カラオケはセラピー
ここ最近、退勤後のひとりカラオケがマイルーティン化している。
毎日ではない、週に1回ほど、わたしは駅近くのジャンカラに吸い込まれていく。
スッキリしたいだけなのでいつも最短の30分で切り上げる。どうせまた来週も行くし。
よく歌うのは椎名林檎とか、宇多田ヒカルとかなんだけど、昨年末に友達が星野源の曲を歌っていたのが結構ジンときてて今回は星野源多め。
カラオケに行くと歌詞をしっかり見るよね。
いつも聞き流してる曲が、フレーズが刺さることがある。
日常で詩を読むことはないけど、この時間は歌っているようで詩を読んでいる時間でもあるなとふと感じた。
星野源は、高校を卒業して初めてライブを観たアーティストで、それからはずっとずっと好きだ。
新鮮なときめきの好きというよりは、だいぶん熟成された漬物のような好き。ガッキーと結婚した時はちょっと曲が聴けなくなったけど、最近の曲を聴いていて源さんはあんまり変わっていなーと思う、孤独とか絶望とかをずっと持ち合わせてる人なんだろうなと勝手に思う。そこが好き。
『時よ』のフレーズが目にとまる。
車掌に扮装してちょこちょこ踊る星野源の愛くるしさ。
源さんも夕焼けや雨に濡れた草花の雨粒に対してきれいだなぁとか思うのかな、『恋」とか、『くだらないのなかに』でも夕方の空の描写があった気がする。コミカルだけど意外と歌詞は繊細な響きだなーと思う。
『うちで踊ろう(大晦日ver.)』
歌いながら泣きそうになっちゃて上手く歌えなかった。
この曲は留学中、冬季うつっぽくなって孤独感でいっぱいになっててしんどかった時に聴いていた曲だった。
無力で、自分が何もできない気がして、帰りたいけど帰れなくて、ひとりぼっちだった気持ちを思い出す。寒ーいところで無理矢理散歩しながら聴いてたなぁ。
同じ曲でもグッとくるフレーズはタイミングによって違う。それってその時に欲しかった言葉なんだと思う。
色んなもの発散して詩にしみじみとしちゃうなんて、もはやこれってセラピーじゃん??
ってお話しでした。
読んでくれてありがとう!
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