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【全文】「真説佐山サトル」ノート

※この原稿は二〇一六年八月から二〇一八年四月まで水道橋博士主宰「メルマ旬報」の連載に修正、加筆したものです。原稿用紙296枚、おおよそ単行本一冊分になります。その他、取材時に撮影した未発表写真、佐山さんからお借りした貴重な資料や写真も掲載しています。

4月20日発売の文庫版「真説佐山サトル」(集英社)と合わせて楽しんでください。

【はじめに】

 どんな分野であろうと、人間を取材することに変わりが無い。ひと揃いの使い慣れた道具を取り出せば、どんな分野でも描くことが出来ると思っていた。その自信が多少揺らいだのは、『真説・長州力』の取材を始めてしばらくした頃のことだ。
 ぼくは『偶然完全 勝新太郎伝』で映画界を、『W杯に群がる男たち』で国際スポーツビジネスを、『球童 伊良部秀輝伝』で野球を、そして『維新漂流 中田宏は何を見たのか』で政治の世界を描いてきた。
 どれも資料を集め、取材を進めるうちに、どのように描くべきかという道が自然と現れてきた。
 ところが、プロレスの世界は勝手が違っていた。
 まず悩まされたのは、資料が限られていること。そしてその精度である。
 プロレスは、政治や野球などの〝スポーツ〟と違って、一般の雑誌に取り上げられることは少ない。そのため、資料の中心はプロレス専門誌ということになる。
 ところが、普段、資料検索に使用している、国会図書館、あるいは大宅壮一文庫でプロレス関係の雑誌はデータベースでの検索からこぼれ落ちることが多い。一冊ずつ借りて読み進めていくしかなかった。また、蔵書にない雑誌も多く、古本屋を回ることもあった。
 プロレス専門誌はファンクラブ会報誌に近い。原稿には、書き手の作為がちりばめられていることも多く、時代の息づかいを感じられたが、資料価値としては劣る。書き手が心を砕くのは、いかにプロレスを面白く見せるか、だ。彼らは自らプロレスラーの共犯者なのだ。
 新聞記事も同様だ。
 一般紙にプロレス欄はない。スポーツ紙でさえ、常に紙面を割いているとは限らない。確実に試合の詳細を追うことが出来るのは、日付以外はあてにならないと揶揄されることもある東京スポーツのみ、なのだ。
 国会図書館に東京スポーツはマイクロフィルムの形で保存されている。一ヶ月単位で巻き付けられているフィルムを映写して、必要な記事を探していくしかなかった。
 そしてレスラーをはじめとした証言者の信憑性――。
 人の記憶とは曖昧なものだ。長い年月が経つうちに、事実とは全く違う内容に書き換えられていることもある。 
 おおむねレスラーは、他の競技のアスリートと違って、試合結果に淡泊である。自分が誰と対戦したのかさえ、覚えていないことも多い。メモを残していたり、日記をつけているレスラーは皆無。また、その時々で証言を変える人間も少なくない。
 ノンフィクションでは取材と執筆は表裏一体である。これまでの執筆方法は放棄せねばならないと覚悟するようになった。
 ぼくがそれまで多用してきたのは、ニュージャーナリズムという手法だ。
 ニュージャーナリズムは、一九六五年に発表されたトルーマン・カポーティの『冷血』を嚆矢としている。主観や個人的体験を入れ込んで小説のようにノンフィクションを描くことを指す。ノンフィクションノベルと呼ばれることもある。
 このニュージャーナリズムの手法では、登場人物を俯瞰する「神の視点」がしばしば現れる。
 小説の場合、作家がこの視点を自由に操作し、登場人物を造形することが出来る。しかし、ノンフィクションではそれは許されない。複眼的、重層的取材を元に、書き手の尺度で、彼らの性格、行動理念を作品の中で位置づけていく——。
 ところが『真説・長州力』では取材がある程度進んでも、ぼくはその尺度を見つけることが出来なかった。証言は食い違い、資料に当たってもどちらが正しいのか判然としなかったからだ。

