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真説佐山サトルノート round 26 再び、前田日明と会う

【この原稿は二〇一六年八月から二〇一八年四月まで水道橋博士主宰「メルマ旬報」での連載を修正、加筆したものです。秘蔵写真も入っている全話購入がお得です】


『真説・佐山サトル』を書く際、延べ五十人ほどの人間に話を聞いている。不明な点が出てきた場合は、電話、メール等で確認したことはあるが、その多くは一度きりの取材である。
 数少ない例外の一人が前田日明さんである。
 すでに触れたように、二〇一六年六月末に前田さんにインタビューしている。このときは、佐山さんとの出会いなどを中心に聞き、時間切れとなった。その後、ぼくは二人が関わったUWFの関係者への取材を進めた。あるとき、もう一度、前田さんに会う時期が来たと感じた。
 佐山さんが、UWFから離れるきっかけとなった、一九八五年九月二日に大阪府立臨海スポーツセンターで行われたスーパータイガー対前田戦について聞かなければならないと思ったのだ。
 二度目のインタビューも井上編集長が前田さんに話を通してくれた。そして、前回と同じように、彼の主宰する団体リングスの会議室で『リングス・チャンネル』の収録前に行うことになった。
 リングスの事務所は、渋谷駅から道玄坂を上りきったのビルにある。エレベーターを降りて扉を開けると、前田さんが弁当を食べていた。横には空になった弁当が置いてあった。二個目に取りかかっていたようだった。ぼくが挨拶をすると、前田さんは箸を持ったまま「おうっ」と短く応じた。
 前田さんはアメリカのサンノゼで格闘技団体のベラトールMMAを視察、帰国したばかりだった。アメリカの格闘技界は日本よりも進んでいると、早口で喋った。前田さんが弁当を食べ終わるのを待って、取材を始めることにした。
 まずは、佐山さんが運営していたスーパータイガージム時代のビデオを見たという話から始めた。佐山さんは三軒茶屋にあったジムにビデオカメラを設置していた。そこに、前田さん、高田伸彦さん、山崎一夫さんがシーザー武志さんからキックを習っている姿が映っていたのだ。

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