行人著 「坂口安吾論」 第一部 坂口安吾について インスクリプト刊 より

②小豆畑病院の在宅医療グループ
このグループでは、急性期病院が中心となって訪問診療を行っています。そして、訪問介護ステーション(訪問看護、リハビリテーション、訪問栄養指導)、訪問介護ステーション(訪問介護)、居宅介護支援事務所(ケアマネジャー)が附属しています。一つのグループで、在宅医療のすべてをまかなえるようになっています。また、入院が必要になった時にも、速やかに入院ができるのが特徴です。
 さらに、小豆畑病院在宅医療グループには、在宅での生活や介護が困難になった人の為に、介護老人保健施設・特別養護老人ホームが附属しています。また、認知症対応のための、地域密着型小規模多機能施設も一緒に活動しています。
 この形態は、全国的に数が少ないのです。しかし、私はこの、病院・在宅医療の全てのステーション・介護施設を包含した在宅医療グループが在宅医療を行うことで、様々な患者さんの要望に応えることが可能になると考えています。現在も、さらなる充実化を進めています。以下に、小豆畑病院在宅医療グループの詳細が見られます。
小豆畑病院在宅医療グループHP: 
https://azuhata-homecare.com/

③病院医療から在宅医療への変換を進めている政府
2018年1月26日、朝日新聞の第1面に、医療者にとって、ちょっと話題となった記事が載りました。抜粋します。この記事は、2020年12月の今でもweb siteから閲覧することができます。(朝日新聞DEGITAL)
 https://www.asahi.com/articles/ASL1V30SNL1VUBQU004.html

在宅医療、2025年に100万人超 厚労省推計

 団塊の世代がすべて75歳以上となる2025年に在宅医療を受ける人が100万人を超えることが、厚生労働省の推計で分かった。現在の1.5倍以上の規模になる。各都道府県は国の算定方法に基づく詳細な推計を実施。これを踏まえて年度内にまとめる医療計画で、在宅医療の態勢作りを加速させる方針だ。

 自宅や介護施設で訪問診療を受けた人は16年6月時点で約67万人いる。厚労省は今後の高齢者の増え方を考慮し、25年の利用者数を約100万人と推計。現在の入院患者のうち、軽症で本来は入院の必要がない高齢者らが25年時点で約30万人いるとして、その一部も在宅医療の対象に加えた。

 医療費の抑制も狙い、政府は入院患者を在宅医療に移す流れを進めている。25年の入院患者用のベッドは現在より10万床以上減らして約119万床とする計画だ。その分、在宅医療の受け皿を増やすため、24時間態勢で診療したりケアをしたりする医療機関や介護事業者への報酬を手厚くして後押しする。

わかりやすく書き直してみたいと思います(新聞記事って、なんで、わかりやすく書かないのでしょうね)。
 「日本の高齢化は現在も進行中で、2025年に75歳以上人口がピークに達することが知られています。今(2018年当時)の診療態勢をそのまま維持すると、2025年には本来入院が必要のない高齢者が、年間30万人も病院に入院してしまう試算があります。それでは、医療費が増大し、日本経済は破綻しかねません。それを避けるために、軽症高齢者を入院させないで在宅医療で診る診療態勢に政府主導で変更していく。それによって、入院用の病院のベッドを2025年までに10万床以上削減することを目指す。その受け皿として、訪問診療・介護の報酬を増やすなどして、在宅医療の整備を誘導していく。その結果、在宅医療を受ける患者さんが、2016年の年間67万人から2025年には100万に増加する見込みであると厚生労働省が試算した。」

④新たな病床機能の再編支援について 厚生労働省医制局地域医療計画課 令和2年10月9日:
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000683711.pdf

⑤病床機能再編支援事業の実施に関するQ&Aについて 厚生労働省医制局地域医療計画課 令和2年11月26日:
https://www.ajha.or.jp/topics/admininfo/pdf/2020/201208_1.pdf


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?