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 リング内外の虚実を凝視してきた、プロレス愛好家はその多面性を楽しんできたとも言える。彼らを納得させる神の視座など不可能であると思うようになった。
 そんなある日のことだ。
 長州さんに話を聞きながら、酒を飲んでいると今と昔のプロレスの違いの話題になった。
「ぼくらの時代のプロレスは定食屋なんです。キッチンでは何を作っているのか見えない。そして、ちっちゃな窓から出て来る定食を客は食べるだけ。それが今は、客が作っているのが見えるオープンキッチンになった」
 長州さんは裏側まで見せるアメリカのWWEを念頭に置いて、オープンキッチンと表現していた。
「今の時代に(定食屋が)合うのか合わないのかはわからない。(アントニオ猪木)会長も定食屋でしたね。全部見せちゃうのは、ぼくにとってはアウトですよ」
 定食屋とオープンキッチン、長州さんらしい面白い喩えだった。
 そして、ノンフィクションにも当てはまるのではないかと思うようになった。
 ニュージャーナリズムでは、主観や個人的体験が組み込まれていると書いた。しかし、それは話の流れに棹を差さない程度に〝抑制〟されている。
 『球童 伊良部秀輝伝』が講談社ノンフィクション賞の最終候補作となった際、選考委員から「広岡達郎さんに対して一方的過ぎる。彼に取材するべきだった」という批判的な意見が出たと教えられた。
 ロッテマリーンズ時代、伊良部さん、そして同僚の投手だった小宮山悟さん、前田幸長さんたちは、ゼネラルマネージャーだった広岡さんと激しく対立した。広岡さんが本来の職務を超えて、現場のボビー・バレンタイン監督に介入したからだ。
 小宮山さんはトレード要員扱いとなり。前田さんは自ら実際に中日ドラゴンズへ移籍。そして伊良部さんはアメリカに渡った。
 当時の話を聞くため、広岡さんは手紙を送り、その後、自宅に電話した。ところが彼は一切答えたくないとまくしたてた。
「俺と伊良部が揉めたきっかけは何か知っているか? 日刊スポーツだよ。日刊はな、川上(哲治)さんが編集委員だろ。だからあんな風に書かせたんだ」
 広岡さんは選手時代、監督だった川上さんと対立し、読売巨人軍を放り出されている。彼の著作にはその恨みが散見していた。しかし、伊良部さんの一件に川上さんは関係ない。
 すでに小宮山さんたちからも話を聞いている。このまま原稿にすると広岡さんにとって不利な内容になる。いくつかの質問だけでも答えてくれないかと食い下がった。
 しかし、彼は頑なだった。
「話なんかしたくない。会う必要もない。君が勝手に書けばいいじゃないか」
 そして、全ては川上さんの差し金なのだと繰り返した。では、その話も詳しく聞かせてくださいと返したのだが、時間がないと言い張った。
 広岡さんは、ヤクルトスワローズ、西武ライオンズ監督時代、「理論派」とされていた。しかし、彼とのやり取りで浮かんできたのは頑迷という単語だった。
 西武時代、広岡さんと衝突した江夏豊さんは著書『左腕の誇り』でこう書いていた。
〈広岡さんと接してわかったのは、言っていることと、やつていることが違うということです〉
 広岡さんは「自然食推進派」で知られていた。玄米食を押しつけられることに辟易としていた江夏さんは。食事の席で「監督はこんな玄米を食っているのに、なんで痛風なの?」と何気なく口にしたという。すると座が静まりかえった。ヤクルト監督時代に選手には煙草を禁じていたにも関わらず、自室で吸っていたようだという記述もある。
 伊良部さんのような不良は、表面を取り繕う優等生を一瞬にして見抜き、嫌悪するものだ。
 広岡さんとの一連のやりとりは話を展開する上で不必要だったため、『球童』では割愛した。ぼくにとっては広岡さんに裏を取るのは当然のことで、わざわざ書くほどでもないとも判断していた。ただ、それは審査員に伝わらなかった。
 これが影響したかははっきりとしないが、『球童』は講談社ノンフィクション賞を逃した。
 近年、取材の苦手な書き手が増えていることはぼくも感じている。取材をしていないのに、さもしているように書く。ニュージャーナリズムの手法はその逃げ道となりうる。後から考えれば、審査員たちはそうした作品を警戒していたのかもしれない。
 ともかく——。
 ノンフィクションでも「定食屋」的な手法が通じじにくくなっている。テレビで「やらせ」騒動が起こり、一般視聴者はメディアの裏側を疑いがちになっているという流れもあったろう。
 そこでぼくは『真説・長州力』ではオープンキッチン的手法とも言うべき書き方――証言を繋げて、矛盾がある場合もその通りに書く。ときに証言者とどのように会ったのかまで詳細に記し、口調は可能な限りそのまま使うという手法をとった。
 例えば、かつて新日本プロレスの取締役、長州さんと新団体WJを立ち上げて失敗した、永島勝司さんとの新橋の居酒屋でのやりとりは、あの通りだ。
 ただ、この手法でさえも、プロレスラーたちの面白さを完全に伝えきることはできない。話の筋という縦糸、ディティールという横糸という網を張っている以上、話がこぼれ落ちていく。
 取材とはほとんど捨てるものだのだ。
 二時間取材して、二、三行しか使わないことも、それどころか一切触れないこともある。
 プロレス取材ではこぼれ落ちる話が実に惜しい。『真説・長州力』に続いて、『KAMINOGE』で『真説・佐山サトル』を連載すると、そうした話が溜まっていた。
 捨てざる得なかった取材を、何かの形で使えないだろうか――。テレビ収録で水道橋博士と会ったのは、そんなときだった。
 ぼくの口から「メルマ旬報で連載をやらせてください」という言葉が出ていた。

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【round 1 突然の連載開始】

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