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真説佐山サトルノート round 28  登場人物の一人をイニシャル「K」とした理由

【この原稿は二〇一六年八月から二〇一八年四月まで水道橋博士主宰「メルマ旬報」での連載を修正、加筆したものです。秘蔵写真も入っている全話購入がお得です】


 連載開始時には、ほぼ原稿を書き終わっている、あるいはしばらくは〝貯金〟があるという書き手もいれば、ぎりぎりにならないと書かないという人間もいる。
 ぼくは後者だ。
 『真説・佐山サトル』は、この連載の初回で書いたように見切り発車のような形で始まったこと、そして月刊誌であり時間的に余裕があるということから、毎月、原稿を書き出すのは〆切りの数日前だった(前日、というのもあった)。
 今後の見通しとして、半年、一年先までの章建てを、『KAMINOGE』の井上崇宏編集長、集英社インターナショナルの中込勇気君には送っていた。しかし、その予定通りには進んだことはなかった。そのうち二人とも、これは目安にしか過ぎないと諦めていたことだろう。
 ぼくのやり方はぎりぎりまで取材データという材料を集めて、登場人物が動き出すのを待つ。もちろんノンフィクションである以上、そこに作為を加えることはない。森をかき分けて、けもの道のような、先があると思った方向に進んでいく。作者であっても先が見えない。予めかっちりと構成を決めるよりも、面白い作品になるとぼくは確信している。
 長編にはうねり、山場も必要だ。そして、佐山サトルさんのような存命中の人間を描くとき、作品をどのように終わらせるか、というのは最も頭を悩ます部分だった。彼の人生は今も続いている。新日本プロレス、UWF、修斗、UFO、掣圏道、アルティメット・ボクシング、リアルジャパン、須麻比――。今も試行錯誤を続けている。その中で、最後の山場については、修斗の会議にしようと、早い段階から決めていた。佐山さんを追放する形になった会議である。
 この連載で度々触れたように、この会議の取材が最も厄介だった。
 延べ十人以上の出席者に話を聞いたが、全ての出席者、日時さえ特定できなかった。出席者の証言はまちまちで、食い違いが多数出てきた。
 最も肝心な点は、誰がどのような形で佐山さんを外すような動議を出したのか、ということだった。
 中村頼永さんによると、修斗の金銭面を支えていた『龍車グループ』の中村晃三氏が、佐山さんを外すかどうか多数決を採ることを言い出したという。
 しかし、それを中井祐樹さんにぶつけると「良く覚えていないんです」と首を捻った

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