真説佐山サトルノート round 19 『GORO』の謝礼は一〇〇万円
【この原稿は二〇一六年八月から二〇一八年四月まで水道橋博士主宰「メルマ旬報」での連載を修正、加筆したものです。秘蔵写真も入っている全話購入がお得です】
いつの頃からか、ノンフィクションとは「取材する」「資料を調べる」「考える」「執筆」という四つが揃った「知的総合格闘技」だと思うようになった。
その元になったのは、佐山さんが提唱した「打倒極」という考えである。
〈「打て」という〝打〟ではなく「投げろ」という〝投〟ではなく「極めろ」という〝極〟ではない。
また単に打・投・極を総合的に闘えばいいというものでもない。
自然の流れにのった技術がとぎれなく連係し、なめらかに回転することが修斗の姿である〉
ノンフィクションの四つの関係も似ている。
取材を沢山積み重ねるだけでは、良質の作品にならない。その裏付けとなる資料を猟書することも必要である。また、取材データをどのように構成するのかを熟考しなければ、乱雑でとりとめのない作品になる。そして何より、読者を惹きつけるレトリックを含めた文章力は不可欠だ。この四つが「とぎれなく連係」することで良質のノンフィクションが生み出される。
取材が得意であってもそれを表現する文章力がない。あるいは資料を漁るのは好きだが、対人取材が苦手である。インタビュー取材と文献の収集を精力的に行ったものの、全てを入れ込もうとして作品が破綻する――これらに当てはまる書き手、作品は多い。逆に、この四つをバランス良く備えた書き手は少ないとも言える。
ぼくの経験では、この四つは本来「なめらかに回転」するものだ。
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